軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

114話「捕虜と少女_02」

金髪の少女が部屋を出ていったことで独り残されてしまったヴォルト・クラウスだったが、寝台の上から動こうという気にはまるでならなかった。

実際、ティアント領騎士団副団長としては、この機会にどうにか逃げ出して砦を脱出し、森を抜けて陣所まで戻るべきなのだ。それが可能かといえば、まあまず不可能ではあるだろうが、そうするべきだという気はする。

しかし、活力というものがヴォルトの内側の何処を探ってみても見当たらない。こうして敵の捕虜になって今は寝台に寝かされているが、誰かが扉を開けて部屋に入って来たら拷問が始まってもおかしくない。だというのに、それならそれで仕方がないだろうな、としか思えない。

もしも妻が生きていたなら、きっとこうなっていなかった。

ふと思ってしまって、ヴォルトはあまりの情けなさに失笑してしまう。

幼馴染で、親友だった領主スラック・ティアントのことが、今はもう判らなくなってしまったが――それを言うなら、もはやヴォルトには自分というものからして既によく判らないのだ。

俺は、一体なんなのだ?

どうしてこんなことになっている?

これではまるで、あの少女が言うところの『居場所を失った者』だ。

そんなことを考えているうちに貴重な時間は無駄に血を流し続け、致死量に達し、部屋の扉が開かれた。

入ってきたのは、先程の金髪の少女――それにもう二人。

一人は、頭から獣の耳を生やした少女だ。金髪の少女より、ほんのわずかに背が低く、幼い印象がある。金髪の少女と同じようにゆったりした衣服に身を包んでいるが、尻の少し上、腰のやや下あたりから、ふさふさした尻尾が生えていた。

もう一人は、薄紫色の肌の、若い男。

魔族だ。

「お待たせしました。貴方と二人きりになるなと怒られましたので、仲間を連れてきました。彼女はキリナで、狐の獣人です。そして、こちらはユーノス。見て判るとおり、魔人種です」

なんの恐れも必要ないとばかりに微笑み、少女は言った。それからわずかだけ視線を天井あたりへ向け、また小さく笑って付け加えた。

「そういえば自己紹介をしていませんでしたね。私の名前はクラリスと申します」

名乗りと、ひどく整った貴族的な会釈。

ヴォルトにはますますクラリスと名乗った少女のことが判らなくなった。

この異様な美しさの少女が元貴族だったとして、どのような経緯があればこんな場所でこんなことになるのか――推察しろという方が無理な話だ。

「ヴォルト・クラウスだったか。おまえの話を聞かせてもらおう」

ユーノスというらしい魔族の男が、閉めた扉に背中を預けて腕組みをし、ヴォルトへ水を向けた。クラリスがそうであるように、態度と口調に恨み辛みも蔑みもなく、ただそう言ったという単純な意味しか感じられなかった。

「あの……お茶をどうぞ」

と、こちらはやや警戒を見せながら、狐の少女が茶を差し出してきた。むしろこれがあるべき形だろうと、なんだか逆に安心してヴォルトは茶の入った木製のカップを受け取った。

なんの警戒もせずに一口飲んでみれば、どうやら香草茶のようだ。

熱い液体が身体の内側を流れていく感触に、なんだか十年ぶりくらいに弛緩するような感覚を覚え、ヴォルトはまた苦笑を洩らした。

「話すといっても……なにを話せばいい?」

「おまえの話と、今回の戦の話をすればいい。あれだけの人数を森から出したのだから、森を切り拓いたのだろう? いつから始めた? いや、そもそもどうして森を切り開こうなんて話になった?」

始点というなら、それはいつのことか。

「ティアント領に逗留していた女アールヴが暴行された事件があった……というのは、クラリスといったか。君に説明した話だ」

「ええ。暴行され、貴重品を奪われたとか」

「領主の屋敷にはロイス王国の第二王子もまた逗留していた。いつからか、というところは、私は詳しくは覚えていない。例の女アールヴも同様だが……とにかく、この事件を口実に、おそらく第二王子がスラックを唆したと思う」

「唆した?」

わずかに眉を上げ、疑問符を示すユーノス。

ヴォルトは頷き、また茶を一口だけ飲んでから、続けた。

「スラックは……私の幼馴染だ。同い年で、やつは領主の一人息子、私の父は当時の騎士団員で、領主とは友人ともいえる関係性だったと聞いている」

「親同士の仲がよかったということか」

「そうだ。私とスラックも、物心つく前から友人関係だった。物心ついた頃には、互いの関係性について教えられたが」

一線を引くこと。

領主には領主の、騎士には騎士の。

友人には友人の、節度と距離がある。

「スラックと一緒に、私は王都の学院に入学して卒業したが、スラックは貴族としてはまともな方だった。ティアント領の気風もあったのだろう。都会の貴族のように、領民から貪って贅沢をしているような余裕は、我が領にはなかったからな」

学院にはそれなりにいたが、絵に書いたようなボンクラ貴族は、田舎ではあっさり破産するだけだ。領民と協力しなければ領が立ち行かない。

「そのまともな領主が、第二王子とやらに唆された……理由は?」

「私には、もうスラックのことが判らない」

それはヴォルトの正直な吐露だった。

エイレーナと結婚する直前あたりから、スラックとの関係性が歪になっていたのは理解している。だが、それを修復する手立てをヴォルトは持っていなかった。

「どうして判らない?」

責めるでもなく問いを重ねるユーノスに、ヴォルトは思わず笑ってしまう。

これまで誰一人としてヴォルトにそんなことを聞かなかったからだ。いつの間にか――たぶん、スラックとの関係がこじれる以前から、ヴォルトにはまともな友人関係などなかったし、妻とスラックを失ってからは、孤独だったのだ。

こうして捕虜になって敵の尋問を受け、ようやくそのことに気付いた。

そんなの、笑わずにいられるものか。

◇◇◇

かつてヴォルト・クラウスとスラック・ティアントは、親友といっていいくらいの間柄だった。なんでも気兼ねなく話せたし、余人には言い難いような悩みも、互いに打ち明けられた。

その関係性の中には、もう一人がいた。

エイレーナという女性だ。

彼女はティアント領の領主を主人とする執事の娘として生まれた。母の方は使用人長で、まさに領主に仕えるために生まれたような娘だった。

当然のようにヴォルトは彼女と仲を深めたし、スラックもまた彼女を親しく思っていた。いや、その思いは想いと表現しても差し支えなかっただろう。

スラックは、エイレーナを愛していた。

それはヴォルトにとっては手に取るように理解できたことだった。エイレーナは優しく、美しく、控えめで、およそ出会った者のほとんどが彼女に好感を抱く、そんな女性だった。

しかし、だ。

領主には領主の役割があり、メイドにはメイドの役割があった。

エイレーナは物心ついた頃にはティアントの屋敷に務める母親、使用人長の元でメイドとして教育されており、ヴォルトがそうするよりもずっと早く次期領主であるスラックに対して一線を引いていた。

そしていつの頃からか、スラックも自分の役割を理解するようになった。

いずれ領主として立たねばならないスラックは、ロイス王国の貴族として、別の貴族を嫁に迎え入れる必要があった。何故ならティアント領は息子に放蕩が許されないほどの田舎領であり、別の貴族と縁を結ぶことは、領にとって死活問題だったからだ。スラックの恋心など、芽生えた瞬間には潰れていたようなものだ。

だから――彼らの初恋は、ほろ苦く潰えて消えていくだけ。

そのはずだった。

そうならなかったのは、数年前にエイレーナが病に臥せったのが理由だ。

内在する魔力がどうのこうのという、人族の中でも珍しいが稀に聞くことがあるという不可解な病気だった。

エイレーナはメイドとして仕事をしていたが、メイドに対するには過分なほどの対応がなされた。スラックは王都から医者を呼び寄せたし、エイレーナの両親はすぐに彼女にメイドの役職を解かせ、療養に当たらせた。

しかし、医者が宣告した余命は、およそ一年半ほどだった。

このときのスラックの焦燥はひどいもので、人というのはこれほどまでに運命を憎めるのかと他人事のように考えたのをヴォルトは覚えている。

ヴォルトにとってエイレーナが大事でなかったわけではない。むしろ逆だ。命や魂を差し出して彼女が助かるのであれば、喜んで差し出しただろう。この世にそんな都合のいい話などないという、それだけのことだ。

ずっと子供の頃、スラックがエイレーナに恋心を抱いたとき、ヴォルトは自分の恋を胸のうちに秘めることにした。ヴォルトは、その頃から内心を他人に晒さないことに慣れていたのだ。たとえエイレーナの死が確定されたとしても、ヴォルトはもう、みっともなく泣き喚いたり周囲に当たり散らしたり、そういう感情の出し方ができない人間になっていた。

余命を宣告され、死を待つばかりとなったエイレーナは、それでも美しかったし、優しかった。自分に関わる全ての人間に申し訳ないと謝るような、そんな女性だった。優しさが他人の胸を締めつけるのを、実感などしたくはなかったが。

このときヴォルトが考えたのは、激しい焦燥に駆られた友人を宥めることではなかった。そうではなく、ヴォルトが考えていたのは、たった一年半で命が終わってしまう愛しい女性のことだった。

彼女がスラックを好いていたのは、知っていた。その恋が実らないことなど、ヴォルトよりも先に彼女自身が知っていただろう。いずれスラックがどこぞの貴族の娘を娶り、子供を産ませた頃には、その恋心も思い出に変わっていたかも知れないのに……そんな時間は、エイレーナには残されていなかった。

きっと激しくはないが穏やかで温かな恋をして、静かで優しい家庭を持ち、子供には子守唄を聴かせる――そんな時間が、なかった。

だったらせめて。

ヴォルトはそう思った。

このとき、親友のことではなく、咲くこともなく蕾ですらなかった自分の恋心を、ヴォルト・クラウスは優先したのだ。

ヴォルトはエイレーナに結婚を申し込んだ。

それはもはや懇願と評すべき、情けなくもみっともない求婚だった。エイレーナは当然だがヴォルトの求婚を断った。これから死ぬような人間と結婚したいなんて、貴方はどれだけ愚かなのかと、長い付き合いで生まれて始めてエイレーナに怒られる一幕もあった。しかしそれでも、ヴォルトは譲らなかった。

結局はエイレーナが折れる形で、エイレーナはエイレーナ・クラウスになった。

その頃には、もう彼女の余命は一年を切っていた。

ヴォルトはあっさりと騎士団を抜け、エイレーナに残された時間を、彼女と共に過ごすことにした。自分の中にこれほどの情熱があったのかと驚いたし、そのことはエイレーナを驚かせもした。

何度かは、彼女を幸せそうに笑わせた気もする。

それよりもずっと、泣かせた回数のほうが多かったようにも思うが。

息を潜めて終わりを待つような日々を、ただ二人で静かに過ごした。

その間、ヴォルトは騎士としての訓練も、人付き合いも、親友であり仕える主であったスラックのことさえ放り出した。

そうして終わりが来る。

医者が宣告した余命通りにエイレーナは息を引き取り、葬式を上げた。ふと周りを見れば、ヴォルトの世界にはなにも残されてはいなかった。

ヴォルトは伝手を辿って騎士団へ戻り、また一から下っ端の団員としてやっていくつもりだったが、スラックの命令があり、ある部隊の中隊長として編入されることになった。

そこから先は、ただ仕事をするだけの日々だった。それ以外、ヴォルトにはもうなにも残っていなかったからだ。

かつて親友だった男と、もうなにを語らうこともないだろう。

ヴォルトが息を潜めて時を待っていた頃に、スラックはグローリア伯爵家に連なる貴族の娘と婚姻しており、名実ともにティアント領の領主になっていた。

スラックがヴォルトを責めることもなかったし、真意を問うことも、まして心配することも、なかった。仕える騎士と、領主。それだけの関係になった。

そしてそのことを、ヴォルトは特に後悔していない。

◇◇◇

話してみれば、長いようで短い話だった。

ユーノスは表情を変えずに腕組みしたまま聞いていたし、クラリスの方もだからどうという反応をしない。ただ、狐の少女は涙をこらえるようにして瞼を震わせており、そのことにヴォルトはなんだか救われたような気になる。

なんだって捕虜になって人生なんぞを語っているのか。

茶を飲もうと思ったが、既に飲み干していたのが残念だった。