軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

その2 学校

昭和◯◯年◯月◯日

朝の5時頃に目が覚めてしまった。

ウチは、中学になるまで、夜の8時には寝るように言われてて、ずっとそうしてきた。

当然、朝は早い。

冷や飯に生卵で朝飯を食う。

朝の6時から明るい農村などのTV番組はやっていたが、つまらんのでビーチサンダルを履いて小学校へ向かう。

体育の授業もこれで受けていたが、怒られることもなかった。

砂利道を歩いていると、左手には製材所。

山積みになっている木材に上ったりして、よく遊び場に使っていた。

当然危ない。

崩れて下敷きになったら、死亡確定だ。

農業用の倉庫にも忍び込み、山積みになってる米袋に上ったりもした。

空いてる隙間に落ちたりしたら、脱出不可能でマジでヤバい。

今なら大問題になるところだが、見つかっても怒鳴られるだけだったのが、マジ昭和。

大きな橋を渡ると、小学校に到着。

ネットで尋常小学校でぐぐると、完全木造の二階建て校舎が出てくるが、マジでそれ。

俺が通っていたときには、すでに開校60年とか80年とか言ってた気がするので、今は確実に開校100年を超えている。

その小学校も取り壊されて、別の場所に新築された挙句、近々合併廃校されることに決まっている。

隣村の小学校なんて、新築数年で廃校だよ。

もったいねぇ。

校舎があった場所は、元々墓場だと聞かされていた。

建てられたのは明治時代なので、そのときの墓場は土葬されていたと思われる。

おそらく墓場を移転するために、全部掘り起こされて、ちょっと丘の上に移されたんだろうなぁ。

その現場はさぞかしすごいことになっていたはず。

そんな話があるので、「便所に白いものがある! 人の骨だ!」みたいな子どもたちの騒ぎがしょっちゅうあった。

もちろん、骨が出てくるなんてわけがない。

グランドに到着すると、卒業生から寄贈されたデカい木がお出迎えだ。

60年や80年経っていれば、卒業生もクソ多い。

寄贈されたものもたくさんあった。

グランド右手には、授業で使われる学校の畑。

ここで、芋を作ったりヘチマを作ったりした。

瓢箪を作って、もらったりしたな~。

瓢箪の入れ物を作りたかったが、中身を腐らせて取り出すとか、面倒なことを親から聞いたので、捨ててしまう。

畑の近くには、高さ5mの鉄製の登り棒。

上まで到達できたやつはヒーローだが、当然危険が危ない。

今なら、速攻で撤去される代物だろう。

グランド左手には、地面に埋められた大量のタイヤ。

これはウチだけではなく、あちこちで見かけた光景なので、こういうのが推奨されていたんだろうなぁ。

そばには、木製電柱で作られた巨大なシーソーなどがある。

その横には、ジャングルジムと、回転筒。

どちらも、危険だからと、平成令和に撤去されてしまったものばかり。

そしてグランドの一番端には、自転車置き場がある。

遠くから通っている児童には、自転車通学が認められていたので、忘れ物をしたときには、よく自転車を借りて自宅に取りにいっていた。

朝早いので、当然学校には誰もいない。

学校の正面玄関から、中に入る。

生徒用の玄関は鍵が閉められていたが、正面玄関はいつも開放されていた。

これは、学校が公共施設だと言われていたのが、大きいのだろう。

いざというときには、学校が避難場所にも指定されていたし。

学校の廊下は全面板張りで、1階だけがワックスで磨かれていた。

大掃除のときに、ここを磨かされるのが嫌だったなぁ。

校舎の中央には、建物を上下に貫くコンクリ製の防火帯がある。

鋼鉄製の扉が鎮座しており、火事になってもここを閉じれば、校舎の半分は助かると言われてたが、そんなに上手くいくものだろうか?

校舎の両側には、デカい階段――当然全部木製。

体育館に作られた学校給食の搬入口にものが到着すると、給食当番はこの階段を上って運ばなければならない。

旧態依然の校舎なので、エレベーターなんて洒落たものは存在せず、温食をひっくり返して、温食なしになる悲劇がたまたま発生。

そんなわけで、低学年には、こんな苦行はできないので、1年と2年の教室は1階にあった。

右側階段下には小さなトイレと、校舎左側には、巨大なトイレ舎。

MAX時には全校生徒400人ぐらいいたそうなので、トイレ舎だけあとで増築されたものと思われる。

一応男女用に分かれていたが、高い天井の下で、トイレ個室は全部筒抜け。

男用の小便器は、コンクリの壁を立てただけの代物。

昔の公衆便所はこういう作りが多かったな。

入っただけで、アンモニア臭で目が痛くなるやつ。

トイレ舎の隣には、あとから増設されたと思われる、理科校舎があった。

ここにも、卒業生から寄贈された昆虫標本や生物標本、鉱物標本が並び、家庭科の授業などもここで行われていた。

理科校舎入口脇には、これまたあとから増設されたと思われる、石炭庫。

冬になると石炭ストーブのために、石炭係はここから石炭を運ばなければならない。

苦行だ。

校舎の右端には、体育館。

ここは近年に増築されたと思われ、一部鉄筋だったが、冷暖房などは存在しない。

毎年10月には、学芸会が催されていたが、ある年の10月に大雪になって、氷点下の中暖房もない体育館で行われたことがあった。

そして、体育館の奥には音楽室――増築に増築を重ねられて、こんな構造になっている。

誰もいない廊下を走り、階段で二階に上がると、天井から裸電球がぶら下がっている。

上から下まで全部木製――二階の廊下も総板張りで、教室も板張り。

板の節が抜けてあちこち穴だらけ。

その穴からネズミやヘビが出てきて、大騒ぎになったこともあった。

校舎の外壁も木製の鎧張りなので、蜂の巣ができて被害が出ることもしょっちゅう。

誰もいない校舎で、走り回っていると、7時のチャイムが鳴る。

その頃には、ぼちぼちと他の生徒たちも登校してくるのであった。