作品タイトル不明
152話「ティアント領との顛末_02」
「まったく、あたしの出番なんてなかったじゃないか。クラリスのやつに任されて、ちったぁ真面目にやってやろうって気になってたのにさ」
「そんなことを我に言われてものぅ。カイラインが出張って来るとは思ってもいなかったのでな。貴様、一体どういう風の吹き回しなんじゃ?」
「いえいえ、吹いたのは臆病風というやつですよ。私としても、グロリアスが好きですのでね。いられなくなるのは寂しいというものですから」
「……お主、やはり見ておったのか?」
「はてさて、なんのことでしょう?」
「なんの話だか知らないが、狐のお二人さん、生き残りには気づいてるかい?」
凍った森の中を、世間話をするような調子で会話しながら、狐獣人が二人、魔族が一人、歩いてくる。
それを――アーロゥ・グラーデは、立ち尽くして眺めているしかなかった。
先程の魔力の爆発による、いわば凍波のようなものが、視界の全てを凍らせている。木々も葉も、生い茂る雑草も、倒木も……全てに霜が張り付いており、一瞬前まで極低温に晒されていたのが判る。
ほとんど奇跡的に魔力衝撃を免れたアーロゥではあるが、こちらへ歩いてくる三人の姿を認識しても、動こうという気になれなかった。そんな気概が湧かないし、判断として、無意味なのが理解できる。
どうしようもない。
あれは、自分では対処不能だ。
二百人の部隊で間違いなく最高戦力だったアーロゥをもってしても、狐人の一人ですら相手にできないのが理解できる。それが三人。逃げようとしたところで無駄だし、おそらくは命乞いだって通じない。
ここで、終わりか。
ははは――と乾いた笑いが口から洩れるが、そのことをアーロゥは意識しなかった。胸の内にはちょっとした悔しさがあり、それ以外の部分では、まあ自業自得かも知れないな、という諦めがあった。
胸を張れるような人生ではなかったが、胸を張って生きてきた。
過去の自分が見れば唾棄すべき現在を生きている自覚もあったが、それでもそうすると決めて生きてきたのだ。このように死ぬことくらいは、仕方がない。
ただ、これが『放蕩王子』の策だったのが悔やまれる。
ベルク・ゴルトの指示であったのなら、悔しさの比率はあとわずかだけ少なかったはずだ。そのことだけが、心残りだった。
「ええ、もちろん。ここは私に任せていただけますか?」
狐人の一人が薄ら笑いを浮かべながら言って、残り二人が足を止める。
背の高い、九本の尻尾をもつ、狐獣人。
金色に近い茶の髪と、細面。薄い唇が胡散臭い笑みを形作っていて、そういうところには、少しだけ親近感が湧いた。
――九尾の狐、だと?
はっとして、思い返す。その存在をアーロゥは知っている。直接目にしたわけではないが、アーロゥの部下が、この戦よりも以前に取引をした人物だ。
名は、カイライン……だったか。
ゴルト武装商会から鎧を購入したという獣人。
そいつは歩調を変えず、浮かべた笑みもそのまま、ほとんど無警戒とさえ言えるような調子でアーロゥのすぐ近くまでやって来ると、ほんの一瞬だけ、笑みを消した。光を反射しない深すぎる穴のような、無表情。
「おやおや、ゴルト武装商会の支店長、アーロゥ・グラーデさんですねぇ」
三日月を横に倒したような笑みを浮かべ直し、九尾は言う。
なんだって自分の名が知られているのか……この狐が知っていたのか、あるいはグロリアス陣営に知られていたのか……判らない。グロリアスが知っているのは、会談に参加したベルク・ゴルトだけのはずだ。
あるいは、彼らが人質にとった『聖女』から情報が漏れた? だが、口頭での説明だけで、アーロゥを判別できるものなのか?
先だって全滅させられた六十名の中から、誰かが拷問にかけられた?
いや、そんなことを考えても判るわけがない。情報が少なすぎる。
アーロゥは脳裏を空転する思考をひとまず放棄し、いつもそうしているような、商人らしい笑みを、どうにかつくってみせる。
「これはこれは、九尾の……カイライン殿、でしたか。私のような小間使いの名など、一体どこで耳にしたのでしょうか?」
「あっ、別に貴方と舌戦を楽しむ気はないので、悪しからず」
言って、カイラインの腕がさっと動いた。
次の瞬間には、アーロゥの足下がガチガチに凍りついている。下手に身動ぎすれば足首のあたりから乾いた木の枝みたいに折れそうな、そういう凍り方だ。
「私と取引をした相手はスペイドの貴族を名乗っていましたが、さて、どうして私が取引相手をゴルト武装商会だと判断できたのか。クラリス様は察しているでしょうが、そもそもこちらの優位はそこからなのですよ」
「……は?」
「いえ、ただの独り言です。ロイス王国の第二王子でしたか。ゴルト武装商会は第二王子と懇意にしているようで、まあおそらくは互いの利害関係なのでしょうが、考えてもみればスペイドの貴族を名乗ってわけの判らない狐人と取引をする必要が貴方たちにあったのかといえば、おそらく、ない」
なにを言っているのかが、ようやく見えてくる。
事態の最初――あんな砦が建てられるより、ずっと以前の話をしているのだ。
「となれば、別の誰かの意思があったと考えられる。誰か? 言うまでもありませんね、第二王子です。では、何故か? 第二王子はどうして見ず知らずの狐に、三十もの鎧を売ってやりたかったのか。私が持っていたアールヴの秘石なんぞ、真贋を判断できる者がいたとは思えない。まあ、本物でしたがね」
「何故か……」
「鎧を使うのなら、戦うために決まっているでしょう。第二王子は、前獣王ランドール・クルーガに死んで欲しかったのですよ」
「……それは」
「とても手に負えない。おそらくはそう考えたからですね。あんなものが突っ込んできて、無事でいられるとはとても思えなかった。そういうことなのでしょう」
そこについては同感ですがね、と九尾は肩を竦める。
はたしてそうなのか? そうだとして、それは、どうして? いや、そもそもどうして第二王子は、その前獣王の存在を認知していたのか。そして、その獣王が死んだとして、一体なんの利がある?
いや、それは考えるまでもない。獣人の領域に武力政変が起きれば、獣人の領域全体のいわば国力が下がる。その隙に――
――獣人の領域に、侵攻したかった。
「まあ、目論見が成功しようがしまいが、獣人の領域でなにかしらが起こることは想像に難くない。隙を突ける、と考えたのでしょう。わざわざ『スペイドの貴族』を名乗ったのも、スペイド領に潜んでいた間者が獣人の動きを察知できればいい、という措置です。あっ、ちなみに例の死体ですが、実はゴルト武装商会の協力ではなく、第二王子の部下が用意してくれましたよ」
クスクスと声を洩らす。
楽しさというよりは――おそらくは、愉しさが故に。
もちろんアーロゥには『例の死体』などと言われても意味不明だ。
が、たぶんこの狐は、そもそもアーロゥに向けて言葉を発していない。
「別に貴方たちを利用してもよかったのですが、私と貴方たちとでは別に利害関係が一致しませんからね。獣王ランドールの力を削ぐために新鮮な死体をひとつ提供してくれと言えば、二つ返事でしたよ。まあ、接触したのは『影』でしたが」
「……それは、貴方とブリッツ殿下の利害が……」
「まっ、その当時は、ですがね。私としてはなんとしても成し遂げたかった。その後のことなど知りませんでした。しかし、今となっては――自分の尻くらいは、拭いておこうという気にもなりますよ」
「貴方は……」
一体なにがしたいのだ。
そう訊きたかったが、答えてくれる気がしない。そもそもカイラインはアーロゥのことなど見てもいないのだ。見ているようで、見ていない。視線の先にあるのは、ならば一体なんなのか……それだって、まるで判らない。
理解不能。
ぱっと見れば似ているような気もするのに、理解が及ばない。
いや、あるいは。
似ているような気がするのが、気のせいでないならば。
「貴方は――」
と、もう一度、アーロゥは口を開いた。凍りついた足下には感覚などなく、頭だってまともに動いている気がしない。習性のようななにかがアーロゥに笑みをつくらせ、習慣のようななにかが口を動かす。そのように、生きてきた。
「――カイラインといいましたか。貴方は、子供の頃の自分が、今の自分を見たときに、なにを言うだろうと考えたことは、ありますか?」
問いの意味が理解できなかったのか、九尾の狐はきょとんと目を丸くして、意外そうに首を傾げた。
視線が合う。
この狐と、ようやく対峙したような感覚。
「子供の頃の自分、ですか?」
「ええ。私はね、そりゃあ、普通の子供でしたよ。善きモノを良いと考え、悪しきものを憎む、普通の子供でした。なのでね、今の私を見れば、子供の頃の私は、おそらく怒り狂うでしょう。どうしてそんなことになっているんだ、と」
「なるほど……」
「ですがね、カイラインさん。私は特に後悔なんぞしていないのです。子供の頃の私は、そりゃあ怒るでしょう。しかし謝る気にはなりません。選んだからだ。選んで、勝ち取ったからだ。そして今、負けて失う」
「ふむ」
頷き、カイラインはさしたる感慨もなさそうな調子でさっと腕を振った。
次の瞬間には、凍りついた両足が砕け散る――そんな予感とは裏腹に、凍気が解けて、感覚のなくなった足に激痛が走る。
立っていられず、アーロゥはその場に跪く……どころではなく、あまりの激痛に地面へ転がって足を抱えるような体勢になった。
「ぐ……っ! うぅ……ぁ!」
「ちなみに『スペイドの貴族』を名乗っていた貴方たちがゴルト武装商会だと判っていた理由ですが、取引後に尾行したからですよ。そのくらいはします。なにかしらの意図があって、私のような怪しい狐に鎧なんて売ったのですから、その意図がなんなのか、探るくらいはします。当時は目的がありましたので、その邪魔になるようであれば――ね」
「……づ、だ……ったら、……今の、貴方、には……?」
痛みを堪えながら、問いを口にする。
どうしても訊きたかったかは、自分でも判らない。
「子供の頃の私は、不思議でしたよ。どうして。どうして。どうして。なにもかもにどうしてと。ひとつ判れば十が判らなくなる。あまりに不思議で、夜に泣き出すような子供でした。今の私を見れば、やはり『どうして』と思うでしょう」
特に笑いもせず、カイラインはまたさっと手を振った。
今度は何処を凍らせるのか、と思ったが、特になにも変わらない。ただ、一瞬前まで感じていた激痛が、止まった。
「ああ、別に治したわけではありませんので、動かさないのをオススメします。どうにか一人くらいは人質に取りたかったので、貴方が生きていてくれて、助かりましたよ。まともな戦力でいてくれて、感謝ですね」
まさかほぼ全滅とは、とカイラインは苦笑する。
どうやらこちらの戦力は、むしろ過大評価されていたようだ。
「そいつを人質にするのかい?」
魔族の女が、少し距離を置いた位置から声をかけてくる。
九尾の狐人はどこからか取り出した縄でアーロゥの両腕を縛り上げ、荷物のようにアーロゥの身体を担ぎ上げて、答えた。
「ええ、まあ。彼なら話も通じるでしょう。利害関係を考えられるでしょうし、それだけで生きているわけでもなさそうですし」
「信じるのかい?」
「いえいえ、そんなまさか」
莫迦らしい、とばかりに肩を揺らすカイライン。当然、担がれているアーロゥも揺れてしまうが、痛みは感じない。
「ではセレナさん、狒々獣人たちに撤収の合図を。ビアンテさんは念のために生き残りがいないか検索を。まあ、おそらくいないでしょうが、念を入れるに越したことはない。私はこの男を担いで、砦まで戻りますので、二人は狒々獣人たちと共に、拠点へ引き上げてください。第二陣はおそらくありませんが、警戒は怠らないようお願いします。よろしいですか?」
「あんたの指示に従いたくない、って気持ちの問題以外は、よろしいよ」
「我も同感じゃな」
「いやはや、嫌われたものですねぇ」
何故だか嬉しそうに言うカイライン。まるで嫌われる方が気楽だとでもいうようなその態度に、わずかだけ親近感を覚えてしまう。
かつては、きっと、こうではなかったのだろう。
アーロゥと同様に。
もちろん、本当のところなど、知る由もないが。