作品タイトル不明
134話「癒やしの聖女④_03」
十日が経過し、その間に二度の戦があった。
といってもミゼッタは戦いの様子を見たわけではないし、ブリッツ陣営の陣所にいたときのように作戦会議に参加させられたわけでもないので、怪我人がやってきてその治癒を頼まれてようやく「戦があった」のを知ったくらいだ。
一度、肩や背中や太腿から矢を生やしたゾンダ・パウガが自分の足でミゼッタの部屋を訪ねてきたことがあった。
「前に出過ぎた」
むっつりと不機嫌そうに呟いてミゼッタの前に仁王立ちする猪獣人は、とても大きくて恐ろしく、同時に奇妙な愛嬌もあった。
彼について来たコボルトが突き刺さった矢を抜き、患部をミゼッタが治癒魔法で治していく。人族だったら十三本も射られたらとっくに死んでいるだろうに、猪獣人の身体は本当に頑丈だ。
「おめぇは、怪我を治したやつに『クラリスをどう思うか』と聞きまくっているそうだな。どうしてそんなことを聞く?」
十三の穴を塞がれたゾンダは、ぎろりとミゼッタを睨んで言った。
ミゼッタは特に隠すこともないので、素直に考えを口にする。
「私には、クラリス様のことが判らないからです」
「判らない?」
「ゾンダ様は聞いているか知りませんが、クラリス様の元婚約者が、クラリス様を捨てて私を拾いました。クラリス様には貴族に必要な『魔法の才』がなかったからです。そうして貴族たちは『クラリスは元々貴族ではなかった』と言い張って、彼女を火刑に処すことにしたそうです」
「人族の世界では、貴族が強いってことか」
クラリスを襲った理不尽に、ゾンダは嫌悪も怒りも見せなかった。強い者が弱い者を好きにできるのは当然だ、とでも言わんばかり。
ある意味、世界に対する覚悟が違うのだろう。弱いまま生きられることを全く信じていないのだ。
「『強さ』の基準が、たぶん貴方たちと違うのでしょうね」
「だろうな。いろんな『強さ』がある。クラリスは間違いなく弱い。だが、俺たちの中では、あの小娘が最も強い」
にんまりと満足気にゾンダは笑う。
「つまり――ゾンダ様は、クラリス様を『強い』と思っている」
「おめぇは凄いと思うぜ。聖女だかなんだか知らんが、こうもあっさり治しちまうようなやつは、きっと人族にも滅多にいねぇんだろうさ」
返答とは微妙にずれたことを言うゾンダ。ミゼッタは黙って続く言葉を待ち、ゾンダは少しだけ沈黙を挟んでから、口を開く。
「だが、おめぇは弱い。判ってんだろ? おめぇの凄さは、おめぇ自身を助けない。誰かに流されるまま、自分の好きに生きることができない」
そんなものは、強さとは言わない。
無論、それくらいのことは既に知っている。
「……誰だって、自分の思うままに生きられるわけじゃ、ありません」
ミュラー家に見出されなければ、ミゼッタは実家の農村から出ることなく治癒士として村人を癒やし続けていただろう。今となってはそれがやりたかったのかと言われれば、もう判らないけれど。
考えてみれば、村人たちだってそうだ。特に若者なんかは、農村で一生を終えたくないと村を出て行くこともあった。彼らや彼女たちが自分の望んだ人生を生きられたかどうかは怪しいものだとミゼッタは思う。
ほとんどの人は、弱い。
それは別に恥じることじゃない。
「かも知れねぇな。俺だってそうだ。こんな図体と力を持ってんのに、獣王様を楽しませることも、死なせないこともできなかった」
巨大な人型の野獣が、寂しさを噛みしめるみたいに呟く。
種族も性別も生き方も違うのに、同じようなところはあるのだな、とミゼッタは小さく笑ってしまう。だってそんなの、笑うしかないじゃないか。
◇◇◇
ミゼッタが拉致されてから十四日が経過した。
着の身着のままで拉致されてしまったので着替えなどないが、その点に関してミゼッタは困っていない。治癒魔法の中に『浄化』という魔法があり、指定範囲を清潔にする効果がある。
旅をしているときも、陣所で待機しているときも、今こうして拉致された砦の中でも、ミゼッタは定期的に自分の身体や衣服を『浄化』していた。
「ふ、ふふ、不思議ですね。その『浄化』の魔法って……ふひひ!」
と、魔人種の魔法使いカルローザ・グロリアスが奇妙な笑い方をしてミゼッタの『浄化』を評した。
割り当てられた部屋には、常に代わる代わる誰かが配置されていたが、最も多くいたのは彼女だった。
ほとんど顔を隠すようなぼさぼさの長い髪に、変な喋り方と笑い方。同じグロリアスの、例えばユーノスが身の内から発する自信というものが、カルローザにはちっとも感じられなかった。
「不思議……ですか?」
「だ、だって、雑巾とかで汚れ、拭きますよね? あたしは掃除とか、えへへ……全然しないですけど……机とか綺麗にしたら、雑巾が汚れるじゃないですか。なにかを綺麗にするためには、別のなにかを汚さねばならない……なんちゃって!」
ふひひ! とカルローザは一人で楽しそうに笑い、はっと気付いたふうに笑いを引っ込める。黙ったまま続きを待つミゼッタは、カルローザのこういうところに最初は驚いたが、最初から嫌いではなかった。
「『浄化』で綺麗にした汚れは、一体何処に行くのか、という話ですか?」
「そ、そう! きらきら~って光って、ぱっと綺麗になって。じゃあ、綺麗にするために取り除いたモノがあるはずじゃないですか。どっかに丸めてポイッて捨ててるわけでもないし……何処に消えてるんですかね?」
独特の言語感覚ではあるが、こういう話をするときはあまりつっかえることがないカルローザだった。
ミゼッタとしては気にしたことのない着眼点だったので、新鮮な気持ちにはなったが、気になるかといえば……別に気にならなかった。
そもそも、どうしてミゼッタの治癒魔法がそんなに強力なのか、ミゼッタにもよく判らないのだ。
「四属性魔法とは違う魔法の体系っぽいですし、魔力の使い方がだいぶ違うと思うんですよね。経路? 回路? 魔力の流れが、攻撃魔法と全然違う。魔法の練習をしたことがある人の方が、たぶん治癒魔法を使うのが難し――ヒェッ!?」
いきなり奇声を上げるカルローザに、ミゼッタは思わずびくりと肩をすくめた。その直後に扉が開かれ、絶世の美少女が楽しげに笑いながら現れる。
クラリス・グローリアだ。
会うのは十日以上ぶりになる。
「やあやあ、私だぞ。大人しくしてくれたどころか、仲間の治癒までしてもらって有り難い限りだ。いつまでも馴れ合って過ごしていたいものだが、そういうわけにもいかないのは、まあ、ちょっとは残念だな」
「……クラリス様」
本当に残念に思ってくれているのか、ミゼッタには判らない。そしてそのことよりも『そういうわけにいかない』と言ったことの方が重大な問題だった。
ミゼッタが誘拐されてからも、ブリッツ陣営は二度も砦を攻めている。
当然ながらミゼッタが拐われたことを知らないわけがないので、ブリッツ・オルス・ロイスは『癒やしの聖女』が殺されても仕方ないという立場で砦の襲撃を継続したことになる。いずれにせよ、ミゼッタを奪還するためにクラリス陣営と交渉しようなどとは考えてもいないはずだ。
……いや、そもそもの問題として、ブリッツ側は『獣人の砦』にクラリス・グローリアがいるだなんて、まだ知らないのではないか。
「刻が来たぞ。待った甲斐があった。敵の増援だ」
ついて来い、とクラリスが踵を返して部屋を出る。
拉致された翌日には部屋から出て食事広場で食事を取るようになっていたので、砦の内部を歩くのは初めてではない。
が、外壁へ上ってみるのは、初めてだ。
とても突貫工事で建造したとは思えない、石造りに似てはいるが、石を積んだのとは全く違う、奇妙な壁。その上は、人が歩くには十分以上の幅が確保されており、ジャックがいつだか報告したところの弩砲らしき兵器が並んでいた。
上から見下ろせば――物凄い人数が、ひとつ向こうの丘に陣を成している。
百や二百ではない。全軍の六百?
いいや、もっと――もっとずっと多い。
敵の増援。
さらに増やして来た、ということだ。
「千五百くらいは足しただろうな。こうなると偵察もままならないが、三日前くらいには陣所からは溢れかえって、魔境の出口あたりで野営していたらしいぞ」
一体なにが楽しいのか、ひどく愉快そうにクラリスは笑う。
外壁の上から敵軍を睥睨するその瞳には、怯えなど欠片も見当たらない。
こんなもの、流されるしかないじゃないか。
そう思う。誰だってそう思うに違いない。どんなに強い人がいたって、ここまでの人数差になってしまえば、呑み込まれないわけがない。
なのにクラリス・グローリアは、この流れをこそ待ちわびていたとばかりに、楽しそうに、嬉しそうに、にんまりと口元を歪めている。
「これで交渉の舞台に立てる。待ってろよ『放蕩王子』。おまえ程度の思惑なんぞ、雑に踏み潰して鼻で笑ってやるからな」
敵軍の遥か向こうを眺めてクラリスが呟く。
あまりにも眩しくて、ミゼッタは泣きそうな気持ちで目を細めた。