軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

121話「癒やしの聖女③_01」

「いやはや、こんな魔境の奥も奥まで付き合わせてしまって、実に心苦しい。しかし、これも正義のためと思って私の顔を立てていただきたい」

天幕の中で美味くもないお茶をやたら美味そうに飲みながら『放蕩王子』ブリッツ・オルス・ロイスはそんなことを言った。

簡易の丸テーブルを挟んだ対面に座らされた『癒やしの聖女』ミゼッタは、彼の言葉のなにひとつとして心に響かない事実に、逆に少し感心してしまう。

だって、心苦しさなんて覚えているようには見えないし、正義などという意味不明なものをブリッツ自身がおそらく信じていない。顔を立ててほしいだなんて欠片も思っておらず、単にミゼッタをこの地に留めて置きたいだけだ。

「はぁ」

と、だからミゼッタは単に頷き、お茶を少しだけ口に含んだ。誰が淹れたのか知らないが、明らかに不味い。

茶の良し悪しが判る程度には鍛えられたのだな、とミゼッタは妙なところに得心してしまうが、もちろん現実逃避だ。

可能であれば、速やかにこの男の前から消え去りたい。

ロイス王国の第二王子の相手だなんて、一介の村娘だったミゼッタには荷が勝ちすぎている。レオポルド侯爵の甥であるヴィクターであっても身分差に怯んでしまうような人物と、楽しくお茶など飲めるものか。

ブリッツは本心を窺わせない笑みを浮かべたまま、ひたすらにどうでもいいようなことを喋り続けた。例えば王都で人気の菓子店の話題、これまであちこちの貴族領を渡り歩いた際に何処の飯屋が上手かったか、実はあの貴族は弟の方が優秀なので二年以内に権力闘争を起こされて地位を奪われるだろう、そんなこんな。

さっさとカップの中身を空にして席を立ちたかったが、それは作法に反している。ひどく焦れったい気持ちになった。

そのままべらべら喋りまくる『放蕩王子』に曖昧な相槌を打ち続ける作業をこなしていると、ふと、天幕の外で怒声が響いた。

「おやおや、これはひょっとすると――敗走したかな?」

にたぁり、と。

何故か嬉しそうにブリッツは笑った。まるで大きな爬虫類が口を開けるような、ひどく冷血な笑い方だった。

◇◇◇

ブリッツの不吉な言葉は、結果として当たっていた。

最初に陣所へ戻ってきたのは斥候と伝令、その二人を守るための小隊がひとつ。彼らの報告を受けたのはティアント領騎士団長で、団長は報告の内容を信じられずに斥候と伝令を口汚く罵っていたという。

そしてその最中に、本隊が戻って来た。

二百六十三人のうち、死者が十三人。重軽傷者が六十人。不明が六人。不明の中には部隊長であるヴォルト・クラウスも含まれていた。

ミゼッタは敗走した騎士たちから事情を聞くよりも先に、怪我人を一箇所に集めて重症者と軽症者を選り分け、本当に危険な怪我人の処置を行った。

ひどい者は脇腹の一部が抉られていたり、脚が千切れかけていたり、あるいは肩が抉られて骨がぐちゃぐちゃに折れたりもしていた。

獣人の牙や爪でこうなるとは思えない。かといって剣で斬られてもこうはならない。例えば鉄でつくられた棒を尋常ならざる速度で撃ち込んだら、こうなるだろうか。

「弩砲の射撃だ。デカくて強い設置型の弓で、槍みてーな矢を発射する代物だ。直撃を喰らったやつは、置いてきた。助からない」

いつの間にかミゼッタの傍に立っていたジャック・フリゲートが、彼にしてはかなり深刻そうな声音で呟いた。

が、治癒の最中のミゼッタは、患者でないジャックの言葉はただの『情報』として耳に入れるだけで特に反応せず、怪我の具合を診て行使すべき魔法の種類を考える。体力の落ちている者に強い治癒魔法を使うと死ぬからだ。

「獣人の領域に入ったら、獅子王の妹とかいう小娘が待ち構えてた。そいつとヴォルトがでかい声であれこれ言い合って、連中が逃げた。こっちは追っかけた。そうしたら、砦が建ってた。敵はその中に引きこもって、俺たちは全軍で突撃した。俺の剣撃で壁を壊せるかと思ったけど、できなかった。外壁の上に設置してた弩砲で撃ちまくられた。それで敗走だ」

とにかく応急処置。出血を塞ぎ、まだ患者の体力に余裕がありそうならば骨折や抉られた肉の治癒も。一人を診て、二人を診て、次、さらに次、次々次々――。

まるで『治すという機能だけを有したナニカ』であるような、ミゼッタ当人の普段の自意識など何処か遠くへ行ってしまったような。

「――これで重症者の応急処置は完了です。あくまで応急処置ですので、くれぐれも安静に。後でまた診ます。直ぐに軽症者の治癒に当たります。列を作って一人ずつ私の前に来てください」

普段なら絶対に出さないような大声で告げ、陣所の中心を診療所にしてしまう。心の何処かで「ひょっとしたら出しゃばり過ぎかな」と思わないでもないが、そもそもブリッツ殿下はこういうときのために自分をこんな場所に引き止めていたのだ、と開き直る。

私の前にこんなに怪我人を並べたら、こうしてしまうに決まっている。

いつの間にか、そうなっていた。

ミュラー伯爵家に見出され、エックハルト・ミュラーの婚約者にさせられ、レオポルド・イルリウスに利用されて『癒やしの聖女』なんていう莫迦みたいな役割を押し付けられて、その役割を必死で――そう、本当に必死で――こなしてきた。その時間が、ミゼッタをこんな人間にしてしまった。

軽症者の数は六十。最初のうちはミゼッタが指示して怪我の箇所を見せろと伝えていたが、何人かを診てからは予め負傷箇所を見せられるようにしてくれた。自分の怪我が治るか否かという話なのだから、患者の騎士たちも真剣だ。

当然だがそれなりの時間はかかる。

しかし六十人の患者を「それなりの時間」で治癒してしまえるのは、やはり異常なのだと――さすがにもうミゼッタも理解していた。

エスカード領における魔族戦でも思い知らされたし、貴族の屋敷に招かれて治癒を行うときも、その貴族に雇われている治癒士に何度か詰め寄られたことがある。おまえのような治癒が行えるわけがない。治癒魔法で治せる領域を超えている。そもそもどうして魔力がそこまで保つのだ。

――知るものか。

こんなふうになりたかったわけじゃない。偉そうな貴人を癒やすとき失礼にならないよう貴族の礼節を覚えたり、呼びつけられては馬車に揺られて城だの屋敷だのに連行されたり、価値観の理解できない貴人を治癒したり……そういうことがしたくて治癒魔法を覚えたわけじゃない。

「ふぅ……」

いつの間にか治療は終わっていて、ミゼッタは我知らず短く息を吐いていた。魔力はまだ残っているので、重症者を改めて診ることもできる。

「大丈夫か、ミゼッタ姉ちゃん」

と、いつもは自信たっぷりな顔をして奔放に話すはずのジャック・フリゲートが、ひどく真剣な眼差しをミゼッタへ向けていた。

何故だろう? だってジャックはエスカードで治癒をしまくったミゼッタを目撃している。ジャック自身も片腕の欠損を治療されたし、そんな治癒魔法を行使してもなおミゼッタの魔力が尽きなかったのを目にしているのだ。

だから、心配しているのは――ミゼッタの魔力ではない。

これから先のことを、ジャックは危惧しているのだ。

凄腕の少年剣士は、きっと戦場でなにかを見たのではないか。

そう思ったけれども……どうせ、ミゼッタが選べる未来など存在しないのだ。そのことを、誰よりもミゼッタ自身が覚悟していた。

流れに流され、ここにいる。

だったら次も何処かへ流されるだけだ。

我が身に注がれるティアント領騎士団員たちの賛辞と感謝を、ミゼッタは半ば他人事のように聞き流しながら、そんなふうに独り静かに腹を括るのだった。

いつも通りに。