軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第17話 夜の巡回

深夜。俺は一人で領地を歩いていた。

前世の習慣だ。自治体職員だった頃、残業の帰りに地域を歩くことがあった。昼間とは違う顔が見える。

南区の通りは静かだ。パン屋のマリアの店は窓が暗い。明日の仕込みはまだか。北区の倉庫エリアに差し掛かると、異変に気づいた。

倉庫の扉が開いている。

中に入ると、保存食の棚が荒らされていた。干し肉が三本、塩漬けの根菜が一袋なくなっている。

(盗まれた。——だが)

足跡を見た。小さい。大人の足ではない。

翌日、アルノルドに相談した。

「倉庫荒らしだと。——犯人は」

「おそらく子供です。足跡が小さい」

「子供か。……飢えてるんだな」

「そう思います」

「で、どうする。罰するか」

俺は首を振った。

「罰しません」

「罰しないだと? 盗みは盗みだろう」

「盗みが起きたのは、保存食の配給ルールがないからです。腹が減った子供が、どこで、どうやって食べ物を手に入れればいいのか——その仕組みがない。仕組みがないのに罰しても、また盗みが起きます」

アルノルドが黙った。

「……お前は、甘いのか厳しいのか、わからんな」

「どちらでもありません。合理的なだけです」

「ごうりてき」

「一番良い結果が出る方法を選ぶ、ということです。子供を罰しても、子供の腹は膨れません」

アルノルドが腕を組んで、しばらく考えた。

「……わかった。お前の好きにしろ」

「盗まずに済む仕組みを作るほうが先です」

(古代ローマの法学者ウルピアヌスは「法は善良な人のためにある」と言った。犯罪を減らすには、犯罪が起きない環境を作るのが最も効果的だと)

翌日、広場の掲示板に貼り出した。フィーネが書いた告知文だ。字は相変わらず簡易文字が中心だが、「配給」や「登録」は正字で書けるようになっている。

「保存食の配給について

毎週水曜日、倉庫前にて配給を行います。

対象:台帳に登録されたすべての住民。

一世帯あたり:干し肉二本、根菜一袋。

台帳の登録番号を確認しますので、登録がまだの方は事前に執務室までお越しください」

フィーネが掲示板の前に立って、告知文を読み上げた。声はまだ小さかったが、内容は明確だった。

「フィーネ様。読み上げ、お上手でしたよ」

「ほ、本当ですか? 声が震えてませんでしたか?」

「少し震えてましたが、内容が正確だったので問題ありません」

「あぅ……震えてたんですね」

(震えていてもいい。大事なのは、声を出したことだ。——前世の上司が「下手でも声を出せ。黙っていたら何も始まらない」と言っていた。あの人の言葉は、異世界でも正しい)

配給日の初日、行列ができた。台帳に載っていない未登録住民も数人来て、その場で登録を済ませた。

(保存食の配給が、台帳への登録を促進している。行政サービスと住民登録のリンク。——教科書通りだ)

三日後、倉庫荒らしは止まった。

フィーネが配給の列の横に立って、住民一人ひとりに声をかけていた。「お疲れさまです」「足りてますか」。以前なら「ごめんなさい」しか言えなかった子が、今は住民に声をかけている。

(配給という「制度」が、フィーネに「役割」を与えた。役割があると、人は動ける。——行政の設計としては、理想的な展開だ)

◇ ◇ ◇

巡回を始めて数日。夜の散歩は習慣になっていた。

その夜、執務室に戻ろうとしたら、ドアが開いていた。

「ナカムラさん」

フィーネが立っていた。寝癖のまま、瞳をこすっている。左の頬に寝跡が付いている。デスクの木目の形だ。執務室で突っ伏して寝ていたらしい。

「フィーネ様。こんな時間にどうしました」

「ナカムラさんが夜、どこかに行くの、気づいてたんです。——私も行きます」

「危ないです。お休みください」

「危なくないです。ナカムラさんが回ってる道ですから」

(論破できない。——この子は時々、弁が立つ)

結局、一緒に巡回した。フィーネは小さな歩幅で隣を歩いた。小柄な体が、夜の街灯の下でやけに頼もしく見えた。

「……風が気持ちいいですね」

「そうですね」

初夏の夜風が、フィーネの赤毛を揺らした。月明かりに照らされて、琥珀色の瞳が光っている。

(情は移さない、と何度目だ。移さないが、この子の隣を歩くのは、悪くない)

フィーネは両手を背中で組んで、小さな歩幅で歩いていた。足元の石畳の目地を踏まないように、注意深く足を運んでいる。

「フィーネ様、何をしているんですか」

「石畳の線を踏まない遊びです。小さい頃お父さんとやってました」

十三歳の公爵令嬢が、深夜の巡回中に石畳の線を踏まない遊びをしている。行政の状況としてはどうかと思うが、先代との想い出が、この子の中に残っていた。

(父親との記憶を、この子はこういう形で守っているのか)

その夜、噴水の前でフィーネが座っていた。足をぶらぶらさせて、月を見上げている。

「フィーネ様。こんな時間にどうしました」

「ナカムラさんが帰ってくるのを待ってました」

「待っている必要はないのですが」

「待っていたかったんです」

(論破できないシリーズ第二弾だ)

フィーネの手に、猫の木彫りが握られていた。月明かりに照らされて、小さな猫が光っている。

「フィーネ様。明日の配給の準備は」

「終わってます。分配リストも作りました」

「見せてください」

メモ帳を受け取った。分配リストが正確だ。各世帯の人数に応じて、配給量が調整されている。棚卸しの応用だ。

(俺がいない間に、この子は新しい業務を自分で作った。——教えていないことを、自分でやる。それが「自立」だ)

帰り道、フィーネが言った。

「ナカムラさん。倉庫を荒らしていたのは、クラウスさんの家の男の子でした」

「わかっていました」

「え?」

「台帳を見れば、七歳の男児がいる家庭で、食料の備蓄が少ない世帯はクラウスさんの家だけです。——罰しません」

「はい。——私も、そう思います」

フィーネは少し黙ってから、続けた。

「クラウスさんの男の子、今日、配給の列に並んでました。ちゃんと並んで、登録番号を見せて。——笑ってました」

「そうですか」

「『盗まずに済む仕組み』って、こういうことなんですね」

フィーネがメモ帳を閉じた。その表紙には、もう一行追加されていた。

「ぬすまずにすむしくみを、つくる(そしてその子がわらえるように)」