作品タイトル不明
130話「砦を巡る攻防_07」
アレはいつのことだっけ、とマイア・グロリアスは頭の片隅で考える。
そう、あれは『反獅子連』の軍勢がオークの村にやって来たときのことだ。粉塵爆発とかいう現象を試してみたいと言い出したクラリスが、食料倉庫を自分ごと爆破し、屋根より高く吹っ飛ばされ、地面に落ちた。
「あんな吹っ飛ばされて平衡感覚を維持してるやつはどうかしてる。上も下も右も左も判らないまま、ぐるぐる回ってるうちに地面とぶつかるに決まってる」
すごく痛かったぞ、と笑っていた。
あの死なない少女は、こと直接戦闘に関しては本当に弱い。たぶんコボルトにだって勝てやしないだろう。なのにクラリス・グローリアは卑屈になることなく、いつだって胸を張って楽しそうに笑っている。
ユーノスを強くしたのも、クラリスだ。
もちろんそれは修行をつけたとかそういうことではない。魔人種の魔力の使い方について、クラリスがちょっとしたことをユーノスに告げた。そこからはユーノスが日常的に絶え間なく研鑽し続けたというだけだ。
もっとずっと幼い頃から、マイアはユーノスに勝てなかった。
ユーノスは族長の子供だったし、マイアは女だったから――そんなふうに割り切ることも、きっとできただろう。でもしなかった。棒切れを振り回していた頃、それが木剣に代わり、勝てないのが悔しくて槍に持ち替えて、本当に数えるくらいはユーノスを負かすことができたけど、負け越していると言っていい。
そして今ではもう、手が届かない。
吹き飛ばされていた自分の身体が、上昇の頂点へ達したのをマイアは自覚する。ほんの一瞬だけ、この世の全てから解き放たれたような浮遊感。一瞬後には落下が始まるだろう。そんなことは判りきっている。
判らないのは――手が届かないのに、強くなるのを諦めない自分自身。
あの少年剣士だってそうだ。咄嗟にマイアを真上に吹き飛ばす? 魔法使いではなく、剣士が大出力の『剣撃』を放って? 冗談じゃない。人の努力をなんだと思っているんだ。どいつもこいつも、楽しそうに先を歩きやがって。
目を開く。
槍は握っている。
平衡感覚は生きている。
見れば潜伏していたユーノスが姿を現し、少年剣士の大剣を切断していた。ユーノスの剣は少年剣士みたいに派手な光を撒き散らさない。集中しているからだ。魔力を全て身体の中に、剣の中に、凝縮して込めているからだ。とてもではないが、マイアにはそこまでの集中なんてできない。
それでも――もういいや、なんて思わない。
マイアは槍を強く握りしめ、宙を舞った状態で身を捻り、背中のあたりに指向性を持たせた『爆圧』の魔術を使用した。レガロに教えてもらった魔術だが、さすがに当人ほど上手くは使えない。視界内の任意空間へ即時発動はできないが、身体のすぐ近くなら、かなりの速度で発動させることができた。
ボ(・) ン(・) ッ(・) 、と今度は地面へ吹き飛ばされる
同時に握りしめていた槍にありったけの魔力を込めて――ぶん投げる!
マイアはユーノスと違う。動作の全てに繊細な魔力操作を乗せることなんて無理だ。どうしたって余分が出る。力んでしまう。だからせめて、槍にだけは、余分なく魔力を込められるように努力した。
――無音。
空気を裂く音すらなく、まるでその場所に瞬間移動でもしたかのように、穂先が突き刺さる。
狙いは、少年剣士の土手っ腹。穂先が刺し貫いたのは、しかし地面だった。
つい一瞬前に大剣を切断された少年が、その驚きを噛み締めることすらせず、驚異的な反応速度で身を退いたのだ。
一足跳びで、後ろに。
それが、十五歩分くらいの移動になっている。
一瞬遅れてマイアが槍の元へ着地する。地面に突き刺さった槍の柄を握って少年剣士を睨みつけるも、敵の視線はあまりマイアを捉えていない。視界内には入れているようだが、意識しているのはユーノスの方だ。
そりゃそうよね、と笑ってしまう。
だけど、本気で槍を投げたらちゃんと避けたのだ。喰らえば危険だと判断した、そういうことだ。無駄でも無意味でも無力でもない。
「……そうか、おまえらが獣人に協力してたってことか。父上の仇とか言ったな。エスカードの生き残りか」
苛立たしげに呟き、少年剣士は予備のものらしき直剣を腰から抜き払う。
マイアも地面に突き刺さっている槍を抜いてぐるぐると回し、穂先を少年剣士へ向けて笑う。以前はこんなとき、絶対に笑わなかった。今は違う。
「戦場から逃げ出した卑怯者が、こそこそ裏で獣人と手ぇ組んで、あれこれ画策してましたってわけだ。なるほどな、だったら大して怖くねぇよ。あんな立派な砦を建てたのはすげーけど、中身がおまえらじゃ、話になんねーぜ」
挑発だろう、へらへらと嘲笑を見せる少年剣士に、マイアは特になにも答えなかった。呑気にお喋りをしていい手合じゃない。
接近が早すぎる。
剣撃が強すぎる。
魔力防御が硬すぎる。
なるほど、これだけの手札が揃っていれば、ユーノフェリザの族長――ユーノスの父親であるヤヌス・ユーノフェリザを殺したというのも、嘘ではないのかも知れない。大剣はユーノスが断ち切ったが、予備の剣でもマイアを殺すには十分だ。ことによっては剣が小さくなったことで、より厄介になった可能性もある。
「泣き言を言わないのは、褒めてやる」
ユーノスが口を開く。
おそらくマイアと違って、喋っていても十分に対応できる自信があるのだろう。黒い魔剣の切っ先を動かさぬまま、嘲りも侮蔑も見せずにユーノスは続ける。
「そちらの内情を、こちらは少々だが知っている。だから『癒やしの聖女』を奪いに来た。今回の侵略とは無関係だ、などとほざいてくれるなよ? この場所にいるというだけで、おまえたちも同類だ。誇りも大義も持たない侵略者が、薄汚い獣人と敗走者の魔人種になにをされようが、文句を言えた筋合いではないだろう」
「ったく……こんなことなら、ヴィクターもブリッツも無視して、こんな場所からオサラバしておきゃよかった――」
――来る!
槍を構えるマイアの眼前へ、ほとんど瞬きひとつの時間で少年剣士が出現する。剣と槍の間合い差など、こんな速度で接近されては意味がない。
胴抜きの、横一線。
いっそ惚れ惚れするくらい速く強い横薙ぎを、いつの間にか滑り込んできたユーノスの魔剣が弾く。バキィン、という金属音と共に『剣撃』に込められていた魔力が光を伴って飛び散っていくのが見える。
その間隙を――突く!
どのような攻撃であれ、余裕を見せていたユーノスが弾くに決まっているとマイアは割り切っていた。どうせマイアには少年剣士の一撃を受けきれない。であれば、ユーノスが狙われようが、マイアが狙われようが、やることはひとつだ。
どっちにしたってユーノスが弾く。
だからマイアが刺し穿つ。
さっきは避けられた。
今度は剣を振ってしまった隙を狙ったから――なんて、簡単じゃない。
少年剣士は右手の剣を横に払い、その横薙ぎにユーノスが割り込み、魔剣が上方向へと横薙ぎを弾き上げた。その隙をマイアの槍が穿つ。相談もなしの即興としては完璧な連携だったのに、少年剣士が剣を弾かれた勢いに逆らわず、その場でぐるりと身を 螺子(ねじ) らせて、空いている左手に魔力を込め、槍の穂先を横から叩いて無理矢理に逸らしてみせた。
追撃は、ユーノスが先。
少年剣士の横薙ぎ、弾いたのはユーノス、その隙にマイアの突き、さらに少年が避ける。当然、隙が出来る。右から右には剣を振れない。手を使ったなら戻さねばならない。ユーノスの魔剣が逆袈裟に、少年剣士を両断、
しない。
身を捻った動作の流れに逆らわず、少年剣士はそのままぐるりと回転して、左腰の剣の鞘をユーノスの斬撃に搗ち合わせ―― ぎ(・) ゅ(・) る(・) ぎ(・) ゅ(・) る(・) とさらに回転しながら吹っ飛んでいく。鉄の鞘に魔力を込めて切断を免れたのだ。つい先程、自慢の大剣が切断された経験を即座に生かした形か。
ダンッ! とまるで地面を蹴るような強引な着地。
距離は――今度は十二歩分。
こちらを射抜く少年剣士の眼差しに殺気が宿る。今度は本気の一撃が来る。砦の外壁に撃ち込んだような、冗談みたいな剣撃が撃ち込まれるのをマイアは覚悟する。死ぬ気で逸らさねば、まさに必死だ。
「そこまで。人質を取りました」
声がした。
いつの間にかマイアたちのやや後方に立っていた九尾の狐が、腕の中に抱いた人族の女を見せびらかすようにして宣言する。
小屋の中にいた女――『癒やしの聖女』だ。
「黙れよ。ミゼッタ姉ちゃんなら致命傷さえ避ければ自分で治癒できる。人質にしたいってことは、殺したくないってことだ。殺しちまったら人質として使えない。痛めつけるには向いてないぜ、その女は」
「それは当人ならそう割り切るかも知れませんがね。少年、あなたは彼女が傷つけられるのを見たくないのでしょう?」
にたぁり、と厭らしく笑うカイライン。
少年剣士は嘲るような顔を見せた。
「話を聞いてねぇのか? その女は、自分で自分を治癒できるんだよ。傷を付けてもすぐ治す。下手すりゃ首を斬っても死なないんだぜ」
「眠っていても?」
カイラインがまた嗤う。そういえば『聖女』からなんの反応もないと思ったが、どうやら妖狐の妖術で眠らせたようだ。セレナもそうだが、妖狐が使う妖術は、精神に干渉するものが多いようだ。
「別に趣味ではありませんが、指先から肩に向かって輪切りにしても構わないのですよ。私の術が効いている間は、それでも目を覚ましません」
「……やってみ……九尾……? 九尾の狐? 強盗野郎か?」
「呆れますね。まだそんなデタラメを信じ込んでいるのですか? あんなものは第二王子とフォーサイスが共謀した捏造ですよ。まあ、ゴルト武装商会と私が接触したのは事実ですが、その事実は御存知ではない?」
「……知るかよ」
「っと、そろそろ人も集まり始めましたね。『爆圧』の魔術は音が響きますから、ここいらが限界でしょう。少年、とても悔しそうでしばらく見ていたいのは山々ですが、博打に出られても困りますので、朗報をお伝えしましょう」
「……あぁ?」
「あなたは『癒やしの聖女』を殺されたくない。そうですね? 仕事か私情かは知りませんが、人の死を願うよりもよほど健全です。ところで我々は負けるつもりなどありませんが、もし負けるくらいなら人質なんて殺してしまうでしょう。それはあなたにとっては良い報せとは言い難い」
でしょう? とカイラインは目を細める。
この妖狐の話に耳を傾けてしまったのが、少年剣士にとっての敗北だ。こうなってはもはや術中。妖術ではなく、その話術で獅子王殺しを成し遂げた狐だなんて、人族の少年には知る由もないだろうが。
ちらりとカイラインの後ろへ視線を向ければ、いつの間にやらレガロがそこまで後退していた。相手が相手だけに、かなりの徒労ではあるだろうが、少なくとも得物が届く範囲から離れていたのは、判断としては正しい。
「それのなにが朗報なんだよ。今ここで殺してやろうかクソ狐やろ――」
「 我(・) 々(・) は(・) 勝(・) ち(・) ま(・) す(・) 」
大声を出したわけでもない、ごく普通に吐き出しただけの言葉が、少年剣士の殺意を消した。
「こちらが勝てば、この可憐な少女の命など、奪わなくて済む。そのためには人質として必要なので、持ち帰らせていただきます」
「……冗談だろ? どんだけ立派な砦だろうが、人族の数に勝てるわきゃねーだろ。魔族の集団でさえ、本気を出さなくたって殺しきれるんだぜ?」
「ロイス王国でしたか。国家が一丸となって我々に襲いかかるのであれば、それは勝ち目が非常に薄いでしょうね。しかし――今回は、たかが第二王子だ」
余裕ですよ、と片目を瞑る。
胡散臭さしかないのに、どうしてだか無視できない言葉の厚みがあった。そもそもマイアだって『癒やしの聖女』を人質にとってどうするかなんて知らないのに、カイラインが知っているとは……いや、知らされてはいなくても、考えたのか。
それが何処までクラリス・グローリアの思惑と一致しているかは判らないが、この狐は戦術的意味合いではなく、戦略的な価値として『聖女』の強奪が有用だと考えているのだろう。
「さて、兵が集まり始めましたので、本当に時間がなくなってきました。では少年、我々が万が一にも殺されてしまわないように、途中まで付き添いをお願いします。 あ(・) な(・) た(・) の(・) 目(・) 的(・) と(・) 第(・) 二(・) 王(・) 子(・) の(・) 目(・) 的(・) は(・) 違(・) い(・) ま(・) す(・) からね。第二王子は『癒やしの聖女』が人質にされるくらいなら、殺してしまおうと考えるでしょう」
護衛をお願いします。
そう言ってのけたカイラインの表情は、本当に愉しそうだった。
ちょっと少年剣士が気の毒になるくらいに。