軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

番外編 神に優しい男。女に甘い男

周囲を見渡す。

埃にまみれていた部屋。罅割れた石床。壊れた家具。

砕かれた壁から覗く、灰色の空。

ボロボロだった城。

いや、ボロボロなのは変わらない。けれど、僅か数日の清掃で、いくらか綺麗になった部屋。

その部屋を見渡しながら、最後に、私の隣に立つレンジを見る。

彼は何処か誇らしげに、腕を組んだまま頷いていた。

「うん。これなら、十分生活できるな」

「はい」

私の部屋。いや、私に部屋など必要無いのだけれど。

アストラエラやツェネリィアと同じで、神の力を得てしまった私は、本来なら別の空間で過ごすのが普通。

この世界では全力を発揮できず、こうやって肉体を顕現させるだけでも魔力を消費してしまう。

それは、神殺しの武器であるエルメンヒルデも同じ。

彼女もまた、レンジが持つメダルという世界の中に身を置き、この世界に顕現する為には魔力を必要とする。

ただ、今のエルメンヒルデ。魔神ネイフェルの眷属を討伐していない、アストラエラから余分な魔力を渡されていない彼女は肉体を顕現させる魔力を確保する事が出来ないだけ。

……けど、私はそれを教えない。

アストラエラもツェネリィアも教えていないが、あの二柱は単純にレンジの自主性、この男性が自分で気付くことを望んでいる。

ネイフェルの記憶が告げる。

あの二柱は――いや、私の先代である魔神ネイフェルも、レンジが自分で気付く、彼が旅の果てに見聞を広め、成長する。自分の意思で、知識を得る。

その事を望んでいるのだと。

けれど、私は違う。私の理由は、もっと浅ましく、もっとくだらない理由だ。

教えたくない。ただ、それだけの理由。理由とも言えない、我儘なのかもしれない。

「ですが、レンジ」

「うん?」

「私は、この世界に部屋を用意しなくても、アストラエラやツェネリィアと同じく自分で自分の世界を用意する事が出来ます」

神とは、そういうものだ。世界を、自分の思い通りに創造できる。

何も無い場所に自分が好きな物を、好きなだけ並べる。そして、世界を見続ける。この大陸を、この大地を。何も無い、荒れ果てた荒野を。

それしか、見る事が出来ない。それだけが、魔神の娯楽。

アストラエラは人の営みを。ツェネリィアは木洩れ日と微睡みを。

そして、エルメンヒルデはレンジが見たものと同じ世界を。

神は、異なる世界、異なる時空から、この世界を見る。

「そうなのか?」

そんな私の言葉に、レンジは驚いた声を上げた。

別の部屋を掃除していたアヤが部屋の入り口から顔を覗かせ、私を見ている事に気付く。

「どうかしましたか、アヤ?」

「あ、いいえっ!? ちょっと、どんな話をしているのかなあ、とか何とか、思ったり」

私とレンジがどういう話をしているか気になったようだ。私が気付くと、すぐに別の部屋の掃除へ戻る。もしかしたら、何か用事があったのだろうかと考えていると、頭の中に聞き慣れた声が響く。エルメンヒルデ――私の天敵、神殺しの武器。そして、レンジの武器。レンジの、相棒。

『うむ。アストラエラ様やツェネリィア様と話をする際には、いつも呼ばれているではないか』

「……そういえばそうだったな」

しばらく会っていないから忘れていた、とレンジが呟く。

どこかで、エルメンヒルデに似た声を持つ女神が、人には平等であるはずの女神が、レンジに対して文句を言っているような気がした。

多分、私の内心も、似たようなものだろう。

会いたい。逢いに来い。それを望んでいる神が他にも居るという事か。

「ですが、嬉しいです。……嬉しいと、思います」

僅かに、胸が高鳴る。名前を知らない高鳴りは、きっと『嬉しい』。

この感情の名前を理解しながら、掃除された部屋……ベッドにテーブル、いすにタンス。ベッドの傍にあるサイドテーブルには、何も置かれていない。

記憶にある部屋の内装。

レンジと旅をして、初めて立ち寄った街。港町――フランシェスカの両親が住む町。

あの街の宿屋。その内装に似ているような気がした。

窓から見えていた景色は青。空の青、海の青。飾られていた花は赤や黄色。明るくて、爽やかな香りがする綺麗な花。

けれど、この部屋の窓から覗く空は灰。暗く淀み、部屋には何の花も飾られていない。

似ているけど、寂しい。

でも、嬉しいと思う。

「喜んでもらえたようで良かったよ……本当」

『普段のレンジは抜けているからな』

「……どういう意味だ」

『ソルネアの為に何かしたいと考え、出来る事から手を付けるのは美徳だと思う。だが、自分の世界を持つ神に、部屋を用意するのはどうかと思う』

「しょうがないだろ!? ネイフェルはこの城に住んでいたから、この城がてっきり家みたいなものだと思ったんだよっ」

大きな声。けど、怒っているのではなくて、どこか楽しそう。

レンジの笑顔を隣で見ながら、彼が声を向ける相手に思いを向ける。からかう声。明るい声。楽しそうな声。聞き慣れたエルメンヒルデの声なのに、彼女の声はその都度様々な色に変化する。

こちらも、怒っていない。呆れているようにも聞こえる声は、けれど喜色を多く含んでいる。

先程の私を『嬉しい』と評するなら、今のエルメンヒルデは『楽しい』だろう。

その明るい声を聴きながら、レンジの服の裾を指で引く。

「ん?」

「どうしてレンジは、私に良くしてくれるのですか?」

聞く。

意味は無い。聞いても、私の今まで。そしてこれからにどれ程の影響があるとも思えない問い。

そんな私の言葉に、レンジは少しだけ驚いたように目を開いて、すぐに笑顔を浮かべた。

「一緒に旅をした。お前をここまで連れてきた――そして、お前をここに置いて、俺は戻った」

「はい」

「……まあ、そういうのは建前というか、言い訳なんだけどな」

どこか恥ずかしそうにレンジは言って、指で頬を掻く。

「魔神の使命だけじゃない。俺はお前に、いろんな事を知ってほしい。もう一緒に旅をする事は出来ないけど、こうやって一緒に掃除をしたり、喋ったり。一緒の時間を過ごして、沢山の事を話し、伝えたいんだ」

恥ずかしそうに笑いながら言うレンジ。けど、その表情は、瞳は、どうしてか――私に向けられていないように思えた。

何故かは分からない。

明るくて楽しそうな笑顔には思えなかった。

寂しそうで、悲しそうな笑顔に思えた。

だから、レンジの服の袖を握る手に力を込める。私の方へ、レンジの腕を引く。

鍛えているレンジだけれど、エルメンヒルデを武器として顕現させていない彼はただの人間。魔力が無いから、その腕力はフランシェスカよりも劣ってしまうほど非力。

簡単に体勢を崩し、たたらを踏みながらその顔をいくらか下に向けてしまう。

近い。

レンジの黒い瞳。その中に私が映っている。その表情の僅かな変化まで見る事が出来るほど近くに、レンジの瞳がある。その瞳、その奥そこまでも見通したいと思いながら、見つめる。

吐息が、頬に触れた。前髪を揺らし、僅かにくすぐったい。

私の吐息も、レンジに触れているのだろうか。ふと、そう考えてしまった。

「私を見てください」

寂しそうな顔などしないでほしい。明るく笑ってほしい。

ほんの数か月。短い時間だったが、旅をした。

レンジの明るい笑顔。笑い声。

覚えている。まだ、憶えている。

だから――もっと、笑ってほしい。笑顔を向けてほしい。明るくて、楽しげで、どこか気の抜けた……だらしのない笑顔で。

なにより、あの時のレンジは私を見ていた。しっかりと、まっすぐに。私を見て話していた。私を見てくれていた。

魔神ではない、ソルネアという一個の存在として。

「私と話すときは、他の誰も思い浮かべず、私を見て話してください」

「ぉ、ぉう……」

手を離す。顔を放す。

視線を――ドアの方へ向ける。

「どうかしましたか、フランシェスカ」

「ぅひ、ゃ?!」

聞き慣れない、変な声が聞こえた。けれど、声音はフランシェスカのもの。

彼女は、先程のアヤと同じようにドアの影に身体を隠すようにしながら、部屋の中を覗いていた。その頬が赤い。表情はいつもの柔らかくて暖かな笑顔ではなく、驚きに染まっている。

「お、ぉ邪魔しましたっ」

「ああ、違う、違うから!? 何このベタな……えぇっと、なんだっけ!?」

姿を消したフランシェスカに向けて、レンジが手を伸ばす。

『うぅむ。ふむ……うぅん。今のは、勘違いされたな。絶対』

「なに面白そうに言ってやがるっ」

『面白いからなあ』

エルメンヒルデが笑う。レンジのように動揺していない。

理解する。ああ、彼女は、レンジの相棒である事を受け入れているのだな、と。

同じ神。神性を有するからか、エルメンヒルデの感情の動きは、レンジや他の皆よりも分かり易く思う。

「あのな、ソルネア」

「はい」

レンジが、申し訳なさそうに髪を書きながら口を開いた。

「悪かった。お前に……昔のエルを重ねていた。アイツは、武器として生まれて、武器として生きようとしていたから。自分の夢も見付ける事が出来ずに、抱いた願いもかなえる事が出来ずに……死んだから」

だから、と一拍の間。

「お前には、魔神としてだけじゃなくて、ソルネアという一人の女性として生きてほしいんだ」

「そうですか」

それは、難しい。

とても、とても、難しい。何故なら私はソルネアという一つの意思であると同時に、魔神という存在でもある。

神とは、世界を創造する者。世界を用意する者。

願えば、それがどのように無理難題なモノであれ、関係無く叶えてしまえる存在。

――私の願いは、それがどれだけじゃあ区で歪んでしまっていたとしても、叶ってしまう。ネイフェルが、自身の死を願い、叶えたように。

そして、思い出す。以前――レンジが私に「夢があるのか」、と言った事を。

私が「特に無い」と答えた事を。そして……その答えの果てが、何だったのかを。

レンジは、その事を覚えているのだろうか。そう考えると、少しだけ、心臓が弾んだ。

「分かりました」

「……ん?」

「夢を見付けます」

それでレンジが笑ってくれるなら。あの、明るい笑顔を向けてくれるなら。

夢を見付けよう。

それが、どういうものか、『夢』という言葉の意味も理解もしていないというのに。私は、ただレンジに笑ってほしいからという理由だけで、そう口にする。

理性や思考よりも先に、口が動く。言葉が出る。出てしまう。

「ですから、レンジ」

「なんだ?」

「もし、私が夢を見付けたら。叶えるのを手伝ってくれますか?」

「ああ。勿論だ」

頭の中に声が響く。

くぐもった、呆れたような声だ。

『バカ……また、安請け合いを』