作品タイトル不明
122話「癒やしの聖女③_02」
状況はジャックの語った通りだった。
治癒の最中だったので返事すらしなかったが、ミゼッタの耳には届いていたし、情報として咀嚼はできていた。
森を抜けると獅子王の妹を名乗る娘を中心とした少数の獣人が待ち構えており、部隊長のヴォルトがこちら側の言い分を告げた。当然だが獣人側が大人しく土地を明け渡す道理もなく、騎士団が獣人たちへ向かって前進した。
獣人たちは迷うことなく後退。それもかなりの速度で。『部隊』となっている二百六十からの騎士団では追いつけなかったが、追わない理由がない。
そして彼らは見た。
頑(・) 強(・) な(・) 砦(・) を。
伝令と斥候を小隊ひとつを護衛に陣所まで戻るよう指示したヴォルトは、やや迷ってから全軍を突撃させた。なんて愚かな、と思わないでもないが、彼らには彼らの任務があり、なにもせずに戻るわけにもいかなかったのだろう。
が、当然のように失敗。
外壁の上に設置されていた弩砲による連射を受け、部隊は壊滅状態。あろうことか敵の獣人に撤退を促され、ティアント領騎士団は為す術もなく敗走。部隊長であったヴォルト・クラウスは弩砲の矢を受け、生死不明。
「なんったる失態だ!」
バンッ、と会議用の長机を叩きながら怒鳴ったのは、騎士団長だった。中年で、やや小太りの、これまでミゼッタが貴人の治癒をするために屋敷を訪れた際、何度か目にした『権力者にぶら下がる者』と印象は変わらない。
「一体誰が責任を取るつもりだ!? えぇっ!? このような無様を晒し、敵にただの一撃すらも与えられずに敗走だと!? 恥さらしめ! クラウス副団長もとんだ間抜けの無能だったな! さあ、誰が責任を取る? 貴様か? それとも貴様か!?」
自らの大声に反応して怒りを高めるような調子で、騎士団長は会議用の天幕、そこに集められた番号付きの隊長を順繰りに睨みつけていった。
昔の自分なら――と、ミゼッタは思う。
この騎士団長のような『偉くて怖い人』を前にしたら、きっと震え上がっていたに違いない。物事を考える余裕など失われ、ただその場で固まることしかできなかったはずだ。それは具体的に想像できた。
何故なら『偉くて怖い人』は、こちらの命運を自由にできるからだ。
そんなの、目の前に強大な魔物が現れるのとなにも変わらない。
「伝令に戻った小隊と小隊長はまあいいだろう。だが貴様らは――」
「まあまあまあ、少し静かにしてくれたまえよ騎士団長殿」
大声で怒鳴っていた騎士団長を、さして声も張らずに『放蕩王子』ブリッツ・オルス・ロイスが制した。
そうやって他者の言動を止めるなんて呼吸するように当たり前、そんな感じ。
言葉を止められた騎士団長は、怒気の余韻のせいか一瞬だけブリッツ殿下を睨みつけてしまったが、すぐにはっとしたふうに諂いの笑みを顔に貼り付ける。
「こ……これは失礼しました、第二王子殿下」
「別に山の向こうに相手がいるわけでもあるまいし、そんな大声で話さなくとも聞こえるよ。それに――」
波打つ銀髪を小さく揺らし、その場の全員を見回してからブリッツ殿下はニヤァリと笑う。美形なのに全く美しさを感じない、冷血の微笑。
「――責任というのなら、当然それは責任者がとるべきではないかね。そのための責任者ではないか。現場責任者であるヴォルト・クラウス副団長は……おおっ、生死不明だったか。それでは彼の責任を取れる人物は一人しかいないね」
冷血の瞳が、騎士団長を射抜く。
己の命運を握られた小太りの中年は、小刻みに身体を震わせていた。
「……わ、私が……? なにを仰るのか……殿下の言うことは、私には少々、その……理解が……」
「ほう? 僕の簡単な言葉ですら理解できないと? そのような無能がよもや騎士団の長として君臨しているとは、まったく嘆かわしい限りではないか。ならば無能にでも唯一できる仕事をさせてあげよう」
「むの――私が、無能ですと……?」
「責任を取りたまえよ、騎士団長殿」
ぱ(・) ち(・) ん(・) 、と指が鳴らされる。
ほぼ時差なく、天幕を斬り裂いて何者かが侵入してきた。同時にミゼッタの隣に立っていたジャックがミゼッタを庇うように立ち位置を変える。
その何者かは、あっという間に騎士団長を後ろ手に拘束し、騎士団長の頭を会議用の長机に叩きつけて動きを封じてしまった。
「なっ、なっ、――何者だ、貴様!? おまえたち、この曲者を――」
「莫迦かね、きみは。いや失礼。愚かで無能だったな。莫迦なのは言うまでもなかった。しかしね、いくら『放蕩王子』といえども第二王子である僕が、護衛もなしにあちらこちらをふらふらできるとでも思うのかい? 影の一人や二人、常に控えているに決まっている」
もはやブリッツの表情に冷血さなどなかった。そこにあるのは、見下しですらない無感情だ。つまらないものを視界に入れてしまったな、という……。
「拘束したままスラック殿の元へ連行しろ。事情の説明は……そうだね、伝令として最初に戻って来た君たちがついて行きたまえ。その無能が逃げ出してもつまらないのでね、くれぐれも丁重に頼むよ」
命運が、転がっていく。
ブリッツの言のまま、影と呼ばれた者――男なのか女なのか、それすら判然としない人物だった――と、伝令に回った者たちが、騎士団長を連れて天幕を出て行ってしまう。
会議室の端に立っていたヴィクター・イルリウスが、特徴的なギョロ目をさらに剥き出しにしてブリッツを見ていたが、はたしてなにを考えているのか。レオポルド侯爵の甥である彼もまた、第二王子殿下には震えるしかないのだろうか。
「おっと、騎士団長も副団長もいなくなってしまったな。では、さしあたり第一小隊の隊長をやっていたきみ、きみが指揮権を持ちたまえ。いや、なにもきみを部隊長にして再び獣人共の領域を攻め落とせと言っているわけじゃないさ」
今度は爽やかに見える微笑を浮かべ、ブリッツは自分の隣に立っている女アールヴ、マリエル・サン・フォーサイスをちらりと一瞥した。
「もちろん、彼女の屈辱は晴らさせてもらおう。我らがロイス王国の、ティアント領の客分を、あろうことか暴行した野蛮な獣人共にくわえてやる手心など存在しない。こんなこともあろうかとね、僕は呼んでいたのさ」
頼もしい味方を、ね――。
そう言って、また笑う。
美しいのに美的でない、とてもとても邪悪な笑みだった。
◇◇◇
「機を窺ってとっととずらかろうと思っていたが、こりゃあ無理だ。ノヴァ、悪いが領主の都まで引き返してメイドの二人を連れてイルリウス領まで戻ってくれ。そんで、叔父上殿に指示を仰げ」
ミゼッタに用意された天幕まで戻り、しばらく黙り込んでいたヴィクターは、きつく絞った雑巾からさらに水を絞るような顔をして言った。
つまるところ、今は状況に流されるしかないという意味だ。それはミゼッタが有能さを見せつけてしまったせいでもあるだろうが、いずれにせよ『放蕩王子』がミゼッタたちを逃がしてくれるとは思えなかった。
邪魔なら最初から排除されている。
あの冷血な微笑を見てしまった今となっては、それはもはや確信だ。
「構わないが、俺一人の方が早くイルリウス領に戻れるぞ」
「誤差だ。どうせ一日二日では往復できん。だったらカルナ・レーガントとニオミ・アリオスを人質に取られる危険を回避したほうがマシだ。俺やおまえが気にしなくても、聖女サマが気にする」
肩をすくめるヴィクターに、ノヴァは首肯を返す。
「了解した。状況を、イルリウス侯爵に伝えればいいんだな? 俺ごときが直接面会できるとは思えん。書状のひとつでもくれると助かるが」
「要らん。屋敷の誰かに『聖女の護衛』だとでも言え。それで叔父上殿に直通するはずだ。そのあたり、あの人は立場よりもはるかに腰が軽い」
「……了解した」
繰り返し頷き、ノヴァは誰になにを言うでもなく天幕を出て行った。おそらくそのまま魔境を引き返してティアント領の都まで走破するつもりなのだろう。
「それからジャック。おまえは――」
「ミゼッタ姉ちゃんの傍にいる。戦場には、もう出ねぇよ」
先回りして答えるジャックの口調は硬かった。この少年剣士が軽妙さを崩すのをほとんど見たことがなかったので、ミゼッタはやや驚いた。ヴィクターも同様のようで、ギョロ目の上にある眉をくいっと持ち上げていた。
「なんだよ。そんな意外か?」
「まあ、な。おまえさんなら、今度こそ砦の外壁をぶっ壊してやるなんて言い出してもおかしくないと思ってたからな。説得の手間が省けて助かる」
「……第二王子は、たぶんまだ『敵』をナメてる」
ぼそりと呟くように、ジャックは言った。
口調の重さよりもミゼッタが気になったのは、『獣人』と言わずに『敵』と言ったことだ。確かに、報告によれば随分と立派な砦があって、弩砲で矢を撃ち込まれたという。ジャックは最前線でそれを目撃している。
思慮深いとは評し難いジャックが、全く楽観せずにそんなことを言う。
エスカードで魔族を前にしたときでさえ確固たる自信を見せつけ、実際に魔族の氏族長らしき人物を――片腕を犠牲にしたとはいえ――一騎打ちで倒した凄腕の剣士、ジャック・フリゲート。
「戦士の勘、みたいなものか?」
問いを口にするヴィクターの表情は真剣そのものだった。勘などというあやふやな代物に対し、十分な根拠であると言わんばかり。
ジャックは曖昧に首を動かし、ぴくりとも笑わずに続けた。
「似たようなもんだ。あの第二王子が、どのくらい隠し札を持ってんのか知んねーけど……『敵』の札も、たぶん一枚や二枚じゃねぇ。あっちもこっちも札を隠してる場所にのこのこ遊びに行けるかよ」
「まっ、殿下には悪いが俺たちは部外者だからな。せいぜい運び込まれた怪我人を聖女殿が癒やしてさしあげりゃ、文句は言われないさ」
「ああ。ミゼッタ姉ちゃんは俺が守る。今回はそれ以外やんねー」
冗談じゃねぇぜ、とジャックが小声で呟いたような気がした。
が、確認はしなかった。
◇◇◇
翌日。
ゴルト武装商会を名乗る集団が陣所へやって来た。
さらに翌々日。
同じ商会名を名乗る別の集団が。
さらに三日後。
また数が増えた。どんどん増えた。
結局。
一週間かけて、陣所にはゴルト武装商会を名乗る集団が、計三百八十人。
商会長補佐を名乗る男は、スラック・ティアントからティアント領騎士団の指揮権委任状を携えていた。
もともと残されていたティアント領騎士団が、二百六十から死者と不明者の十九人を引いて、二百四十一。これに三百八十を足して、六百二十一。
獣人の領域を襲う――砦を落とすための勢力が、出来上がった。