作品タイトル不明
187話「森の民の、森の友_05」
狐の獣人――妖狐は、私が知っている限り、運動能力に秀でた獣人においては珍しく、妖術を使う種族である。
この妖術というやつは、ようするに言い方の問題であり、魔法だろうが魔術だろうが魔導だろうが同じようなものだ。ラプスのような獅子獣人が体内の魔力を動作によって放出するのとは違い、人族や妖狐の場合、魔力を術式によって練り上げて形を作ってから魔法や妖術として放つことになる。
戦闘においてはユーノスのような魔人種たちも魔力を動作に使用することが多い。グロリアスの中では不気味な笑い方をするカルローザが例外的に魔術に特化しているくらいで――というか、あの女は運動が嫌いなだけだが――マイアもビアンテも、曲剣使いのジェイドも斧使いのガイノスも、はたまた立派な鍛冶士になりつつあるラフト少年も、魔術は使えるが魔力は主に動作に乗せている。
何故なら、そっちの方が強いから。
魔法というものは術者が魔力を『これこれこういう魔法にします』と練り上げる一手間が必要だからだ。複雑な効果の魔法であれば、それだけ手間も増えていく。つまり、発動までに時間が必要になる。
地を蹴って一足跳びに十五メートルの距離を接近してくるようなやつを相手に、それではあまりにも遅いのだ。
だからこそ人族は大量の囮を使って貴族が魔法を撃つ時間を稼ぐ、なんて手段で魔族の侵攻に対抗しているのだが――まあ、それはさておき。
妖狐は、これはこれでちょっと特殊だ。
彼ら彼女らも獣人である以上、魔人種たちと同様に動作に魔力を乗せるのは不得手ではない。そして対獣人において妖術を使用する際のアドバンテージは、タイムラグの少なさだ。妖狐の尻尾は魔力を蓄えておくバッテリーであり、同時に魔術を即時発動するための魔導器であり、魔法を増幅させる杖でもある。
……と、思う。たぶん。そんな感じがする。
さておき、私が「とっておきを喰らわせてやれ」と言った次の瞬間には、カイラインはそれでこそとばかりに満面の笑みを浮かべ、九本もある尻尾の一本を、身体ごと ぐ(・) る(・) り(・) と振って妖術を放った。
ふわふわと宙を泳ぐ、黒い塊。
風に流されるシャボン玉――そんな感じの頼りなさで、なにか黒い球体が、でっかい蚕に向かっていく。
と、その光景をぼんやり眺めていた私の襟首をユーノスが引っ掴み、忘れ物の鞄を引っ手繰るような雑さで私を放り投げ、空中で一回転した私を器用にキャッチしながら飛び退いた。アクロバティックすぎて、ユーノスの腕の中に収まるまで私にはなにがなにやらよく判らなかったくらいだ。
「あれは触れると爆発するぞ」
下がれ、とカタリナやラプスやロメオに指示を出すユーノスと、言われるまでもなく退避している三名。
〈クラリス。一体何を……?〉
さしたる危機感もなさそうに蚕のシロが首を傾げる。ふわふわのでかい蚕がきょとんと首を傾げる様子は、結構キュートだ。
「喰らわせてやれと指示した! だから、たっぷり喰らえ!」
ちょっと距離が離れたので、ちょっと声を張ってみた。
やはりシロは首を傾げたまま、焦りもせずに近づいてくる『黒塊』を眺めて……そして、およそ一メートルの距離で爆発――いや、爆発寸前で、 喰(・) っ(・) た(・) 。
推測になるが、おそらく黒い塊が自壊して内側から強烈な妖術が具現化する直前に、妖術を形成していた魔力そのものを吸収した、といったところか。
ぶわぁっ、と余波が周囲の草木を撫でる。シロが吐き出してそこいらに垂れていた糸が大量に千切れて、枯れた森に白い欠片が散らばった。
ちらちらと降り始めた雪みたいに。
アールヴの『友』の居場所に、魔力の糸が舞い落ちる。
「これは――言葉通りに、 喰(・) わ(・) れ(・) ました……か」
予想はしていたがそれでも驚き、みたいな顔でカイラインが呟く。こいつが素直に感情を表に出すのは非常に珍しいので、思わずにんまりと笑ってしまった。
「どうだ、シロちゃん。おかわりは必要か?」
〈これは……クラリス・グローリア。貴方は、これを予想していた?〉
「な、な、な――なにをする!」
アールヴの片方、シェフィードが怒り心頭といった様子で駆け込んできて、かなり私たちに近づいたところで、顔色を変えた。
私は呆然としているもう一人のアールヴ、エリアスに笑いかけながら手招きをしてやる。それでのそのそと歩いて来た女アールヴも、やはりこちらに近づいた時点で、はっと息を呑んで私を見た。
「魔力が……吸収されていない!」
「クラリス・グローリア。これは一体どういうことなの?」
同時に問われるが、答えなんて言うまでもない。
別に引っ張る意味も伏せる意味もないので、ユーノスの腕の中で私はとびっきりのクラリスマイルを進呈してやる。
「だから、 喰(・) っ(・) た(・) んだよ。おなかいっぱいになったから、もうそんなに要らないんだ。それでもちょっとずつは魔力を吸収してるはずだが、ある程度は制御できるようになったんじゃないか?」
なあ、シロちゃん。
言って視線を向けてやれば、シロは木の枝を掴んでいない肢を顔のあたりに沿えて、ムンクの叫びみたいなポーズを取っていた。
〈制御が……できます。呼吸とは別の、違うなにか……〉
「なるほどな。それじゃあ、カタリナ。今度はおまえが軽い火魔法をシロちゃんに放ってやれ。そんなに力一杯やらなくていいぞ」
「え? あ、はい。判りました」
特になにも理解していない様子なのに、カタリナはそれでもほとんど当然とばかりに速射でシロに向けて火魔法を放った。
当然、着弾する直前に魔力を喰われて魔法は解けてしまう。
〈これは……ああ、クラリス。これがワタシなのか。これがワタシなのだ〉
喜びを示すためかふわふわの羽根をちょっとだけ動かすシロだったが、蚕なだけあって、あんまり機敏な動作ではなかった。
「まあ、ようするに飢餓状態に陥っていて防衛本能的に魔力吸収が暴走してたんだろ。おなかいっぱいにしてやれば落ち着くってだけの話だったな」
周辺の草木が枯れているのが、ヒントと言うならヒントだった。それに『友』であるアールヴからも魔力を吸収してしまう、というのも。
シロには、害意なんてなさそうだった。
滅ぶことさえ受け入れてそうな雰囲気だった。
それにそもそも当人……当虫? が言っていたではないか。呼吸を止めることができない、と。
「しかしクラリス様。仮に腹が膨れても魔力吸収が止まらなかった場合、どうするつもりだったのですか?」
当然の疑問を浮かべるカイラインに、私はやっぱりドヤ顔で言っておく。
「そりゃあもう、前言撤回して諦めて、回れ右して帰ったさ」
今のところ、わずかな情はあっても義理はない。
結果オーライである。
◇◇◇
ヒントというか、思考のきっかけはキリナの尻尾だ。
二年前には一本だったのが二尾になり、二年経った現在では三尾となって義母のセレナを歓喜させた妖狐の少女。厳密には狼族と妖狐のハーフなのだが、まあそこのところはどうでもよろしい。
シロは森を枯らすほど魔力を吸収しながら、それでも糸を吐き出し続けていた。魔力が足りないのに、なんで魔力で糸を吐くのだろうか。
本来、蚕の糸とは、蚕の幼虫が蛹になる際に吐く糸のことだ。これを使って繭をつくり、蚕は成虫に変態する。
が、さすがはファンタジー異世界というべきか、蚕の成虫としか見えないシロは、糸を吐き出していた。さて、どういうことなのか?
なんてことは考えるまでもなく、やはり当人が最初に言っていた。
そう――〈 ワ(・) タ(・) シ(・) た(・) ち(・) になにか用?〉と。
シロが吐く糸とは、つまり直接的に蛹を産んでいるのだ。幼虫という過程を経ずに、絹糸で覆われた蚕の蛹を産んでいる。
何故か。それはもちろん生存本能だ。死にかけてるから子を残す。生物としては比較的当然の本能で、しかし残念ながらシロは一頭しかいない。ファンタジー異世界なのでそのあたりは完全に推測だが、蚕には雄雌があるのだ。
よって、本能的に子を残そうと糸を吐き出していたが、雄雌のどちらかが欠けているので子蚕は産まれなかった。
けれども本能的にシロは子を産んでいるつもりなので、意識的か無意識的かはさておき、この枯れた森の中での自分を『ワタシたち』と認識していた。
そういうわけで、とりあえず腹一杯にしてみた。
〈ああ――なるほど。ワタシたちは、ワタシだけだった。悲しいな〉
ぽつりと呟くシロだったが、そこまで悲嘆に暮れているわけでもなさそうだ。
一日三十回くらい腹筋してたけどタンパク質とってないから意味なかったなぁ、くらいの調子に聞こえた。本当のところはどれくらい悲しいか知らないが。
「まあ、考えてみれば最初から子は産めてなかったんだから、産んだ子が片っ端から死んでたわけじゃないって捉えることもできるだろ」
雑でデリカシーに欠ける慰めを言ってみれば、シロは普通に〈そうだね〉と同意してくれた。情緒が緩やかなやつのようだ。
「いや、しかし……何故、おなかがいっぱいになれば『友』の食事が収まると考えたのだね? それに、僕たちは以前、かなり近づいて何人かの仲間が瀕死になったことがあるが、それでも『友』の食事は止まなかったのだが」
「んー……別に私も全知全能じゃないからな。いくつか考えられるが、ひとつはアールヴの魔力は相性がよすぎたのではないか、という線だな。喰った傍から ひ(・) り(・) 出(・) し(・) て(・) しまったんじゃないか? おまえたちの仲間が死にかけたとき、シロが吐き出す糸の量が増えなかったか?」
「それは……そう、ね。確かに、その通りだわ」
頷くエリアスに、私もドヤ顔で頷いてやる。マジで当てずっぽうだ。それっぽいことを言ったら当たっただけ。
「あとは、そうだな。そっちの妖狐もかつては尻尾が少なかったはずだ。それが今では九本もある。成長するってことだ、成虫になった後でもな」
これもドヤ顔を維持しつつ、適当なことを言っておく。
実際のところ、私は昆虫博士でも魔物学者でもないので、シロの生態については予想する以上のことはなにもできないし、あまりするつもりもない。
とりあえず、試してみた。上手くいかなくても、時間は無駄になったかも知れないがそれほど損はなかった。でも、なんだかんだ上手くいった。
〈クラリス。さっきの話は、まだ有効?〉
枝の上でもにょもにょと身体を動かしながらシロが言う。
「もちろん。というか、この場所にいつまでも留まっていたら、また腹が減って周囲の魔力を喰うことになると思う。だったら私のところに来て、シロちゃんが暮らす環境を用意した方がいい。代わりに私たちはシロちゃんの吐く糸をもらう」
別にまだ吐き出せるんだろ?
そう訊いてみれば、答えは肯定。
〈ワタシとしては、たまに吐いておきたい。子を産んでないのは残念だったけれど、糸を吐いていないのは、なんだか気持ちが悪い〉
「まあ私も気分よく笑ってないと気分悪いからな」
「ということは……やはり『友』は連れて行くのね?」
エリアスが言って、ちょっと困ったような顔をする。隣に立っているシェフィードも、以下同文みたいな顔だ。
そういえばこいつらは所属しているアクウィアスの意向に逆らってシロを助けようとしたのか。なんか上手いこと誤魔化してきた、みたいなことも言っていた気はするが、そのあたりは、他人事だ。
「そうだな。ここに留まっていても、おまえたちにとってもあまりいいことはないだろう。ちなみに言っておくが、おまえらは村だか里だか知らんが、ちゃんと帰って『友』が消えたことを説明しておけよ」
万が一にもアールヴの仲間がグロリアスの連中に拉致された、なんて展開になるのは嫌だ。面倒くさい。
「いや、それは……しかし、そうだな。その通りだ」
「貴方に感謝をするべきなのでしょうね、クラリス・グローリア」
殊勝に頭を下げるアールヴ二人に、ユーノスに抱えられたままの状態で私はにんまりとクラリスマイルをプレゼント。
「別に、たまに遊びに来るくらいなら構わんぞ。もしかしたらこっちが困ったら、頼るかも知れないしな。問題ないようならアクウィアスの連中に私たちのことを説明してもいい。問題がありそうなら黙っておけ」
「ええ。そうするわ。小さな指導者が魔境の端にいると、その指導者がつくった集団があると、親切な者たちだと、それとなく伝えておく。感謝するわ、クラリス・グローリア。私たちの『友』のこと、ありがとう」
〈ワタシからも感謝を。そして『友』たちにも、感謝を。諦めないでくれて、ありがとう。これからは、クラリスの元で糸を吐く〉
「いやはや……あっという間の出来事だったが、『友』よ、息災で。そしてクラリスとその仲間たちにも、改めて感謝を」
「うむ。それじゃあ帰るか」
言って、私はことの成り行きをぼけっと眺めているロメオを手招きする。呼ばれたロメオはちょっとだけラプスと目を合わせてから、素直に近づいて来た。
「おまえはシロちゃんを頭の上に乗っけてやれ。たぶん、人族のおまえが一番、シロちゃんの魔力吸収に鈍感だ。あんまり魔力を使うなよ。喰われるから」
「え? え? まあ、いいですけど」
戸惑いは見せつつも嫌がりはせず、ロメオは言われたとおり、頭の上にでっかい蚕を乗せてくれた。はっきり言ってめちゃ間抜けな絵面だった。
「ふははは! なんか面白いぞ、ロメオ!」
げらげら笑う獅子姫だったが、同感だったので私はなにも言わなかった。
〈すまないね、人族の少年。ワタシは、移動するのは得意じゃない〉
「いいすよ。軽いし、感触いいし。うんことかしないでくれれば」
と、ロメオは言った。
シロは少し考えてから〈ちょっとなら糸を吐いてもいい?〉と返した。それでまたラプスが笑い出したが、見ればカタリナもカイラインもちょっと笑ってた。
いつもこんなオチなら、私としても文句なしなのだが。
いつもこうとは限らないのが、なんともアレなところだ。
「さて、それでは戻るか。そいつの住処をつくって、糸の使い道を、おまえはあれこれ思いついているのだろう? さっさと形にするぞ」
ユーノスが締めてくれたので、それで私たちは枯れた森を去ることになった。
雪みたいに散っていた糸の欠片たちが、気まぐれに吹いた森の風にまた舞い上がり、枯れているせいで上空が開けた森の一角に降り注ぐ陽光を受けてキラキラと輝いていたのは、なにかしら象徴的だな、なんてことを思った。
もちろん、ちょっと思っただけだ。