作品タイトル不明
116話「捕虜と少女_04」
その日はキリナという狐獣人の少女が食事を運んで来て、ヴォルト・クラウスは温かなスープと野菜を挟んだパン、香草と一緒に焼いた肉を平らげてから、ずうずうしくもぐっすりと眠ってしまった。
夢も見ない、泥のような眠りだった。
朝が訪れて身体を起こした瞬間、生まれ変わったのかと思うほど身体と頭がすっきりしていて、ヴォルトはやや混乱した。
疲労など、感じていないつもりだったのに。
満足に食べて、まともな寝台でしっかりと眠った。それだけで視界が冴えてしまうならば――いかに本調子でなかったかという証左ではないか。
閉め切った室内に堆積していた埃が、窓を開けて軽く掃除をした程度であっさりと吹き飛んでしまうような。
だが、そうして綺麗にした部屋の中は、空っぽだ。
もはや失笑さえ浮かばず、ぼんやりと木枠の窓のあたりを眺めるしかなかった。たぶんまだ昼になっていないだろう。建物の外から、誰かの話し声が聞こえてくる。幾人もの声が重なった、いうなれば活気というものが、外から内へ響いているのだ。
敵に攻め込まれて撃退した、その翌日だというのに、まるで市場を人が行き交っているかのような活気が、建物の外にある。
居場所をなくした者たちの集まり――だったか。
そんな者たちが集まって、居場所をつくっている。
ティアント領の侵攻には道理などなかった。最初から判っていたことだが、楽しげな女たちの声、冗談を交わして笑い合う男の声などを遠くに聞いてしまえば、明らかに間違いだったと思ってしまう。
俺がすべきは、命令に従って獣人の領域に侵攻することではなかった。真意と正義を、臣として友人として、スラックに問い質すべきだった。
もはや手遅れでしかないが。
「おはようございます。ヴォルトさん」
と、ノックするでもなく扉が開かれ、狐の少女キリナが食事の盛り付けられた木器を抱えて入って来た。次いで、クラリスとユーノス、それから獅子の少女、猪めいた大男の獣人、他にも何人かの魔人種と獣人が、ぞろぞろと入室してくる。
「ゆっくり寝られたようだな。顔色がかなりマシになっている。ところでおまえにひとつ謝っておこうと思ってな」
クラリス……クラリス? クラリスと名乗った少女と同一に見える金髪の少女が、ぶっきらぼうな言い方をしてヴォルトの寝台の近くへ椅子を置き、どっかりとそこに尻を乗せてニヤリと笑う。
「昨日は人族が相手だから、お嬢様っぽい態度の方が通りがいいかと思ってああしていたが、私の素の態度はこっちだ。これがクラリス・グローリアだ。このごちゃごちゃな連中の、まあ、長なんだろうな」
「クラリス……グローリア……?」
改めて名乗った少女には、昨晩ヴォルトが目にしたはずの折れやすい花に似た可憐さはなく、その代わりに内側から輝くような強い光があった。
「グ、グローリアとは……グローリア伯爵家の、グローリアか? スラックが結婚したフォルザ・グローリアと、なにか関係が……?」
とりあえず手に取りやすかった疑問符を手繰り寄せて吐き出したが、ヴォルトは別にそんなことが聞きたかったわけではない。いや、聞く必要はあったかも知れないが、本当に聞きたかったこととは違う。
クラリスは「ふむ?」と首を傾げ、少しだけ間を置いてから軽く手を叩き、からからと笑った。
「ああ、そういえばグローリア家から嫁を迎えたとか言ってたな。すっかり忘れてた。フォルザ・グローリアだったら、私の従姉だ。フォルザ姉様がティアント領主に嫁入りしてたなんて、知らなかったな。……いや、忘れてたのかな? まあ、どっちにしても、どうでもいいことだ」
「どうでもいい? 血縁者なのだろう? 敵対関係になっているが……」
「グローリア伯爵家には、クラリス・グローリアなんて娘は存在しなかった、そういうことになっているからな」
言って、クラリスはミュラー伯爵家の次男エックハルトとの婚約破棄について、ざっと語った。幼馴染の婚約者よりも、見出してしまった強力な治癒魔法使いを選び、その正当性を押し通すためにクラリス・グローリアが貴族を騙っていたと主張した。『無才のクラリス』を、グローリア家は守らなかった。
「あれこれあって、エスカード領の魔族戦の時期に、エスカードに突っ込んでいた魔族、ユーノフェリザ氏族と出会った。話を聞けば、ユーノフェリザは魔王の国での政争に負けて、エスカードに突っ込んで来いと命令されたそうだ」
そんな彼らはクラリス・グローリアと出会い、彼らの中の一部が、ユーノフェリザであることを辞めた。
「……そうか、だから魔人種だと紹介したのか」
妙なところで納得してしまうヴォルトに、ユーノスがわずかだけ笑みを見せる。そしてなにかのついでみたいに、椅子へ座るクラリスの頭をぐりぐりと撫で、言う。
「そうだ。魔族は魔王の民を示す言葉だ。俺たちはもう魔王の民ではない。ユーノス・グロリアスが今の俺の名だ。グロリアスが俺たちを示す言葉だ。俺たちは、この小さくてクソふてぶてしいガキと共に在ると決めた」
そのことが己の芯であり、誇りだ――態度が語っている。
ヴォルトにとって、そんなユーノスはあまりにも眩しく見えた。
「しかし、クラリス殿。なんのために、私にそんなことを……」
別に伝えなくたって構わなかったはずだ。
わざわざ自分がどのような何者であるかをヴォルトに説明せねばならない理由など、ない……はずだ。
「まあ、せっかく用意したし、飯でも食いながら聞いてくれ」
上機嫌に言って、いつの間にかキリナがヴォルトの寝台に配膳していた朝食を示す。野菜のスープに、パン、それに茹でた根菜と燻製肉の和え物だろうか? 白いソースが添えられており、とても砦で出される食事には思えない。
騎士として、とにかく腹へ食い物を落とすことには慣れている。もう少しゆっくり食べてくださってもいいのですよ、とかつてエイレーナに言われたことがあったが、職業病のようなものだ。
スープもパンも、十分以上に美味かった。市街の有名店と比べればさすがに味は落ちるが、戦地で口に入れる代物としては破格といっていい。
なんだかよく判らない根菜も、歯ごたえが残っていて茹で具合もちょうどいい。肉の風味とソースの塩味が溶け合い、かなりヴォルトの好みで――
「実はヴォルト・クラウス。おまえを仲間にしたいと思ってる」
――ぶっ、と口から好みの根菜を吐き出してしまった。
すぐ側でヴォルトの食事を眺めていたキリナの顔に根菜が引っ付いてしまったし、口の中の唾も飛ばしてしまった。
◇◇◇
「ごほっ! すまん! ごほっ――いや、すまない! 申し訳ない!」
咳き込みながら慌てて謝り、衣服の袖でキリナの顔を拭いてやる。せいぜい十三歳といった年頃だろうか、その年代の少女に接する機会がないので、ひょっとしたらかなり乱暴な手付きになってしまったかも知れない。
「急に仲間になれと言われても困惑するだろうから、順序立てて話をすることにする。お茶はいるか?」
ヴォルトの失態など気にしたふうもなく、むしろ楽しげに微笑みながらクラリスは椅子の上であぐらをかきながら言う。
「す、すまない……もらえるなら、頼む」
頷けば、キリナではない別の少女が――グロリアスという魔人種だろう――さっと動いて部屋を出て行った。
クラリスはその少女が戻って来るのを待たず、話を続けた。
「これまでに知り得た事柄から、今後起こることの推測を話す。なんか違っていることがあれば、飯を食いながら訂正してくれ」
「……了解した」
とりあえず首肯を返したヴォルトだったが、別になにも理解していなかったし、そろそろ飯は食べ終わりそうだった。
「まずは情報の整理。ティアント領に逗留している『放蕩王子』ブリッツ・オルス・ロイスが領主のスラックを唆して、獣人の領域への侵攻を決めた。これは少なくとも二ヶ月以上前のことだな。ってことは、アールヴの女が襲われたって話は、それより以前になる。細かい時系列は知らんが、流れはそうなるはずだ」
そもそもマリエル襲撃事件が、獣人の領域へ侵攻する建前になっている。
「ちなみにその女アールヴを襲ったとかいう九尾の狐だが、冤罪だ」
「……は?」
「可能性という話であれば時間的に女アールヴを襲撃すること自体は可能だっただろうが、その九尾の狐、カイラインっていうんだが、仲間を引き連れて人族の領域に近い魔境の深部まで移動するようなことはできない」
「……それは、何故だ?」
「カイラインは性格が悪いから、他人を踊らせるのは得意だが、一緒に踊ってくれる誰かと行動するのは苦手だからだ。苦手というより、ほぼ不可能だ。あいつと一緒に森の深部でアールヴの女を一緒にボコしてくれるやつなどいない」
単独犯であれば私も疑念を抱いたままだったがな、とクラリスは口端を持ち上げた。表情には後ろめたさや誤魔化しの気配が一切なく、単にそうだからそうなのだ、という明快さだけがあった。
むしろこの場合は、カイラインという名の狐獣人に同情すべきか……?
「んで、時系列はちょっと遡る。実は獣人の領域では、ついこないだまで獣王の代替わりが起こっていた。このカイラインという九尾の狐は、旧獣王を討ち果たすため、人族から鎧を購入した。三十個もな。代価はアールヴの至宝とかいう『秘石』だそうだ。つまり、秘石と引き換えに大量の鎧を購入したわけだな」
それは、ヴォルトの知っている情報と違う。
マリエルが所有していた『秘石』が、狐の獣人たちに奪われた――そういう話のはずだった。
「結論から言うと、マリエルとかいう女アールヴが嘘を吐いている。どうしてそんな嘘を? 結果から考えれば、ティアント領に侵攻の口実を与えるためだ。では、どうして『癒やしの聖女』を呼びつけなきゃ危なかったほどの怪我をしてまで、その女アールヴはそんな嘘を吐いたんだ?」
「それは……」
「マリエルが『放蕩王子』の部下だからだ。獣人の領域にティアント領の騎士団を向かわせたがっていたのは、ブリッツ王子だ」
その点については、ヴォルトに異論はない。
何故ならスラックはわざわざ獣人の領域へ騎士団を向かわせようと考える男ではないからだ。もはや言葉も気持ちも交わすことのなくなった元友人だが、そうなのだからそうなのだ、という確信がある。
「さらに事実から考える。ヴォルト・クラウスを二ヶ月間働き詰めにさせ、疲労させて判断力の低下を招き、そんなおまえを部隊長にして侵攻部隊を突撃させた。仮に砦なんぞなくても、まあ間違いなく失敗しただろう。おまえを部隊長に推したのはブリッツじゃないか?」
――正直言うと僕はね、騎士団長よりも君のことを評価しているんだ。侵攻の際の指揮も、団長ではなくヴォルト・クラウス、君に執らせようと思っている――
そうだ、あの銀髪の王子は、そんなことを言っていた。
だが、だったらどうしてだ?
「侵攻させたがっていたのがブリッツ殿下だというのはいい。だが、その侵攻作戦を 失(・) 敗(・) さ(・) せ(・) た(・) が(・) っ(・) て(・) い(・) た(・) のもブリッツ殿下だと?」
「ティアント領騎士団だけで作戦が成功したら、他の連中が関われないだろ」
当然、とばかりにクラリスは言い切った。
「もっとも、仮に領騎士団だけで獣人の領域に陣地を築くことができたとしても、どっちにしたって維持ができないから他所からの介入は可能だったろうが、あまり旨くない。それだと主導権がティアント領にあるままになるだろうからな。先陣を切らせるのはティアント領にやらせたかったが、他の美味しい部分はティアント領にくれてやるつもりがなかった、と考えられる」
「……それは……どういう……」
「獣人の領域に、本当にロイス王国の領域を維持しようと思うなら、ティアント領だけでは絶対に足りない。物資も人員もな。だったら他領から持ってくるしかない。そうした際に、他所から大量の武力をティアント領を介して獣人の領域へ移動させることになるだろう。はたしてそうなったら、ティアント領は他の連中にとって、有り難い存在と言えるか? 騎士団が領に入るなら、それなりの手続きも必要になるし、通行の税も取るだろう。逗留したなら物資の売買もするだろう。食い物だって必要だ。人と物が大量に流れる。豊かになる。つまりそれがティアント領の狙いであり、しかしブリッツは別にティアント領が豊かにならなくてもいい」
大きな流動、それそのものが利になる。
それは現在のロイス王国には、ほとんどないものだ。特に戦力の大規模な移動など、平和な国内では不必要だからだ。
スラックが、その利を得ようと考えても――不思議ではない。それならば納得できる。ティアント領は田舎で、貧しい領地だ。流通の中心となることができれば、それだけで豊かさが訪れる。
そして『放蕩王子』ブリッツ・オルス・ロイス。
あの男には、わざわざティアント領だけを富ませる理由がない。
「ヴォルト・クラウス。おまえは切り捨てられた。有能だからだ。能力を削いで、敵に突っ込ませて亡き者にしようとした。おまえがその能力をきちんと発揮できていれば、砦に突撃なんて有り得なかった。きちんと全軍で退却しただろうさ」
そしてそれは、ブリッツ殿下の望むところではなかった。
クラリスはニヤニヤと嫌らしく――そのくせ、ひどく魅力的に笑いながら、ヴォルトを射抜くように見つめて、続ける。
「これからなにが起こるか判るか? ブリッツ王子が自分に近い勢力の騎士団をティアント領へ掻き集めて、ティアント領の騎士団にはなんの気遣いもなく、指揮権も与えず、獣人の領域へ侵攻するだろう。体よく陣地を確保できたなら、その維持をティアント領へ任せようとする。当然だが維持なんてできるわけがない。困ったところでブリッツ王子の出番だ。また人と物を動かし、経済を動かし、役立たずだったスラック男爵の爵位を剥奪するだろう」
だって、邪魔だもんな。
悪辣に笑いながら、クラリスは言う。
確かに――筋は通る。そしてなにより、ヴォルト自身の感性が、クラリスの言を肯定していた。ほんのわずかに言葉を交わした『放蕩王子』の内側には、善意や道義などというものは欠片もなかった。
ならば、スラックの命運など……決まり切っている。
領主として決して無能ではないが、スラック・ティアントにはそういう局面を乗り切れるだけの政才はないのだ。そんなものがなくても、田舎の領地は治められる。むしろそんなものはないほうが、辺境の統治は上手くいくかも知れない。
―― ぱ(・) ん(・) っ(・) 、と。
不意にクラリスが手を叩き、いつの間にか視線を落として己の両手を睨みつけていたヴォルトの意識を引いた。
きらきらと輝く光が、そこにあった。
「ヴォルト・クラウス。おまえが必要だ。私たちの仲間になれ。私たちの仲間になったら、おまえの望みを叶えてやる」
「……俺の、望み……?」
間抜けのようにクラリスの言葉を繰り返した。
クラリス・グローリアは、そんなヴォルトを笑わない。
その場の魔人種たちも、獣人たちも……誰も、笑わなかった。
「スラック・ティアントの命を助けてやる。普通に物事が進行したら、間違いなく領主のスラックは『放蕩王子』に踏み潰されるだろう。おまえが騎士団に戻ったところで、その流れは変えられない」
ああ――光が。
目を開けていられないほどの眩い光が。
手を、伸ばしてくる。
ちらちらと埃が舞う、空っぽの部屋の中へ、強い光が射し込んで。
ああ――こんな場所にいてはいけなかったんだなと、腑に落ちてしまう。
「私たちなら、スラックを助けてやれるぞ。だから、私たちの仲間になれ。おまえのようなやつが 身動(みじろ) ぎできずに魂を擦り減らして使い潰されるだなんて、そんなことを私は許さない。私が許さない」
だから――。
「そろそろ目を覚ませ。おまえがスラックにしてやれることは、もうこれ以外にはなにもない。道が別れた友達なんて、勝手にそっと助ける以外にできることなどあるものか。おまえはおまえの人生を、立って歩くしかないんだぞ」
だから――手を取れ。
光が、誘う。
ふらふらと寝台を降り、一歩だけ近づいて片膝を突き、差し伸ばされた手を取った。あまりにも細く、白く、滑らかで、意外に温かな手。
「誓おう。貴女が約束を守るのなら、私は……いや、俺は、俺自身を、クラリス・グローリア、貴女に捧げることにする」
ほとんど口からこぼれ出るような宣誓に、クラリスはくすくすと笑いながら、ヴォルトの手を子供みたいにぶんぶんと振り、ちらりとユーノスを一瞥してからまた笑った。ひどく楽しげに。少しだけ皮肉げに。
「誓いを受け取った。 うち(グロリアス) の流儀を教えてやろう。『笑って進め』だ」