軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第18話 手紙が届く

赴任から六ヶ月目。

朝、フィーネが執務室に飛び込んできた。

「ナカムラさん! 手紙です! 隣領のクレーゼ男爵から!」

「落ち着いてください。——何と書いてありますか」

フィーネが封を開けて読み上げた。声が震えている。

「『ヴァレスティア公爵領・フィーネ殿。近頃、当領および周辺の領地において、食い詰めた流民が増加しております。当領でも受け入れに限界が生じており、一部がそちらの方角へ向かっているとの報告がございます。ご留意いただきたく——』」

フィーネが顔を上げた。

「流民が、こちらに来るんですか?」

「……そうです」

(まずい。——いや、まずい、ではなく。これは行政として予測すべきだった)

原因は明らかだ。レイガスのチート行政がもたらした「幻の好景気」の崩壊が、周辺領地にも波及している。レイガスがダンジョン攻略で独占していた利益が消えた結果、それに依存していた周辺の商人や労働者が食い詰め始めたのだ。

「ナカムラさん。何人くらい来るんですか」

「わかりません。十人かもしれないし、百人かもしれない」

「百人!?」

フィーネが椅子から立ち上がった。が、その勢いでデスクの角に腰をぶつけた。「いたっ」と小さく呻いて、すぐに「だ、大丈夫です」と取り繕った。

(流民の報告でパニックになって、デスクにぶつかる。——行政官としては心配だが、人間としては微笑ましい)

「現時点では不明です。——ただ」

俺は台帳を開いた。

「この領地の人口は五千六百人。噴水と排水溝の処理能力、保存食の在庫、税収の規模。——台帳と棚卸しの記録があれば、何人まで受け入れられるか計算できます」

フィーネが台帳を見つめた。その目は、半年前とは違う。「ただ重い台帳」ではなく、「道具」として見ている。

「計算できるんですか?」

「だから台帳を作ったんです」

「……ナカムラさん。一つ聞いていいですか」

「はい」

「もしも台帳がなかったら、どうなっていましたか」

「何人受け入れられるかわからない。在庫がいつ尽きるかわからない。予算がどれだけ使えるかわからない。——全部わからないまま、なんとなく対応して、なんとなく破綻します」

「……こわい」

「それが、記録のない行政です」

フィーネは、「こわい」という自分の言葉を噛みしめるように口の中で繰り返した。それから、メモ帳を開いた。手が震えているが、書いた。

「きろくがない→なんとなくたいおう→なんとなくはたん」

(「なんとなく」が二回出てくる。——この子は、「なんとなく」の危険性を、言葉で理解した)

「ナカムラさん。——怖いです」

「はい」

「やっと、少し良くなってきたのに。パンの匂いが戻って、子供が笑うようになって、みんなの名前を覚えて——」

フィーネの声が小さくなった。手が、無意識にポケットの猫の木彫りを握っている。小さな手だ。十三歳の少女の、公爵家当主の、子供のような手だ。その手が、木彫りの猫の耳を触っている。——レイガスが作った猫を、この子はお守りにしている。

「——壊されたく、ないです」

(この子の恐怖は正しい。半年かけて積み上げた信頼が、流民問題で崩れる可能性がある。残留民と流民の軋轢。限られた資源の奪い合い。——前世の自治体でも、災害時の避難民受け入れは最も難易度の高い業務だった)

「フィーネ様。壊れません」

「え?」

「台帳があります。予算案があります。棚卸しの記録があります。——この半年で作った仕組みが、あなたを守ります」

「……でも、仕組みだけで本当に大丈夫ですか」

「仕組みだけでは無理です。仕組みを動かす人が必要です。——フィーネ様。あなたがいます」

フィーネの目が、大きく見開かれた。

「わ、私が……?」

「この半年で、あなたは住民の名前を覚え、台帳を読み、予算を理解し、棚卸しができるようになりました。——流民が来たとき、受け入れの判断ができるのは、あなたです」

フィーネがメモ帳を握りしめた。震えが、少しだけ収まった。

「……はい。仕組みが——ナカムラさんと一緒に作った仕組みが、あります」

「では、まず受け入れ計画を立てましょう。台帳と在庫記録を突き合わせて、最大受け入れ可能人数を算出します。今夜中に」

「はい!」

フィーネがペンを取った。

その手はまだ震えていたが、文字は正確だった。

その夜、二人で計算した。

フィーネは筆算で計算した。以前は指が足りなくなると「あぅ」と呻いていたが、今は筆算で三桁まで出せる。ただし、四桁になると頬が真っ赤になる。

「ナカムラさん、三百かける六十って……えっと……」

「掛け算の筆算のとき、ゼロの数を間違えないように」

「ゼロの数……あ、一万八千!」

フィーネの頬が上気した時の笑顔は、前世の新人研修で初めて計算が合った時の、あの子の顔に似ていた。フィーネは筆算が合うと両手を上げて喜ぶ。その時、袖がずり下がって細い腕が見える。——小さい。この小さな腕で、灯りのない執務室で、計算し続けている。

(「できた!」と言う時、この子は必ず俺のほうを見る。褒めてほしいのだろう。——「上手です」と言うと、破顔する。その笑顔のために褒めているわけではないが、結果としてそうなっている)

(五桁の計算になったら、ペンを置いて「もう限界です」とおたおたするだろう。四桁で赤面、五桁で降参。——行政の数字はたいてい五桁以上だが、いずれその壁も越えるだろう)

噴水の処理能力——現在のルーン石の出力で、約六千人分の生活用水を賄える。余裕は四百人分。

食料在庫——現在の保存食と配給ペースで、三百人の追加を二ヶ月維持できる。

住居——屋根と壁が残っていて、修繕なしで今すぐ人が住める状態の空き家が十二軒。一軒あたり三人として、三十六人。足りない。廃屋ならもっとあるが、チートの余波で壊された家は、修繕費を確保しないと使えない。

「ナカムラさん。住居が全然足りません」

「そうですね。——でも、『足りない』とわかっていること自体が大事です。『何が足りないか』がわかれば、対策が立てられますから」

フィーネがメモ帳に「たりないとわかることがだいじ」と書いた。その横に、細い字で「でも、たりないのはこわい」と書き足してあった。

(「足りないとわかった上で、それが怖い」。——正直だ。それこそが、正しい恐れ方だ。怖くない行政官は危ないが、忘れずに恐れる行政官は強い)

(その通りだ。——でも、実際に流民が来たら、この計算では足りない。住居の問題は深刻だ。本当の勝負は、これからだ)