作品タイトル不明
その9 木更津
昭和◯◯年◯月◯日
小さな俺は千葉の木更津にいた。
親父とオカンが駆け落ちして結婚したんで、工事現場や父方の親戚のウチを点々としてたんだよね。
工事現場の仕事も、叔父貴がらみで、叔父も一緒に仕事をしていた。
その頃の木更津はまったくなにもなく、幼い俺も両親と一緒に木更津で暮らしていたわけだ。
時期は半年ぐらいだったろうか。
プレハブの宿舎に泊まったり、場所によっては、未完成の建物の中で寝泊まりしてたこともあった。
さすが昭和。
近くには砂浜があり、堤防などもまったく整備されておらず、アサリや赤貝などがたくさん取れた。
調子に乗って、たくさん獲ってきた赤貝を、外の水道の流し部分に入れておいたのだが、全部死んでしまって悪臭を放ってしまう。
しかたなく、袋に詰めて、また海岸まで運んで行くと、砂浜に全部埋めてしまった。
まぁ、獲りすぎはよくないよね。
ある日、叔父が車を買ったというので、皆でドライブに出かける。
買った車は、トヨタマークⅡ――当時の値段で80万円ぐらいだったはずだから、今なら700万円ぐらいか。
この叔父は、病気で亡くなるまで、ずっとマークⅡだけ乗り継いでいた。
マークⅡの金色の置物などをもらったりしたこともあったが、今でもメリカリなどをぐぐるとそれなりに出てくる。
プレミアはついていないようだが。
ドライブの行き先は、開通したばかりという、東名高速道路。
高速道路でどこかに行くつもりでもなく、ただ開通した高速道路に乗ってみたかっただけ。
ただの野次馬だ。
車もまばらで住宅もなかったと記憶している。
すぐに引き返して、戻ってきた。
そんな暮らしをしているうちに、木更津を出てフェリーで川崎の麻生にある父方の叔母の家に向かったのだが――。
船上で、叔父の持っていたタバコの火が俺の眉毛部分に当たり、火傷をしてしまう。
そのときの痕が未だに、眉毛部分に残っている。
麻生に到着して、叔母の家で居候したりして、しばらく暮らしていた。
今の麻生は結構開けているのだが、当時は山の中。
竹林だらけで、巨大なタケノコを獲ったり――そのときの記念写真が、実家に残っているはず。
近くに、よみうりランドがあったので、休日にオカンと一緒に出かけたりした。
小さい俺は、乗り物の年齢制限にひっかかり乗れないことが多い。
50円入れて覗き込むと、アニメが見られる機械などで楽しんだのだが――。
帰りに、オカンが乗る電車を間違えてしまい、どこか辺鄙な場所に行ってしまう。
折り返しの電車を待つために2時間ぐらい座っていた記憶がある。
記憶は正確ではないだろうが、周りには森と木があり、木製の連絡階段だけ覚えている。
オカンは、小田急の柿生に行きたかったのに、おそらくは多摩線に乗ったと気づき黒川辺りで降りてしまったと思われる。
オカンもかなりげんなりしていたのを覚えている。
関東から北海道に帰るときには、叔父貴のマークⅡごと、フェリーに乗った。
出港地は、大洗だったはず。
グルグルとジェットコースターのように渡橋を渡って乗り込み、海は時化て、大人たちはケロケロしながらぐったりしていたが、俺は船の中を走り回る。
丸一日かけて、船は苫小牧に到着した。
両親の駆け落ちに巻き込まれるという幼少期だったが、日本中のいろんな場所に行けたのは、情操教育のためにはよかったかもしれないと思っている。