作品タイトル不明
腹を割って話す
口下手なエレンにあそこまで言われて、お互いの言いたいことを言い合うことになった。
「替え玉も離婚も嫌だ。」
「それで終わる話ではないことは分かっているでしょ?」
昼を過ぎて、テラスでミカエルとリエッタはテーブルを挟んで座っていた。腹を割って話す。それは二人にとっては初めての試みだった。
二人だけでの場を設けるために、しかし息がつまる室内ではないところ。そうリエッタが呟けば、モニカ嬢がテラスでお菓子でもつまみながらと提案したのだ。目の前にはイーリス夫人のスコーンやクッキーなどの、素朴だが飽きの来ないお菓子が並び、頭上はひさしと新緑、そして青空だった。風が気持ちいい。リエッタが氷と果実の入ったアイスティーをストローで吸い込んだ。これもモニカ嬢の発案だそうだ。
「はあ、なんでよりによって、エレンなんだ。ケイオスならわかるが。」
お茶をすすりながらミカエルはリエッタを睨みつけていた。一瞬だけ言葉に詰まったのが分かった。しかし表面上はすまし顔で、リエッタが続けた。
「あら、ケイオスなんてあてにならないわよ。大事なところで裏切られるだろうし、結局国王陛下の味方しかしないもの。」
リエッタとモニカ嬢を逃がすために、ケイオスがあえてミカエルを煽って顔にあざを作ったことは黙っておくことにした。
「それにエレンなら私が本気で縋れば、ちゃんと助けてくれるもの。辺境伯だってことを除いても国内で唯一国王陛下でも手が出せないでしょ。」
カランカランとグラスをかき交ぜ、リエッタが水滴で遊んでいた。伏し目がちのその様子が、数十年前の光景と重なった。
あの時は確か、『ミカエル』と。
「いつまでそんな長ったらしい名前を呼ぶんだ。」
「何が?」
リエッタが首をかしげた。いつからリエッタに、名前を呼ばれていなかっただろう?1年前はどうだったか。名前を呼ばれる以前に顔も合わせていなかった。10年前は?まだリエッタが離宮に引きこもる前、王宮にいたときは?すれ違いを起こしていた。では結婚当初は?いや、あの時もすでに名前は呼ばれていなかった。ああそうか。結婚したその日から、リエッタは一度たりとも『ミカエル』とは呼ばなくなった。そんなに昔からだったのか。人目がなくなれば今まで通りでいいと思っていたが、そもそも王妃に人目がなくなる時がなかった。
だからこの度、この場が、久々の人目のない瞬間だった。
「人目がないんだから、名前で呼んでくれて構わない。」
「あら、いちいち変えるのが面倒臭いからいいわ。国王陛下で。」
興味無さそうに返された。いや、実際にリエッタは興味がないのだ。
「それで?何か言いたいことでもあるの?」
「王宮に帰るにあたっての改善点だ。」
「別にないわね。」
頬杖をつきながらアイスティーをすすっていた。言他に帰らないから興味ないと言っているのが聞こえてきた。さっきから一度も目線も合わない。クッキーをやる気なく口に運んでいるだけだった。
「子供たちはみんな学園を卒業して、来年になればリチャードも結婚するし、全員巣立ったのよ。子供のことももう片がついたし、王太子がリチャードなら不安もないし、シエナ嬢も悪くないし、国も安泰だわ。何かほかにわたくしがやり残したことある?無いでしょう。」
「ああそうだ、やっと肩の荷が下りた。これからやっとゆっくりできるのに、離婚する意味が分からない。」
「はあ?終わったから離婚なんでしょ。王妃なんて肩書を持ってたら、ゆっくりなんてできないから。」
「できるだろう。旅行に行きたければ行けばいいし、畑がやりたかったらやればいい。せっかく時間ができるんだから、い、一緒にいってやってもいい。」
「え、いやよ。国王陛下となんて絶対に楽しくないじゃない。それって視察の延長の奴でしょ。しかもあれが嫌だ、これは嫌だとかわがまま言い出してうんざりするもの。それなら一人で旅に出たほうがましよ。まし。」
そんなわがままは言わない、と思う。
「逆に、替え玉は何でダメなのよ?」
「非常識だろう。妻がいるのに何で他人がそれに成り代わって、あまつさえなんでそれを容認しなければならないんだ。」
「ねえ、よく思い出しなさいよ。去年、行事で国王陛下の隣にいたことが何回あって?新年のあいさつの時の1回だけよ。その他の行事は全部、第二妃が出ていたわ。つまりその1回も第二妃に任せればいいってだけのことよ。そうして1年後に死んだことにする、完璧なプランだわ。何か反論でもある?」
穴だらけの理論だ。どうして伝わらないのだろう。
「ああ。ただの、一回でも。君が私の妻として、隣に座ってくれるのだから、その一回に意味があるんだ。」
「一回に?じゃ、新年だけローファス領から帰ってくるっていうのは?」
「君は私の妻なんだから、王都にいるべきだ。」
「あなたの妻は2人いるんだから、1人いなくなってもいいじゃない。1年に1度だけ顔を合わせるだけの人なら夫婦である意味無いでしょ。」
「いやだ、君の夫でいたい。」
「だからそれをやめたいんだけど。」
「なんでわかってくれないんだ。」
「なんでわかってくれないのかしら。」
くしくも被った言葉にお互い顔を見合わせた。
「やっぱり、あなたとは気が合わないわね。結婚前に危惧していた通りになったわ。」
「結婚前に何か不安でもあったのか?」
ハッと鼻で笑って、リエッタは新緑に目をやった。
「あるに決まっているでしょ。というか不安しかなかったわ。あのローズの穴を埋めるために結婚したのよ。うまくいくわけないじゃない。わたくしはローズほど器量もよくないし、融通も利かないし、可愛らしくもないんだから。わたくししか結婚相手がいなかった国王陛下も、ご愁傷様としか思わなかったわ。」
「な、に言っている。私は、君と結婚できてよかったと思っていた。」
本当に、そう思っていた。むしろリエッタが頷いてくれると思わなかったから、結婚できたこと自体が幸運だ。
「まあそうね、他にいなかったものね。」
リエッタがまた大きなため息をついた。
その時に思い出した。そうだリエッタは嫌々ながら結婚したのだ。国のために。そのうち第二妃との妃争いで、王妃という地位を守り抜いてくれたから、リエッタが王妃になりたがっていたと錯覚してしまっていた。ここにきて、あまりにあっけなく大事にしていた王妃の地位を捨てるものだから、ミカエルは困惑していた。しかしリエッタが王妃の地位を大事にしていたのは、ひとえに子供たちが生きやすくなるための肩書に過ぎなかった。ミカエルの隣が大事だったわけではないのだ。
「いや、リエッタ、君と結婚できたのは、本当によかったと思っているんだ。」
「はいはい、さっき聞いたわよ。」
違う。もっと言いたいことがある。子供たちが立派に育ったのは、公務で構えなかった自分の力ではない。欲を言えばクリスをもっと愛してほしかった。教会が神託など降ろさなければ、リエッタも生きやすかっただろう。リチャードもアリアドネもちゃんと大人にななった。公務に全力できたのもリエッタのおかげだ。本当は婚約者はローズではなくリエッタと言いたかった。変な意地など張らなければよかった。今となっては何で意地を張っていたかも思い出せない。出会った頃、笑いあったころからずっと好きだったのに。
目の前のクッキーを手に取って口に放り込んだ。それを冷めたお茶で流し込んだ。
「ご愁傷様とか、言わないでくれ。」
私の心を死んだことにしないでほしい。
「はいはい、ごめんなさいね。」
「どうしたら君は帰ってきてくれるんだ。」
「無理だってさっきから言ってる。」
でもこれは身から出た錆なんだろう。素直になれなかった末路。
「無理なんだな。」
「ええ。」
「・・・わかった。」
リエッタのエメラルドの瞳と、初めてかち合った。そして口角があがってへにょりと笑った。少女の頃の笑みだった。ミカエルの胸の奥をがっちりととらえて離さない、可愛らしい笑顔だった。
早速、先ほど目の前に出された書類を渡された。見なければならないのに、目が滑った。リエッタが席を立ち、大股でテラスから飛び出して行ってしまった。その先には髪を一つにくくった筋肉質な男と、小柄な女性がいた。馬小屋に行く途中らしい。リエッタの、声の大きさを気にしない、バカでかい笑い声がした。セレナーデの背に乗りたい。アンバーが乗るならわたくしも乗る!そう、わがままを言っていた。
「これは、わがままじゃないのか?エレン。」
どうだろうあの真面目で少しだけ天然な幼馴染は、これは提案ですのでわがままではありませんとでも応えそうだ。そこでリエッタはそれ見たことかという顔をするのだ。そういうところは昔のままだった。
案外ここで、上手くやっていけそうなリエッタに、胸がチクリと鳴った。これを自分は永遠に抱えていかなければならない。