作品タイトル不明
151話「ティアント領との顛末_01」
「ああ……これは、無理ですねぇ」
アーロゥ・グラーデは目の前の惨状を眺め、呆然と呟いた。
惨状――そう、まさにひどい有様。
木漏れ日さえ薄いほど深い魔境の森には、いくつもの死体が転がっている。死体なのか判別のつかないモノも転がっていたが、動かないのでたぶん死んでいる。
これが、仕事の結果だ。
ゴルト武装商会の支店長、アーロゥ・グラーデの、仕事の結果だ。
◇◇◇
例の『放蕩王子』の要請を受け、兵を二百人も引き連れて魔境の森を北上、ある程度進んだ当たりで西へ進路を取り、敵の本拠地を探し当てて台無しにしてやるのが目的だった。ようは汚れ仕事である。
ゴルト武装商会の中でもどちらかといえば事務方、支店長であるアーロゥがわざわざ出張った理由はふたつ。これがブリッツ・オルス・ロイスの要請だったこと、そして敵の状況が予想できなかったこと。
規模感に関しては、砦の兵力を鑑みても全体で千人にも満たない集団なのは予想できた。予想できなかったのは彼らがなにを有しているのか、という点だ。
獣人の領域にあんな砦を建てられるのだから、技術力と資源力はあるはず。なのに開戦してしばらく経っても敵に援軍がない。
つまり、人的資源に欠けている集団である可能性が高い。
であるなら、ゴルト武装商会の荒くれ者だけで部隊を構成してしまうと、敵の物的資源をも台無しにしてしまう可能性も高くなる。よって敵の値踏みと判断をするために、アーロゥ・グラーデが駆り出されたというわけだ。
援軍を寄こせないような連中の、本拠地である。
先だって六十名の武装商会員が全滅させられたという報告は受けているが、いかんせん砦に近すぎた。こちらが本拠地を狙う動きが読まれていて、砦の戦力を当てられたのだ。それならば六十人程度では全滅させられても仕方がない。
そういうわけで、今回は二百人。
この規模での軍事行動ともなればイルリウス領からやって来た黒甲騎士団に訝られたが、ブリッツ王子の命令であると言いのけて魔境へ向かった。
獣王軍は砦に集結しており、彼らは『グロリアス』の本拠地を守ろうとする動きを見せていない。であれば、今こそが狙い目だ。
魔境の森は深く、この人数での行軍は骨の折れる仕事だった。
しかし道中のアーロゥはそこまで気落ちしていたわけではない。あんな砦を建てられる物的資源の由来が気になっていたからだ。アーロゥ自身は目視していないが、連発してくるほどの弩砲を備えていたというし、砦の外壁もブリッツ殿下の魔力矢を防ぎ切る堅牢さだったとのこと。
はっきり言って、金になる。
ならないわけがない。ことによっては金脈だ。
そう思いながら、アーロゥたちは魔境を進んだ。
◇◇◇
普段の移動であれば、アーロゥは馬車の中で部下の報告を受け、指示を出しているだけ、ということが多い。そういう立場であり、逆にアーロゥが下働きのような真似をすると商会の規律が乱れる。自分でやった方が早いと思っても、部下にやらせるのが上の立場の役割だ。
とはいえ、こうして魔境の森を進む場合は、さすがにそうもいかない。
部隊の大半を先行させ、アーロゥも自らの足で森を歩く。頭と口だけで支店長の地位に就いたわけでもないので、不満もあまりなかった。
森を進むのは難儀ではあったが、それだけだ。疲れ果てて歩けなくなる、ということもなく、部隊の様子を確認しながら森を進んだ。
予想では、クラリス・グローリアはエスカードの魔族戦の際に魔族の生き残りを引き連れて西へ向かったはず。
ということは、エスカード辺境領の位置あたりまで北上してから進路を西へ取れば、クラリス一行の進路に合致するはずだ。このあたりは勘と経験則だが、しばらく森を進んだその速度から逆算して「だいたいこのあたりだろう」という地点で西へ折れることにした。
魔境の森が深いせいで、夜営の際に周囲の樹木をいくつか切り払い、その樹木を利用して即席の櫓を建てることになった。翌日に昇った日の位置から方角を割り出すためだ。こういった機転はゴルト武装商会で揉まれていれば、自然と利くようになる。この程度の機転が利かねば、支店長など夢のまた夢だ。
兵の多くは直属の部下というわけではなく、荒くれ者を多く選んだが、彼らの誰もアーロゥを見くびらなかった。
彼らも商会員である以上、知っているのだ。ゴルト武装商会で支店長になるということが、どういうことか。
自慢でもなんでもなく、二百名から成るこの強襲部隊において最高戦力はアーロゥ・グラーデだ。
伊達で『武装商会』などと名乗っているわけではない。
襲われる方は気の毒だが、しかし気の毒だからやめておこうとは、微塵も思わなかった。やれと言われて、やらねばならない以上、やるだけ。あとはどれだけ上出来にするか――そのようにアーロゥはゴルト武装商会でのし上がってきた。
きっと幼い頃の自分が、現在の自分を見たとしたら、激しく嫌悪するだろう。ろくな死に方をしない、と吐き捨てるに違いない。
けど、やるのだ。
今となっては良心の呵責すら、それほど感じない。
そう――それほど、は。
◇◇◇
魔境の森は濃密で、木漏れ日さえ珍しく感じるほどだった。
山林でないのは救いだが、それでも乱雑に立ち並ぶ樹木や生い茂る雑草、頻繁に進路を塞ぐ倒木や、雨が降った際に水が流れているであろうぬかるみが行軍の速度を遅らせてくれる。ただし、それらの遅延は最初から見越してあり、結果的にはおおよそ計算通りの距離を進んでいるはずだ。
そう、そのはず――森が深すぎて正確には判らないが、そのはずだ。
計算では、あと丸一日も進めば敵の本拠地に辿り着くだろう。
適当なところで夜営をはさみ、部隊の中から斥候を選んで偵察させることになるだろう。こちらは敵本拠地の位置も規模も判っていないのだ。
もし手に負えないほどの大拠点であれば、即座に撤退するべきだが――残念ながら、その可能性は低いだろう。
であれば、やはり虐殺と蹂躙、そして強奪の時間になる。
正直、好きな仕事ではない。
しかし好きなことばかりをして生きていられるわけもないのだ。特に、アーロゥのような者がこのまま生きていくのであれば。
手は汚れ、魂までもが泥に浸かり、部下の手を汚させて、魂を汚濁に沈めて、それでも――それでも、このようにして生きると決めた。
胸の内、過去の自分が熾した火は、未だ消えていないのを自覚する。
商会員の少なくない連中が、たぶん似たようなものだ。そうでなければこんな仕事をする必要がない。生まれた農村で畑を耕している方がよほど健全だ。生まれた町で父親の仕事を継いでいるのが当然で、みんなそうやって生きている。
アーロゥはそのように生きられなかった。それだけの話だ。
思わず洩れた苦笑を、曖昧に首を振ってごまかした。誰にというよりは、自分自身に対して。過去に熾した胸の内の火なんて、思い出すだけで照れくさい。
まして今の自分は、過去の自分を裏切っているようなもの。
こんな汚れ仕事で心を痛めなくなるなんて、昔は考えられなかった。
散漫な思考に、どうやら魔境を進む疲労が出ているのだな、と他人事のように理解が及ぶ。ならば少し早いが部下を休ませた方がいい。
前を歩いている部下に停止を命じようとして――、
部下の首がぶち切られていることに気づいた。
「しゅ――襲撃! しゅうげブガッ――!?」
誰かが敵襲を報せるために叫び、その叫びが途中で掻き消された。
意識を切り替える。敵襲。ならばどうして部隊の後方を歩いていたアーロゥたちが襲われたのか。接敵したのであれば、先行している部隊が会敵して戦闘になるはず。しかし、そうはなっていない。
まず殺されたのが、アーロゥの前を歩いていた部下なのだ。
ということは――待ち伏せされていた!
「拙い……っ!」
なにを呑気に思い出なんか噛み締めていたのだ。もっと注意深く気を払っていれば、敵の待ち伏せに気づくことができたかも知れないのに。
アーロゥは己自身への罵倒を噛み殺し、背の高い雑草の群へ飛び込むようにして、地に身を伏せた。同時に腰の後ろから短剣を抜き払う。
背中に地面。
上を見れば、無数の樹木が織りなす枝葉の天幕。
その中を――なにか、影が走った。
獣人だ。どのような獣人かは、動きが速すぎて判らない。だがそいつ――いや、 そ(・) い(・) つ(・) ら(・) は、木々と木々の間を、反射でもしているかのように移動していた。
その動きが、速すぎる。
あっ、と思ったときには影が上から降りて、部下の首を毟り取っていた。歩きながら、ちょっとした木の実でも摘まむかのように。
首を失った部下が、倒れる。
おそらく猿の獣人。木々の間を飛び跳ねながら移動し、目標の死角から襲いかかる戦法だ。数は多くない。せいぜい四から七。
立ち上がり、アーロゥは今まさに首を捥ぎ取られる寸前の部下を蹴り飛ばし、そのついでに獣人の首を狙って短剣を滑らせた。
が、猿はこれをするりと避ける。余裕、ではない。動作の端に焦りと驚愕が見えた。このような反撃を想定していなかったからだ。
とにかく――残存兵力を掻き集めて、反撃もしくは撤退をしなければ。
アーロゥに蹴り飛ばされた部下が立ち上がるのを視界の端で捉えつつ、短剣の一撃を避けた猿獣人が再び木上へ跳び上がるのを確認。魔術師が生きていれば、そこら中の樹木を燃やしてしまうのが手っ取り早いが、その場合は作戦は失敗だ。
いや、そんなことを言っていられる状況か?
失敗くらい構わない。生きていることの方が重要だ。
そう、判断した。判断して、部下へ指示を出そうとした。
次の瞬間――、
―― ぽ(・) っ(・) 、 ぽ(・) っ(・) 、 ぽ(・) っ(・) 、
と、中空を、光る小さな塊が……ふよふよと、漂ってきた。
風に流される綿毛のような覚束なさ。なのに途中で地面に落ちることもなく、樹木に当たることもなく、ふわふわと――、
「全員伏せろ!!」
思考より先に命令が口を衝いた。
そしてそれより先に、アーロゥ自身が伏せていた。
瞬間――圧倒的な魔力が迸る。
ぞっとするような魔力圧。人が飛ばされるような暴風だとか、耳を塞いでも無意味なほどの轟音だとか、そういう類いの、魔力の『波』。それが伏せているアーロゥの感覚全てに襲いかかり、次いで強烈な冷気が来た。
寒いというより、痛い。
そして痛さなんて即座に麻痺した。
なにせ、森の一角が凍りついているのだ。
ついさっきまで土と緑の濃淡が全てを覆っていたはずなのに、それら全てが凍っている。細い草や枝などは粉々に砕けてしまい、白い欠片を撒き散らして中空を白く霞ませている。本当に、ただの一瞬で――この有様。
半ば呆然と、無防備だと判りきっているのに、アーロゥはそれでも我を忘れたまま立ち上がり、凍った世界を眺めて、空々しく笑ってしまった。
凍った中、向こうから、敵が歩いてくる。
尻尾の多い獣人が二人。
おそらくは魔族であろう人物が一人。
先程まで木々の上を飛び回っていた猿が、数人。
他にも、なんだかよく判らないが、何人か、いた。
「ああ……これは、無理ですねぇ」
忘我の中、自分の口がそんな科白を吐き出したのが、ひどく可笑しかった。