作品タイトル不明
118話「戦と戦の間隙_02」
キリナにとって赤毛の騎士、ヴォルト・クラウスという人物は、今のところ「なんだかちょっと情けなくて、悲しい人」だ。
グロリアスの女傑ビアンテと、人族の魔術師レガロ。この二人による砦の案内をヴォルトは静かに受けていた。軽口を叩かないので話が全然弾まないが、時折きちんと感謝を口にしているので、無愛想というよりは無骨なのだろう。
そういえばユーノスもあまり無駄口を開かないが、ヴォルトとユーノスはあまり似ていないな、とキリナは尻尾を揺らしながら思った。
キリナからすれば、ユーノス・グロリアスは師匠であり憧れの対象であり、少しの嫉妬がある相手だ。剣を教わっていて、とても届きそうもないほど強く、そしてクラリス・グローリアに最も近く、最も貢献しているから。
では、人族の赤毛の騎士はというと……まだ知って間もなく、こちらが一方的に彼の事情を聞いたというだけでしかない。
なので「判らない」というのが現状の答えになる。
ただ、嫌悪はなかった。
「まあ、こんな感じだな。あんたも射られたから判るだろうが、鉄と木の組み合わせで造られた弩砲の威力は半端じゃない。あんたら相手には使わなかったが、投石機もある。そのかわり、弓兵はいない」
外壁のてっぺん、胸壁と呼ばれる通路を歩きながらレガロが言う。いつもなんとなく笑っているような印象のおじさんで、今もそれはそうなのだが、何処となくヴォルトに対する気遣いを感じられた。
同情なのか、あるいは同じ人族ということで、なにかの共感か。
「かなり強力な矢だった。剣で弾いたら吹っ飛ばされた。相当強い弦を使っているはずだが、運用はどうしている?」
「手投げ槍みたいな矢を配置してから、横の 桿(かん) を引っ張る。歯車仕掛けで、弦が引き絞られて、矢が装填される。射手が発射装置を操作して、射出だ。オークが桿を引っ張って、男の牛獣人たちが主に射手を務めていた」
「全て手作りなのか。凄まじいな」
「あたしらにゃ買い物をする店なんてないからね」
皮肉げなビアンテに、ヴォルトは「そうか」と言って普通に頷いた。あまりに他意がなさすぎて、思わずといったふうにビアンテは笑みを洩らした。
「あんたね、昨日まで敵だったやつの皮肉に、他に言うことはないのかい? あんたの仲間だって随分と殺しちまってるんだよ、あたしらは」
「クラリス殿に身を捧げると誓った。だから、貴女たちは既に俺の敵ではない。仲間だと主張するほど図々しくはないつもりだが」
「いいや、仲間さ。あんたがクラリスの嬢ちゃんの配下だっていうなら」
きっぱりと、ビアンテは断言する。
ヴォルトは少しの沈黙を挟んでから、結局は「そうか」とだけ言った。ビアンテとレガロが顔を見合わせて苦笑を浮かべる。
「あんたさ、融通が利かないって言われなかったかい?」
「俺と違って男前だってのに、それじゃあモテなかっただろ」
「言われたことがある。女性から好かれた記憶はあまりない」
どうだろう。単にヴォルトがエイレーナという女性以外、視界に収めていなかっただけではないだろうか。
胸壁を降り、砦の内側をぐるりと歩きながら、話は続く。
クラリス・グローリアが保有している戦力、その個々の数と特徴。突出した戦力としては、まずグロリアスの魔人種たち。それからゾンダ・パウガを筆頭とする猪獣人たち、キリナの母である妖狐セレナ、蜥蜴獣人のアストラ・イーグニア、獅子姫ラプス・クルーガ。九尾の妖狐カイラインについては、戦術単位での運用はあまり考えない方が良さそうだとレガロが言った。
「なるほど。見たところ、ほとんどの者が食事広場を利用しているようだな。調理場を取り仕切っている牛獣人の女に、俺を紹介してくれ」
ざっくりとした説明が終わったと思えば、ヴォルトが全く同じ他意のなさを維持したまま、そんなことを言い出した。
キリナには意図が掴めなかったし、ビアンテもレガロも同様のようだった。
「そりゃあいいけどよ、メラルヴァの姉さんにあんたを紹介して、紹介されたあんたはそれでなにをしようってんだ? クラリスの嬢ちゃんに任された仕事は、戦力の指揮だろ。戦場の指揮官が、あんたに求められた仕事のはずだぜ?」
「可能であれば、砦の全員と顔を合わせておきたい。挨拶をして、俺の存在を認知してもらい、俺自身もここの者たちを認識しておきたい」
この言葉も、やはりヴォルトは当たり前のように口にした。
「……戦うやつだけじゃなくて、かい?」
「ああそうだ。戦場を構築するのは戦う者だけではない。兵站などの生活基盤が維持されなければ、戦い続けることはできない。騎士はそれだけでなにかを生み出すわけではないからな。生み出す者を守るのが、騎士の役割だ。守るべきものに、騎士は支えられている。いざというときに『こいつのせいで負けた』と思ってもらうためには、俺を知ってもらう必要がある」
ああ――とキリナは、気づいてしまう。
きっとこの人は、そうやってずっと生きてきたのだ。
まるでなにかの装置みたいだ。軋んで音を立てていることを自覚できない、壊れかけの歯車だ。守るべき者に支えられていると断言した彼自身が、誰にも支えてもらっていなかったのだ。
だから、クラリス様は彼を拾い上げたのか。
その気持ちは、キリナにも理解できた。
だって、放っておけないから。
「まったく――変な人族だね、あんたは」
呆れたふうに苦笑するビアンテの表情は、カタリナやキリナに向けるそれと、よく似ていた。本当に心配な子だよ、と優しく見守ってくれる、苦労性の女性。
それを言うなら、キリナはビアンテのこともちょっと心配なのだけど。
◇◇◇
「今日からクラリス殿の配下になった、ヴォルト・クラウスだ。よろしく頼む」
「ああ、そうだ。つい先日、この砦を襲った部隊の隊長だった。クラリス殿に拾われる形で、クラリス殿に忠誠を誓わせてもらった」
「ヴォルト・クラウスだ。グロリアスの領域のため、微力を尽くそう」
「よろしく頼む。ヴォルト・クラウスだ。そうだな、戦場では俺が指揮をすることになるはずだ。そこは俺を使うことに決めたクラリス殿を信じてもらうしかない」
といった具合に、ヴォルト・クラウスは食事広場での配給係を半ば強引に交代してもらい、食事を受け取りに来た全員と短く言葉を交わしていた。
もちろん全員が全員、ヴォルトに好意的だったわけがない。むしろ好意的だったのは半数もいなかっただろう。
トーラス族の女たちは、礼節を欠かさないヴォルトに好感を持つ者が多かったようだが、トーラス族の男たちは胡散臭そうにしていたし、ゾンダ・パウガら猪獣人たちからは軽い見下しが感じられた。
それは仕方のないことだ。
現状、ヴォルト・クラウスは無謀にも砦へ全隊を突撃させ、敵であるグロリアスに全く損害を与えることなく部隊を壊滅させた無能にすぎない。
それでも誰一人として表立って文句を言わなかったのは、ヴォルトの採用がクラリス・グローリアの意向だからだ。そしてそのことを、ヴォルト自身がよく理解していた。自分の状況を説明する際には必ずクラリスの名を出し、自分自身を「グロリアスの仲間」とは決して言わず、自身は「クラリスの配下」であり「クラリスに忠誠を誓った」と言い切った。
ならば、誰も文句は言えない。
文句を言うやつがいたなら、キリナはそいつに殴りかかっただろう。別にキリナがやらずとも、クラリスの判断に文句を言うなんてことがあれば、そいつは誰になにをされても仕方がないはずだ。
誰のおかげで、ここで笑い合っていられるというのか。
そのクラリスがヴォルト・クラウスを加えると言ったのなら、心からの歓迎は出来ずとも、ひとまずの様子見くらいはしなければならない。
そんな事情もあり、昨日までの敵だったヴォルトが罵声を浴びることもなく、砦の面々との挨拶は問題なく終わった。
昼食の配膳は終わり、とトーラス族のメラルヴァが手ずからヴォルトに昼食の盆を渡してやった。キリナ自身はそのちょっと前に配膳されており、ビアンテとレガロは先に食べて自分たちの仕事に戻っていたので、なんとなくキリナはヴォルトと一緒にご飯を食べることにした。
気になるのだ、この朴訥とした赤毛の騎士が。
既に大半の者が食事を終えており、キリナはヴォルトを案内するようにして手近な長机に席を取った。肉と野菜のスープ、それに浸して食べるための堅パンに、刻んだ漬物となんだかよく判らない葉野菜の和え物。三品以上は欲しいな、とクラリスがぽつりと呟いたので、砦の食事はそのようになっている。
「すまない。キリナといったな。世話になってしまっている」
食事に手をつける前に、ヴォルトはきちんと頭を下げてそんなことを言った。
「えっと……まあ、そういう流れかなと思いましたから」
考えてみれば、キリナはクラリスからヴォルトの面倒を見ろと頼まれたわけでもないのだった。なんとなく、というくらいの曖昧さでついて来ただけだ。
「そうか」
頷き、ばくばくと食事を口に運んでいく。寄宿舎の部屋でもそうだったが、気持ちよくなるくらいの健啖ぶりだ。
「あのぅ……訊いてもいいですか?」
パンをスープに浸しながら、なんとなくキリナは問いを口にする。ヴォルトは食事を中断せずに首肯を返した。
「もし失礼だと感じたら答えなくていいんですけど……ヴォルトさんと、エイレーナさんと、領主のスラック・ティアントのことです」
「構わない。答えられるかは判らないが」
「三人は幼馴染だった。スラック・ティアントはエイレーナさんのことが好きだったけど、立場上、愛を交わすことができなかった。ヴォルトさんもエイレーナさんが好きだったけど、スラックに遠慮してなにもしなかった。そうですよね?」
「……そうだな」
「でも、エイレーナさんが病に臥せって、余命を宣告された。ヴォルトさんはエイレーナさんに求婚した。二人は結婚して、ヴォルトさんはスラック・ティアントと気まずくなって、友達っていう関係じゃなくなった」
というのが、ヴォルトの口から聞かされた話だ。
赤毛の騎士は黙々と食事を口に運びながら、否定をしない。
キリナはちょっとだけ迷ってから、でも結局は問いを口にする。
「エイレーナさんの死は、避けられないものだった。それなら、スラック・ティアントと友達でいたままの方が、結局は良かったんじゃないですか? そうと判っていてもエイレーナさんを選んだっていうなら、どうしてそれまではスラック・ティアントに遠慮なんかしていたんですか?」
「まったくだな」
間をおかず、他人事みたいにヴォルトは頷いた。
子供相手だと雑にごまかすつもりなのか、とキリナは目を細めたけれど、ヴォルトの表情には、やはり他意がなかった。そうだと思ったから、そうだと言った……そんな感じ。
そんなキリナに気付いたようで、ヴォルトは顎のあたりを太い指でざらりと撫で、やや長い沈黙を挟んでから、口を開いた。
「どうしてもエイレーナと結婚したかったのは、彼女が誰かに強く愛された人生を送ったのだと、示したかったのが理由のひとつかも知れない。もちろん、俺自身がそうしたかったというのが最も大きな理由だが」
「示したかった?」
それは、誰に? スラック・ティアント……ではないだろう。スラック自身がエイレーナを愛していたのだから、そんなものは示されるまでもない。
では、他の誰か。例えばエイレーナの両親や、周囲の人間?
それもしっくりこない。何故なら、ヴォルトの語った話の中には余人というものが存在しなかったからだ。この男にとって強い思い入れのあった人間は、エイレーナとスラックだけなのだ。
「この世界に対して……というのが、表現としては近いかも知れん」
顎の無精髭を撫でながら、ヴォルトは自信なさそうに言う。
もちろんキリナには意味が判らない。我知らず、頭の上の狐耳をぴょこりと動かして、思いっきり首を傾げてしまう。
「……実らぬ恋心を抱えたまま、誰に愛されることもなく病で死んだ……この世界の中で、エイレーナはそのような人生を送ったことにされる。そう考えたときに、俺にはそれが我慢ならなかった」
それはまるで、運命に対する小さな反逆だ。
死が決定づけられた女の在り様を、ヴォルトが変えたのだ。
「エイレーナという女は、領主が思い焦がれた女であり、俺という男が懇願して結婚してくれと求めた――求められた女だった。この世界の中で、エイレーナはそんな女になった。もはやそれは、誰にも動かせない事実だ」
運命。
そう呼ばれるモノについて、クラリスが些細な会話の中で、喋ってくれたことがある。キリナはそのことを覚えている。
―― 放(・) っ(・) て(・) お(・) い(・) た(・) ら(・) そ(・) う(・) な(・) っ(・) て(・) し(・) ま(・) う(・) こ(・) と(・) 、だ。
水は流れる。日は暮れて、夜は明ける。
命は尽きる。葉は落ちて、いずれ芽が吹く。
――それじゃあキリナ、運命を変えようと思ったら、どうすればいい?
きらきら光る金髪を揺らして、誰より綺麗に微笑みながら、彼女は言った。
雲の切れ間から陽が射してくるみたいに、鮮やかに、艶やかに。
―― 放(・) っ(・) て(・) お(・) か(・) な(・) け(・) れ(・) ば(・) い(・) い(・) じゃないか。
そうか、この赤毛の騎士は、運命を変えたのだ。
もはや名前も忘れてしまったキリナの実の父と母は、今になって考えればレクス・アスカやカイラインが生み出した『運命』に流されるまま、踊らされて、クラリス・グローリアという運命にぶち当たって、消えてしまった。
そのことについて、キリナは心を動かされない。
けれども今、少しだけ動いたのを、自覚した。
胸の内から湧き出す嬉しさに逆らわず、にっこりと笑ってキリナは言う。
「グロリアスにようこそ。ヴォルトさん、あなたを歓迎します」