作品タイトル不明
113話「捕虜と少女_01」
夢を 視(み) ている最中、これは夢だと気づくことがある。
ヴォルト・クラウスが目に映る情景を夢だと理解できたのは、死んだはずの妻エイレーナがヴォルトに微笑みかけていたからだ。
結婚生活は、たったの一年。
けれどその間、ヴォルトは彼女の微笑みなど数えるほどしか見たことがなかった。結婚してすぐに騎士団を抜け、二人きりで過ごしていた。
まるで息を潜めてこの世の終わりを待つみたいに。
じりじりと時が過ぎるのを、ただ静かに耐えていた。
夢の中のエイレーナは、意味もなく微笑んでいる。そこに在ることが嬉しいとでもいうふうに。幸せそうに、ヴォルトへ笑いかけていた。
――最低の夢だ。
◇◇◇
目を開ける。
視界に映ったのは、見覚えのない天井。木造の天井だ。少し視線を下げれば、燭台の上に小さな火が点っている。背中には固くも柔くもない寝台の感触。
「目が覚めましたか?」
と、ヴォルトが寝かされている寝台からやや離れた位置、椅子に座っていた人物が、どうという感情を込めずに言った。
金髪の、美しい少女だった。
ロイス王国ではまず見かけない、ゆったりとした衣服を身に纏っている。雰囲気が庶民のそれではなく、異国の貴人だろうか――と、そこまで考えてからヴォルトは自分が気を失う直前のことを思い出した。
砦の外壁、その上から、獣人が降って来たのだ。
一人目は獅子のような少女。
もう一人は、猪のような巨漢。
記憶はそこで途切れている。
「ここは……?」
寝台の上で身体だけを起こせば、いつの間にか鎧は脱がされており、腰帯もなければ剣もない。さっと身体や顔は拭かれたようで、土埃の感触もなかった。
「貴方たちが襲撃した砦の内部ですわ」
ふんわりと微笑した金髪の少女は、ゆるりと立ち上がってヴォルトが乗せられている寝台に近づいてきた。
「砦の? だとすれば、ここは獣人たちの砦のはずでは……? 君は、人族のように見えるが……?」
困惑を口から吐き出すヴォルトに、少女は同じ笑みを維持した。
「貴方たちは、私たちが ど(・) ん(・) な(・) な(・) に(・) であるのかを、知ろうとしましたか? 聞かせてください。どうしてあのような突撃を?」
口調それ自体はきっぱりとしたものだが、そこに非難が含まれていないのに気付き、ヴォルトの混乱は加速した。
唐突かつ理不尽な襲撃者に対する、当然あるはずの恨みが――感じられない。
「私は、捕虜になった……ということか?」
獣人たちに捕虜という概念が存在するかをヴォルトは知らなかったが、そもそも獣人のことをなにも知らなかった。
おまけに金髪の少女は、どう見ても獣人ではない。
「そう言えるかも知れませんね。騎士様のお名前をお伺いしても?」
「ヴォルト・クラウスという。ティアント領騎士団の副団長だが……どうだろうな。この様では、降格させられていてもおかしくない」
なんだってあんな突撃をしてしまったのか。こうして寝台に身体を預けながら考えると、あんなものは莫迦の極みだ。
「副団長、ですか? では、団長様はなにをしていらっしゃるのかしら?」
「陣所で我々の報告を待っているだろう」
本当にぎりぎり最低限の仕事は果たした、ということだ。その後、団長や『放蕩王子』が――あるいは領主であるスラック・ティアントがどのような判断を下すのかは、ヴォルトには判らないが。
「どうして魔境を越えて獣人たちの領域へ侵攻を?」
「それが任務だからだ」
「つまり、どのような狙いがあるかは知らない?」
「いや――」
どうして、というのなら。
理由というか、口実があった。
「――ティアント領に逗留していたアールヴが獣人に暴行され、貴重品を奪われたという事件があった。魔境での出来事だ。この事件を口実に、領騎士団を動かして獣人の領域へ侵攻しようという流れになったらしい」
「アールヴですか。ヴォルト様は、そのアールヴの方は?」
「今回の部隊について来た。強力な狙撃をした人物がそれだ。自らの手で獣人たちに報復したいということだった」
「ああ――なるほど。そういえば、もう一方、騎士団とは違うふうに見える方がいましたわ。あの強力な剣士は?」
「『癒やしの聖女』の護衛だ。一度だけ力を借りるということで、初戦に出てもらうことになった」
「いやしのせいじょ?」
こてり、と首を傾げる金髪の少女。もし彼女がロイス王国の貴族であれば、噂話くらいは知っているはずだが――。
「君は、一体何者なのだ?」
「ようやく聞きましたね」
唇の端が、先程よりも少しだけ吊り上がった。
少女には美人特有の棘がない――綺麗すぎて近寄り難い、という種類の美人ではない――が、むしろどれだけ近づこうが触れられないような、こちらにある種の諦めを感じさせる隔絶があった。
端的に言うなら、彼女の美には現実感がないのだ。
ゆったりとした衣服から僅かに出ている華奢な手足、冗談みたいに細い首、作り物めいた造形なのに温かさを有する相貌。地面に対してほとんど真っ直ぐに落ちる、腰まで届く長い金髪。
「私たちは、身を寄せ合うことで生まれた集団なのです」
冬の寒い日に白い息を吐くように、少女はそっと呟いた。
だが、ヴォルトには意味が判らない。
「身を寄せ合う……?」
「元いた居場所にいられなくなった人たちは、どうしますか? 何処へとも知れずに流されて、いずれ力尽きる――世界というものは、そのような形をしています」
それは、そうかも知れない。
怪我が原因で騎士団を辞めた者が、気づけば山賊一味の幹部になっていた、なんて話はありふれたものだ。当然ながら賊の規模が大きくなれば討伐の対象にされ、もはや彼のことなど知りもしない騎士団員に殺されることになる。
あるいは領の統治があまり行き届かない寒村などでは、村の流儀と相容れぬ若者が村を離れ、しかし学もなければ技術もない彼は、結局のところ 破落戸(ならずもの) の仲間入りか、もしくは餌になるのが定番だ。
彼がそれなりの都会へ辿り着き、まともな就職を経て自身が望んだ人生を手に入れられる確率は、あまりにも低い。
確かに、世界はそのような形をしている。
「だから私たちは身を寄せ合いました。独りでは寒すぎる。独りでは辛すぎる。私たちは、私たちと同じ別の誰かと一緒にいることにしました。そうして、私たちは同じ誰かを私たちの内側に引き入れていったのです」
それは『賊』が勢力を大きくするのと、なにも変わらない。
しかし金髪の少女からは、ヴォルトがこれまで見てきた破落戸には必ずあったものが、なかった。山賊だろうが強盗団だろうが、傭兵団を名乗る賊徒だろうが、そのような連中は、世の中への恨み辛みを撒き散らしていた。ほぼ必ずだ。
あれのせい、これのせい、あんなふうだから、こんなふうだから、こういう理由があったから、こんな過去があったから、世界が己に無情だったから。
だから、他者を貶めたっていいだろう。
だから他人から奪ってもいい。だって世界から奪われてきた。ならばこちらが奪い返す権利がある。そのはずだ。そうでなければおかしい。
ヴォルトには不思議だった。
もしも彼らの言い分が正しいのなら、彼らはもっと胸を張っていいはずだ。なのに彼らはそうしない。自分たちが悪党である自覚を持ち、多かれ少なかれ、悪事に手を染めていることに引け目を感じているように、ヴォルトには見えた。
眼前の少女は、違う。
恥じることなどひとつもないと、背筋を真っ直ぐに、立っている。
「つまり……君たちは、獣王の民ですらない……ということか?」
居場所にいられなくなった者たちが、集まった。
だというなら、あの『獣王の妹』を自称する獅子のような少女ですら、そうなのだろう。どんな事情があるのかなどヴォルトには想像もつかないが、どのような事情からでも、人は集団から弾かれてしまうものだ。
「ええ、そうです。ここはロイス王国ではありませんし、私たちはロイス王国民でもありません。であれば、侵略行為に抗戦することになんのためらいがあるでしょう? 私たちの居場所を、ただ奪わせるつもりなど、あると思いますか?」
これは――拙い。
そう思った。何故なら彼女たちの理屈には筋が通っており、後ろめたさが全くないからだ。つまり、ティアント領の侵略作戦に対しての 落(・) と(・) し(・) 所(・) が存在しない。
為す術もなくヴォルトが率いる部隊が敗走した現在も、おそらく騎士団長は自分たちが負けるなどとは欠片も思っていないだろう。
ならば、まだ続くだろう。
理不尽な侵略と、それに対する徹底抗戦が。
「これが私たちです。詳しくは、必要があれば追って説明します」
ヒトでないナニカのように、あまりにも綺麗に微笑んで彼女は言う。
だが、ヴォルトには判らない。
「……どうして、俺を助けたのだ……?」
思わず口からこぼれた科白に、少女はちょっとだけ眉を上げ、うっかりしていたな、というふうに小さく笑った。それこそ、年相応の女の子みたいに。
「そう、貴方たちの話を聞かせてもらうためでした。思わずこちらの話をしてしまいましたが――そうですね、お茶をお持ちしましょう」
するりと部屋の入口まで歩いて行き、扉を開ける直前、少女はヴォルトを振り向いてまたふわりと微笑んだ。
「貴方たちの話だけではなく、貴方の話も聞かせてくださいね」