軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

215話「イダァル平原の戦い(裏)_01」

イダァル平原での戦いが始まり、あっという間に終わりかけている。

戦場からは遠い位置を、セイメンは御者台で馬を操りながら進んでいた。牽引しているのは小さな箱馬車で、車内には三人しか乗っていない。

向かう先はコダルという町だ。ティアント領では数少ない、それなりの規模の町。街道沿いにあり、イダァル平原の脇をずっと伸びていく街道を進めばティアント領都へ辿り着く。現在は領都から進んでいる形だ。

「……ったく、なにが悲しくてこんな仕事をしなきゃならないのよ……」

不機嫌そうにぶつぶつと呟くのは、御者台の隣に座っているイリアスだ。視線は戦場であるイダァル平原へ向けられており、道の先など見ていない。

「頭から説明が必要か? なにがどうしてこうなっているのか」

「嫌味な男ね、あんたは。上司の性格が悪いと部下にも 伝染(うつ) るのかしら。ちょっと前までのあんたはいちいち皮肉とか言わなかった気がするけどね」

「少し前のおまえは、いちいち愚痴る女ではなかった気がするが」

「上司のせいよ」

「はっはっは。そいつはかなり お(・) 気(・) の(・) 毒(・) だな」

ぬっ、と馬車の前を――御者台側の引き戸だ――開けてにんまりと笑うのは、上司の支配者であるクラリス・グローリアだった。

せいぜい十六歳くらいにしか見えない美しい少女が『グロリアス』の首魁であることには慣れてきたが、まだ彼女にいきなり話しかけられるのは慣れずにいた。

普段は接点がないから構わないのだが、こうして近距離にいると、クラリスは人を選ばずあれこれ話しかけるし、誰に話しかけられても態度を変えない。『短剣の徒』にいた頃の上司やその上の人間であれば、下っ端に話しかけられただけで不機嫌になるなんて珍しくもなかった。

「……ぐぐ……お気遣いに……感謝します……」

牧歌的な村娘の格好をしているイリアスは、とにかく目立たない。よく見れば容姿は整っているのだが、雰囲気が薄暗く、存在感が薄いせいだ。

上司のしごきによって鍛えられた今では、彼女の特徴は磨かれ、魔力を使って『隠形』まで可能になっている。これに関してはセイメンも可能になったが、隠れるという点に関してはイリアスの方がずっと優れているだろう。

さておき、イリアスが非常に気まずそうにしているのは、クラリス・グローリアが苦手だからである。その気持ちはセイメンにも少し理解できる。

自分たちのように物陰で生きてきた者が、きらきら輝く者から見下されずに話しかけられる……なんというべきか、クラリスを汚してしまいそうだ、という感覚が近いだろうか。自分なんかに構わないでくれ、と思ってしまう。

もちろんそれはセイメンの一方的な『判ったつもり』なのかも知れないが、クラリスに話しかけられるたび、イリアスが気まずそうにするのは確かだ。

そして――そんなイリアスが、クラリスには面白いようだ。

「ふふん。そうかそうか、感謝をもらうのは嬉しいものだな。ところで孤児院の子供たちがシロちゃんと遊ぶのに反対しているらしいな?」

にやぁ、と笑みに影が差す。わざとらしい態度だったので怒ったり不快だったりするわけではなく、イリアスの反応を見て楽しみたいだけだろう。それはそれで趣味の悪い話ではあるが、九尾の妖狐の上司なのだから当然だ。

「……だって、シロに魔力を喰われるの、すごい気持ち悪いでしょ……」

拗ねたふうに言うイリアス。

クラリスはその答えを待っていたとばかりに嬉しそうに笑う。

「はっはっは! そういうやつもいるらしいな。おまえもそうだったし、セイメンもそうだったか。子供たちのうち五分の一くらいは同じような感じだったな。魔力的な才能があんまりないやつは、逆になにも感じないらしいが」

「あんなもん、子供の頃からやらせるものじゃないわよ」

「おいおいおい、寝ぼけてるのか元殺し屋? 無限に湧く金や食い物などありはしない。無教養なガキ共に砂糖菓子を腹一杯食わせるために引き取ったとでも思ってるのか? 肥え太った大きな子供をせっせと生産する趣味はないぞ」

「極論だわ……ですよ、それは」

「まっ、別に金なんか稼がなくても食えてりゃいいんだがな」

議題がややこしいところに入りかけたあたりで、クラリスはあっさり話の舵を切った。あまり踏み込むとイリアスが可哀想だと思ったのかも知れない。

釘は刺した、といったところか。

刺さった釘を大事にしてくれるのを祈るばかりだが。

「ぐえっ」

と、不意にクラリスの呻き声がして、彼女の首根っこを掴んだ魔人種の男に気づく。邪魔だ、とばかりにグロリアスの首魁を馬車の内側へ移動させ、それから、馬車の行き先へ視線をやり、ユーノス・グロリアスは言う。

「カイラインが先行しているのだったな。護衛の数は?」

「問題があれば町の入口で獣人が出迎える手はずになっています。護衛の数は、六から十です。増えているかも知れません」

端的な問いだったので、セイメンとしては答えやすかった。

気質の相性なのだろうが、実を言えば上司のカイラインよりもユーノスの方が話をしていて楽だ。なにしろこの男は無駄口を叩かないし、必要なことを必要なだけ話してくれる。九尾の狐は無駄話が多すぎる。

「なるほどな。おい、ギョロ目とお嬢様は無駄骨じゃないのか?」

まだ首根っこを掴んだままのクラリスに問いが向けられる。そんな状態でも全く不機嫌になることなく、クラリス・グローリアは口を開いた。

「アーロゥが予測していた通り、今回のこれは大きな流れの末端だ。つまり、今回のこれを仕組んだやつをも観測しているやつらがいる。ソフィーとヴィクターは観測者、私たちは仕組んだやつら。分業だ、分業」

「落とし所は考えているか?」

「まっ、いくつかはな。どうせ出たとこ勝負にはなるだろうし、相手の出方次第では喧嘩を買うのもやぶさかではない。クソ面倒だがな」

セイメンでは理解の及ばない会話内容である。

いや、よく考えれば理解できなくはないのだが、その理解はおそらく表面を滑っているだけだ。芯というべきか、本質というべきか、そのあたりが判らない。

コラード・ランサムを焚きつけた者。

そいつらに対して、なにをどのようにすれば『グロリアス』にとっての利得になるのか――なんて。そんなことは下っ端の殺し屋には、判るわけもないのだ。

……なんていう思考停止を、あまり許してはくれなさそうなのが、現在の職場においては最も厄介な点である。言われるままに誰かを殺していれば日々が流れる、なんて簡単さは、グロリアスには存在しないのだ。

いずれカイラインのように謀る日が来るのか、来ないのか。

自分にはあまり向いてなさそうだな、とセイメンは思った。

◇◇◇

コダルの町の入口では、獣人が合図に来なかった。

つまり、手はず通りということだ。

事前に決めていた通り、セイメンは馬車と馬を受け入れられる宿へ向かった。当然ながら既に話は通してあるし金も払っている。といっても、払ったのは領主スラックだが、誰が金を出そうがセイメンの懐が痛まないのであれば構わない。

馬車から馬を離し、馬小屋に馬を移動させて水を飲ませ、飼い葉を食わせる。そういえば、と懐から巾着袋を取り出し、中に入っている炒り豆を馬に差し出してみる。判っているじゃないか、とばかりに馬が小さく息を洩らすのを見て、セイメンもまた小さく息を吐いた。

「ランサム子爵家は馬の一門だそうですが、我らがヤマト族も負けていないとは思いませんか? アルトさんなど、馬一頭一頭の好物を把握しているそうですよ」

不意に後ろから声をかけられたが、上司の神出鬼没にはもう慣れてしまった。この黒い九尾の男は、まともに姿を現す方が珍しいのだ。

「さぁ? 馬については詳しくないので、判断ができない」

「おやおや、つまらない返答をする部下ですね。まあ、あまり可愛げがあっても私の部下としては大変でしょうから、構いませんがね」

「気遣いができるとは驚きだ」

「可愛げはありませんが、可愛い部下ですからね。ところでセイメンさん、やはり例の宿に『客』が集まっているようです」

「予定通り、か」

「私は『客』が連れて来た護衛を警戒しておきますので、貴方とイリアスさんは、せいぜいクラリス様の邪魔にならぬようお願いします」

「努力する」

と答えた瞬間には、もうカイラインの姿はなかった。手の平に乗せていた炒り豆もとっくになくなっていて、名残惜しそうに馬がセイメンの手を舐めているのが、少し笑えてしまった。

ともあれ、やることは変わらない。

馬小屋の入口脇で待っていたイリアスがカイラインには全く気づいていなかった様子なのも、まあ仕方がない。苦笑するセイメンに首を傾げるイリアスを半ば無視して宿へ入る。一階で茶を飲んでいるクラリスとキリナ、それを見守っているユーノスに手を挙げて注意を引く。

「予定通り、だそうです」

「なるほど。そんじゃ、行くか」

あまりにも軽い返事だったが、内心など判らない。珍しく自分の脚を使って歩き始めるクラリスにうっかりついて行きそうになって、彼女が目的地など知らないはずだと思い直す。仕方ないのでセイメンが先導することになった。

「目的の宿は、ティアントの外からの出資で経営してる宿って話だったか。例のルルゲーデ商会かな。いろんな領にそういう場所を置いてある、と考えてもよさそうだが、そんな役に立つもんでもないと思うがなぁ」

ぽてぽてと歩くクラリスの足が本当に遅い。宿を出てから三十歩進んだあたりで、しびれを切らしたユーノスがクラリスを抱えてしまった。もはや慣れすぎて当たり前になっているのか、ユーノスの腕の中のクラリスは思案顔のままだ。

「積極的に役立てようというつもりなのでしょうか?」

首を傾げるキリナである。

「まあ、貴族が共同出資してる商会らしいから、慣例っていうのが大きそうだな。たまにこうして使う機会がある、って感じかな?」

「ランサムの当主はいると思うか?」

「おい、ユーノス。もしいたら私は笑うぞ。あんな派手な負け方、ロイスの小競り合いの歴史の中でも初めてだろ。敵を知ろうともせず、普通に正面からぶつかりに行くなんて、度し難い間抜けとしか言いようがない」

それは確かに、その通りだ。

以前の仕事で言うなら、暗殺対象をよく調べるのは当然――というより、当たり前すぎて改めて『そうしよう』と考えることもなかったくらいだ。

ならばコラード・ランサム子爵は極度の間抜けだったと考えるべきか、あるいは間抜けにさせられていた、と考えるべきか。

……指向性を持たせられていた……?

判らないし、現時点では判断不能だ。それにセイメンがわざわざ考えるまでもなく、クラリスが考えて結論を出すだろう。

コダルの端にあるその宿は『白い止まり木』などという、洒落ているのかなんなのかよく判らない名だ。外観は宿というよりは貴族の屋敷に近い。見た目からして高級そうで、貧乏人が間違って宿に入ることは絶対になさそうである。

先頭を歩いていたセイメンがまず宿に入り、受付に座っている女へ目配せする。首肯が返ってきたのを確認し、階段を上って二階へ。

二階に上がると、すぐに談話室というべきか、社交のための空間に出る。ここを通らねば各個室へは行けないようになっているが、その手間は必要なかった。いかにも金持ちで身分が高そうな男が六人、その空間にいたからだ。

うち二人が、おそらく護衛。

さらに二人は、貴族だろうか。

そして残った二人が――アルベルト・グローリアと、ウォルトン・レガリア。

クラリス・グローリアの兄と、レガリア公爵家の三男。

二階に上がって来たセイメンたち……というか、クラリスを見た彼らは、手本のような驚愕を顔に貼りつけていた。

そんな彼らの内心をまるで慮ることなく、グロリアスの首魁はきらきら光る金髪をふぁさりと手で払い、両手を腰に当てて、にんまりと笑んで言う。

「やあやあ、イダァル平原での戦いは楽しかったか? 人生には閲覧席など存在しないことを知っていたのなら、こんなところで物見遊山なんて真似はしなくてよかったはずなのにな。知っている顔もいれば知らない顔もいるが、せっかくだから、こっちから出向いてやったぞ」

「……クラリス……なのか……!?」

ほとんど無意識に口から言葉を垂れ流したのは、アルベルト・グローリアだ。妹とよく似た金髪の持ち主だったが、妹がそうしているような不敵な笑みなど影も形も見当たらない。焦っているし、驚いている。

「さあどうだろうな。アルベルト・グローリアが知っているクラリス・グローリアは死んだはずじゃないか。だからここにこうして存在している私がクラリス・グローリアだとしても――お兄様の知っている私と同一人物であるとは、考えない方がよろしいのではありませんか?」

ぞくりとする、怜悧な言葉遣い。浮かべた笑みは変わらないはずなのに、室内の気温が確実に下がったような悪寒。

さて――この先どうなるか。

もちろんセイメンには予想もつかなかった。