作品タイトル不明
154話「ティアント領との顛末_04」
「それにしても――相変わらずですね」
敗北者ブリッツ・オルス・ロイスが出て行った扉を眺めながら、なんとなくの沈黙を噛み締めていると、レクスがぽつりと呟いた。
女豹の大きな瞳は真っ直ぐに私を捉えているので、どうやら私、クラリス・グローリアのことを評したようだ。
「相変わらずとは、この私の美しさのことか?」
違うだろうな、と思いつつ、自慢の金髪を手でふぁさりと払ってドヤ顔を決めてやる。もちろんレクスは大きいリアクションをとってくれない。
はぁ、と溜息をひとつ。
それから、ぽつりぽつりと雨粒が落ちるような声音で、レクスは言う。
「以前は私が泣いても喋りたいことを喋り続けたでしょう。貴女は人の嫌がることを言うのが本当に得意ですね」
そういえば――そんなこともあったか。
あのときは私の良心がガッツポーズを決めていたわけだが、涙を流した当人がそれなりに根に持っていたのは、ちょっと意外だった。
「懐かしい思い出だな。私の説得に涙を流しながら謝罪の言葉を口にしたおまえを、私はとびっきりの優しさで許してやった」
「過去を捏造しないでください。あのときの貴女には、優しさなど一欠片たりとも感じませんでしたよ」
「人の嫌がることをするやつには配慮をしないことにしてるんだ」
にんまりと、クラリスマイルをプレゼント。
レクスは注意して見ないと気づかない程度、わずかだけ口端を持ち上げた。
「それは重畳な心がけだが、交易に関しての考えはあるのか?」
情緒を解さないカマキリ顔のおっさんが言った。
隣に座っている甥カマキリの方は全然喋っていなかったのにやたら疲れた顔をしているが、おじさんカマキリの方は疲労などまるで感じさせない。役者の違いなのかも知れないし、単に心がないだけかも知れない。
「ひとまずは交易をするための交易をすることになるだろうな。具体的には、ヴォルトが必死こいて開通した魔境の道の整備を、そっちとこっちの共同でやる。こっちの人員をティアント領軍に貸し出す形にしてやった方がいいだろう」
「人族側が借りる形か?」
「おまえらが作った道だし、ちゃんと整備しないと魔境の魔物が道を辿って人里にやって来るぞ。一応言っておくが、こっちはそんなに困らない」
「では、こちらが借りる形にしましょう」
横からスラックが口を挟んだ。いや、むしろレオポルドが挟んでいた口を取り返した形か。主体はどう考えてもスラックで、しかし主導権は誰が考えてもレオポルドにある、という面倒な状況だ。
「まずは交易路の整備を共同でやって、お互いのことを知るところからだな。それと平行で、あれこれ細かい物の売り買いをすればいい」
「ひとまずは、やってみるところから、でしょうね」
「いや、それ以前にやることがありますよ」
挙手したのはカマキリの甥っ子――ヴィクター・イルリウスだ。
その場の全員から注目を受け、しかしさほど怯む様子もない。
たぶん、今までも気後れして黙っていたわけではないのだろう。
口を開く必要がないと判断していたのだ。
下手に喋って『放蕩王子』の記憶に残ってもいいことなどひとつもないだろうから、正解だ。あいつの恨み辛みは、たぶん私とレオポルドに向かっている。スラックに対しては、むしろ制御しきれなかった自分自身にこそ苛ついてそうな気はするが……おそらくヴィクターに対しては、悪感情を抱いていない。
これは悪く捉えるなら『侮られている』ということになる。ブリッツからさほどの高評価を得られていないという意味だ。
しかし視点を変えるなら、むしろかなり優れた立ち回りと評せる。
ヴィクターは言う。
「まずはティアント領軍とイルリウスの黒甲騎士団で、ゴルト武装商会を排除しなきゃならん。クラリスのお嬢様が関わりを拒否した以上、これは絶対だ」
「ふむ」
「続けろ、ヴィクター」
頷く私とレオポルドに、ヴィクターは一瞬だけ嫌そうな顔をしてから「こほん」と咳払いをひとつ。それから、続ける。
「基本的には黒甲騎士団の数を見せるだけでいいはずだ。ゴルト武装商会は損得で動くからな。王子様が連中に対してなにをどう伝えるかは判らんが、撤退させること自体は、そう難しい話じゃない」
「一掃するのが難しい、ということですか?」
合いの手を入れる女豹レクスに、ヴィクターは普通に頷いた。やはりこいつもレオポルドと同様、獣人に対する差別感情みたいなものはないようだ。
「ああ。俺なら解散すると見せかけてティアント領に諜報担当の人員を残すね。連中とブリッツ王子の関係についてはよく判らんが、利得を考えるならこっち側に尻尾を振る目も残しておく。あるいは損得を度外視して『グロリアス』に対する復讐を考えていても全くおかしくないだろう」
「襲撃に対する反撃に対する復讐か。笑わせてくれる」
「だが、あんたも『やられた』ならムカつくんだろ?」
「自業自得なら自制くらいはするぞ」
「その理性はあんたの美点かも知れないな」
苦笑を見せるカマキリの甥っ子に、私はうっかり普通に微笑んでしまった。
何故ならこいつは私の外見的な美しさを褒めなかったからだ。こいつは、私が美少女であることに全く価値を見出していない。まあ、こいつにその手の価値を見出されても困るのだが、美少女とは困っちゃうものなので仕方がない。
なのに――ヴィクター・イルリウス。
私はせっかく微笑んでしまったので、そのままの笑みを維持したまま、場の全員をぐるりと見回し、ぱんっ、と手を叩いた。
「まあ、いろいろ詰めるところはあるが、ひとまずは落着といったところだな。ところでレオポルド侯爵。今回の件で、最も褒めるべき人物は誰だと思う?」
「貴様以外で、か?」
「賞賛ならさっき受け取ったよ。だいたい、おまえと私の関係性だと褒める褒めないじゃないだろ。逆に私から褒められたいのであれば、考えないでもないが」
「貴様はどう考えている?」
レオポルドは感情を見せない無表情で私に問い返す。照れ隠しなのかツンデレなのかは判らないが、自分の口から言う気はなさそうだった。
ので、私は改めてクラリスマイルを浮かべ直し、カマキリの甥に向き直る。
「おまえだ、ヴィクター・イルリウス。おまえが今回の件で、最も賢く立ち回った。おまえがレオポルドを呼ばなかったら、この状況にはならなかった。自分では手に負えないと判断し、その判断に従って、打てる手を打つ。これは意外と誰にでもできることじゃない」
「……お、俺――わ、私、ですか……?」
めっちゃくちゃ嫌そうに唇の端を引きつらせるヴィクターだった。
私はまたうっかり普通に微笑んでしまう。
「砦の前で私たちと交渉したときもそうだったろ。自分じゃ手に負えないからとレオポルドに投げた。最初から丸投げしたわけじゃなく、手をつけてみて、手の打ちようがないと判断した。判断だ。おまえの判断は、優れている」
「……そいつは……はは……恐縮です……ね……?」
見る見るうちに顔色を失い、冷や汗を垂れ流す。
まったく、私のような美少女を相手に怯えるなんて、失礼なやつだ。
ああ――いや、こいつは私の美しさには興味がないのか。
「だから、だ。レオポルド・イルリウス」
「なんだ?」
「ヴィクター・イルリウスを、私たちとティアント領とイルリウス領からの援助、この三者の間に置いて、あれこれ判断させろ。立場と責任をくれてやれ」
「奇遇だな、私もそう考えていた」
するりと頷いたレオポルドの唇が、ほんのわずかだけ笑みを形作っていた気がするのは、たぶん気のせいではなかったはずだ。
「それはいい。今後とも、よろしく頼む、ヴィクター殿」
にっこりと笑うスラック・ティアントだったが、同じ穴の狢を見つけた喜びが含まれていたのは、これも気のせいではないだろう。
「…………」
しばらくの間、ヴィクターはなにも言わなかった。
が、別に誰も気を遣ったりしなかった。
◇◇◇
そこからは、本当にざっくりした指針の確認。
私たち『グロリアス』は集団としてのフットワークが軽いので、相対的にあれこれ手順を踏む必要があるティアント領やイルリウスの黒甲騎士団に予定を合わせることになる。といっても、いいように使われるつもりはないが。
まずはヴィクターが言ったように、ゴルト武装商会の排除。これは黒甲騎士団が主導になり、ティアント領としての判断を盾にして領内から追い出す形になる。応じなければ一戦交えることになるが、その可能性は低い。数の問題で、ゴルト武装商会に勝ち目がないからだ。
獣王プラド・クルーガの『獣王国』については、主にグロリアスの後ろ盾となり、彼らは彼らでスペイド領と交易をしているので、私たちが造る通貨とロイスの通貨を導入することになるだろう。
金の概念を導入すれば、人を貸すことで金銭を得られるようになる。獣人同士ではあまり浸透しない概念だろうが、人族と関わるのであれば、これ以上に判りやすい共通言語はない。獣の共通言語である『暴力』では、人族と意思の疎通が難しいのだ。金を介した方がはるかに話が早い。
ともあれ、結局のところ、動き出してみなければ判らないことだらけだ。
案ずるより産むが易しとはよく言うが、ひとまず動いてみないと問題すら浮かび上がってこないのだ。どうせいろいろ不具合と不都合が起きる。しかしそれらはひとつひとつ解消していけばいい。そういうことだ。
これからどうなる?
そんなことは、判らない。私にも判らないし、たぶんレオポルドにも判っていない。レクスにだって、もちろんプラドにだって判るはずがない。
とにかく、目の前にやるべきことがあり、そのすぐ後ろには様々な提案があり、動き出すための足と時間がある。
いや――ひとつだけ判っていることがあったか。
レオポルドの目的を、達成させてやらねばならない。
そう、『癒やしの聖女』の奪還である。
交渉がまとまったのだから、人質は解放して然るべきだ。
なんだか憂鬱な気になるのは……気のせいだろう。
たぶん。