軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

その3 学校の先生

昭和◯◯年◯月◯日

がたいのいい先生が、教室の教壇でタバコを吸いながら授業をしている。

教壇の上に灰皿を置き、タバコが消えると、次のタバコに火をつけて白い筋をくゆらす。

今では信じられない光景だが、昭和の時代では普通に行われていた――と、いっても昭和50年頃まで。

俺が小学1年生から、6年生になる間に、目まぐるしく世の中が変わった。

そのうち、「教室でタバコを吸うなんてありえない!」「教師は、生徒にはタバコを吸うなって言ってるのに、自分らが吸っているのはおかしい!」

――なんて話になって、職員室でも禁煙の所が増えた。

禁煙の風潮も強くなったせいもあると思う。

中学に入った頃には、学校でタバコを見かけることもなくなった気がした。

小学1年のときには、まだ戦後が残ってたんだよな~。

それが、6年生になると、戦後のにおいがしなくなった。

祝日には、学校のポールには日の丸が掲げられることもなくなり、住宅の玄関先から国旗受けもなくなった。

物価も6年間で高騰したな。

1年生のときには、萬屋で消しゴムが1個10円――5円で買えるものもあった。

1個30円だったアンパンは、そのうち60円になり、最後は100円前後に。

ウチもオカンも、「働いても働いても、楽にならない」と、こぼしてたっけ。

小学6年間で、学校の中も変わった。

入学した当初は、机も椅子も木製――戦前戦中の映像などで、学校のシーンがあると、よく出てくるやつ。

左右の席がくっついていて、二人一組になってるやつね。

数十年使われてきたので、マジでボロボロ。

机なんて穴だらけで、生徒がいたずらで開けた穴が貫通してたり。

そんな机や椅子も、2年生の頃に新品のパイプ椅子とパイプ机に更新されたのだが、毎年入学してくる生徒は減少。

令和に入ってつい最近、他の小学校と合併併合――廃校になることが決まった。

祖母の頃は400人以上の生徒がいたのに、俺のときには200人超、弟のときには100人を切り、今や十数人。

まぁ、無理だよなぁ。

だって、村に残っても仕事がねぇもん。

俺だってネットがなかったら、地元には戻ってきてないし、俺みたいのは超珍しい例よ。

教壇でタバコを吸う先生の話がでてきたが、記憶に残っている先生と言えば――。

2年生のときの教頭先生。

めちゃ絵が上手くて、いつも黒板や、 OHP(オーバーヘッドプロジェクター) に漫画を描いてくれたので、スゲー人気があった。

教材のスライドが動かなくて、即興でそれを黒板に描いて説明してくれたこともあった。

こういう人気がある先生って、すぐに他の所に引き抜かれちゃうんだよね。

最後まで学校に残ってるのは、人気のない先生。

もう一人、忘れられないのは、3~4年で担任だったガチガチの左翼教師。

こいつは酷かったな~。

しかも、男嫌いなのか、男子生徒だけ虐待をかましてくるという。

実は、ウチのオカンの先生でもあり、親子二代で同じ先生が担任だった。

親の世代は、「めちゃいい先生だった!」「恩師!」とか言ってるのだが、俺らの世代からは「タダのクソBBA!」扱い。

つまり、ウチの親(団塊の世代)には洗脳が効いたが、俺ら世代にはもうそれが通用しなくなっていた――ってことだよな。

だって、やってることヒデーもん――ただのピーだよ。

図画の時間に、生徒が変な色使いをしたら「なんだこの色は! お前はピーか!!」って怒鳴られて、殴られることも当たり前。

今だったら、大問題になってたな。

お前がピーだっての。

今の世代間のギャップもすごいが、昭和の時代にもそういうのがあったってわけ。

1年から6年でガラリ世情が代わり、高校終わるころには、バブルだからな。

それでも、みんなで先に進んでいる感があったし、未来もあった。

バブル後に生まれた人たちは、日本がよかった頃をまったく経験していないから、埋められないギャップが生まれているのも当然だと思うわ。