軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

タンポポの綿毛は飛んでいく

リチャード殿下が帰ってきて1週間。

ようやく仕事が普段通りのリズムになってきた。がらんとしたクリス殿下の机を、ケイトはじっくりと見ていた。

クリス殿下はいまだに屋敷から帰って来ない。調べ物があるということで残ったのだ。拘束されたグリーン侯爵と騎士団の取り調べの指揮、それから余罪の証拠品の分析などはすべてリチャード殿下が取り仕切っていた。

リチャード殿下が返ってくるまで、何とか手を動かしていた国王陛下だったが、王妃様からの伝言を聞いて完全に手が止まってしまった。何を言われたのかは分からない。執務室でサインをする機械に成り下がっていた。その穴埋めをし、滞っていた仕事を片付け、国王陛下が変な書類にサインをしないようにフォローし、戻ってきた兄上が大変にならないようにと王太子の仕事も終わらせてしまったのが、リチャード殿下だった。まさに文官たちにとっては救世主だった。今まで意図的に隠れていたのは知っていたが、最近臣下の中ではもっぱら、評価が急上昇していた。

「兄上からの指示があった。」

本人はそう言っていたが、仕事のアプローチの仕方が全く違うので、見る人が見ればクリス殿下の指示で無いのは一目瞭然だった。

悔しいが、リチャード殿下は学園に通っている間に、さらに大きくなっていた。こちらはこちらでやけになって仕事に邁進している気がしないでもないが、たった1週間で滞っていたものが跡形もなく消えたのは紛れもない事実だった。

「王太子殿下の机に書類がないのは初めて見た。」「初めからリチャード殿下のほうにもっていった。」「仕事が早い。」等の言葉も聞こえてきた。

こうなることは予想していた。今のところリチャード殿下がただ一人、王城でちゃんと仕事をしている王族なのだ。こんな状況で国を回さなければならない。それなのに彼一人で何とかなってしまっていた。もし外に漏れ出でもしたら、クリス殿下の立場は相当危うい。

「はあ、早く帰ってきてくださいよ。」

物静かな執務室で独り言ちた。その時無遠慮に扉が開いた。王太子が今いないと分かっていても、こんなに乱暴に開けるのは1人しかいなかった。

「ケイト。兄上の仕事は?もうないか?」

「はい。今のところは。リチャード殿下の執務室のほうにあるのではないですか?」

「あ、書類が間違ってこっちに来ていたから、一応目を通したのを持って来た。少し時間が空いたからこっちの様子を見に来たんだが。」

リチャード殿下から受け取った書類にさらっと目を通した。急ぎだった今年度の予算は今朝の議会で可決された。何とか年度中に終わってほっとしていたのに、もう次の仕事に取り掛かっているようだ。机の上に置いてあった数枚の書類を目ざとく見つけ、それに目を通し始めていた。

「何やらリチャード殿下は急いでいるように見受けられますが。」

見たままを言ったつもりだった。彼の肩が揺れて、止まった。リチャード殿下はモニカ嬢を連れ戻しに行って、そのまま、グリーン侯爵を連れて戻ってきた。帰ってきたときは貴族用に牢に侯爵を入れながら、不服だという顔を隠しもしなかった。国王陛下へ王妃様からの伝言を伝えてから、その日はまっすぐリチャード殿下の翡翠宮に帰って寝室から出てこなかった。次の日からは猛然と仕事を片付ける日々で、時間ができたのがついさっきというわけだ。

「モニカはバージェスに帰ってくると言っていた。ただ、今はレオについて行きたいそうだ。なあケイト、もしモニカがずっとローファスにいたいと言ったら、私はどうしたらいいんだろう。」

あちらで一体何があったんだろう。

「それは、いいんじゃないですか?モニカ嬢も婚約者もいませんし、あちらでいい人でも見つけたら、そのままご結婚もなさればよいのでは?」

あちらでのいい人とはまあレオン君のことだが、リチャード殿下はみんなの予想に反してモニカ嬢では無くシエナ嬢と婚約を結んだので、仕事のために元婚約者が戻ってくる方が、ややこしい話になりそうだ。

「はあ。モニカを連れ戻す手はないものか?」

これは、レオン君にもとられたくないと。そんなこと言ったらモニカ嬢は一生独身だ。それか、ほとぼりが冷めたら、第二夫人として迎えるとか?貴族ならよくあることだ。

「どうしてそこまで、モニカ嬢がいいんです?確かにモニカ嬢は成績優秀な才女ですが、シエナ嬢は明るく、美しく、あなたのことを愛してくれますよ。モニカ嬢とは、正直申し上げて、仕事の話しかしないような仮面夫婦になる気がします。それはお互い不幸せでしょう。さすがに。」

モニカ嬢と心を通わせ、お互いに支え合えるような関係になるよう、幼少期にお節介を焼いたつもりだが、どうもうまくいかなかった。その状態で結婚なんてしても、仕事を回す為だけの結婚になるだろう。

「モニカはどんな状態が幸せなんだ?」

「そりゃ、一般的には素敵な方と結婚することでしょうが、私が見た限り、領地の為に仕事をするほうが好きそうでしたね。あまり話したことはございませんが。そこへ行くと、リチャード殿下はご結婚なさっても、御自分で仕事を終わらせてしまって、モニカ嬢が手を出す隙が無さそうですね。」

「楽をさせたいと思うのはいけないことだろうか。」

おや、意外と献身的だった。昔はモニカ嬢を振り回していたのに、今ではすっかり振り回されている。

「それでは聞いてみたらいいんじゃないですか?モニカ嬢の幸せとは、いったい何なのかと。」

「いや、聞かなくても大体予想はつく。」

そう言って大きなため息をついた。

「モニカはレオと一緒にいたいというだろうさ。」

「そうハッキリ言われたんですか?」

「ああ。」

これは、きっぱり断られたうえ、はっきりフラれたのか。そのうえでまだ連れ戻したいと考えているのは相当メンタルが強い。

「じゃあ無理じゃないですか?無理やり連れて来たって、幸せとは程遠いでしょう。」

「無理やりじゃなく、モニカ自身が帰ってきてくれるような策か・・・。」

策とかそういうことじゃない気がしたが、そんな手があるのだろうか。ぼんやりそう考えていると、リチャード殿下の手に、見覚えのあるハンカチが握られていた。あの綿毛の刺繍は一時期引き出しの肥やしになっていたものではないか。そういえばクラレンス・オーズが最近弟子を取ったとか何とか言っていたな。婚約者を探すんじゃなかったのか。確か、ジスと言ったか。モニカ嬢の実の弟で、祈りを込めるのが格段にうまい。そう褒めていた。

「確かタンポポの綿毛の花言葉は、『神託』でしたね。」

現実逃避でつぶやけば、意外にもリチャード殿下は食いついてきた。

「それは確かか?」

「ええっと、たぶん。調べてみないと確かなことは言えませんが。」

神託と聞いたら、クリス殿下とリチャード殿下の足を生まれたときから引っ張っていた、忌々しいあれが思い出された。

『リチャード殿下は黄金の輝きを持つものと、王国始まって以来一番の繁栄を築くだろう』

あの神託は国王陛下がすぐさまもみ消しにかかったから、知っている人はごくわずかだ。その頃はモニカ嬢は生まれたばかりで王都にはおらず、タンポポを選んだのだって誕生花だからだろう。扉の外が慌ただしくなった。少し扉を開けて外をうかがった。

「あ、ケイト!苦労かけたね。」

「クリス殿下。」

大きく扉を開けて迎え入れた。

「兄上!」

「リチャード、ただいま。」

国王陛下の執務室には、今は人がいなかった。普段ならサイン待ちの列ができるのだが、今はリチャード殿下の目を通したものでないと国王陛下にまで回らない。いつになく閑散としている扉をケイトは開けた。

「ただいま戻りました、父上。」

「ああ。」

こちらに一瞥もくれず、椅子に座りぼんやりと外を眺めている国王陛下がそこにいた。普段そんなことをしたら氷の公爵と名高いバージェス公爵が、皮肉たっぷりに国王陛下を追い立てて仕事をさせるのだが、この数週間公爵は登城していなかった。なんでもケガをしたとかいう噂だった。真偽も確かめられないほど忙しく、ようやくそんなことにまで気が回り始めた。

「まずあの屋敷を詳しく調査した結果をお見せします。ラペットの宮から発見された注文票以外にも多数の品物が運び込まれており、新緑商会が荷物置きとして使っていたことは明白です。しかも取り扱いには許可申請のいるものも含まれておりました。ラペットに献上した屋敷を隠れ蓑に使っていたようです。」

ああやはり。そうなるとラペット妃が知らなかったとしても罪に問われることになる。グリーン侯爵はそれを鑑みてあえてそこを使っていたのだろう。ラペット妃を庇うならグリーン侯爵の罪を見て見ぬふりをしなければならない。隣に立っていたリチャード殿下が少し険しい顔をした。

「リチャードに毒を盛ろうとした件について、屋敷からラペットに送った記録が残されていました。この毒はラペット自らが注文したことが分かりました。」

ラペット妃はもう、王太子妃としてはやっていけない。それは確定だった。王城に置いておくのも危険だ。

「ラペットの罪が確定したということだな。」

ここでやっと口を開いた。

「はい、その他の違法取り扱い物は関係ないと言い切れますが、洗脳薬だけはしっかりラペットが手配した証拠が出てきました。それも吸血鬼の洗脳薬でした。」

毒薬としても最上位。いくら王族とはいえ死刑は免れない。

「父上、提案がございます。」

そう言葉を区切ったことでようやく、国王陛下は体をこちらに向けた。

「私が王太子である限り、ラペットは同じことを繰り返すでしょう。たとえラペットが死刑になったとしても、ラペットに同意する者たちが。それに娘の母親を死刑にするのは忍びない。」

一呼吸おいてからまた、クリス殿下は口を開いた。

「ですので、私は王太子を下りたいと思います。」

静まり返った部屋の中で、一番最初に声をあげたのはリチャード殿下だった。

「何を言っているんです、兄上。ラペット妃に罪はありますが、兄上には無いでしょう。私は将来、国王となった兄上をバージェス家から支えるんですよ。それ以外考えていません。」

「そうだね、リチャード、今までずっと、私のために力を抜いて生活させてごめんな。ずっとずっと考えていたんだ。我慢さて続けていて申し訳ないって。」

リチャード殿下の頭に手をポンと乗せた。それだけで、首を振って拒否を示していた弟の動きを止めた。

「父上。ラペットの件、何とか、吸血鬼の洗脳薬ではなく、コウモリ男の媚薬ということにはなりませんか。それなら未遂ですから王都追放で済むはずです。私が王太子から降りますので、ラペットの命を救っていただけませんか。」

何を言っているのか。反論したいのに言葉が出てこず、ケイトはその場で唇をかんだ。ラペット妃を切り捨てればクリス殿下には何のお咎めもないというのに。この人の欠点は優しすぎるところだった。

「それではお前の妻が弟に媚薬を盛ったことになるが。」

「いえ、洗脳薬だと思って、媚薬を盛ったのです。薬の種類はごまかせませんが、効能は下げられます。もともと水で薄めてもありました。」

昔からラペット妃がリチャード殿下にちょっかいを出していたのは、王宮に勤めていれば周知の事実だった。だからリチャード殿下はラペット妃を心から軽蔑して避けていたし、毛嫌いしていた。

「吸血鬼の洗脳薬と偽って、コウモリ男の媚薬を売りつけられたことするのですか?それを薄めて使ったからほぼ効果がなかったと。確かにあの屋敷の近くの洞窟の檻の中にいたのはコウモリ男であって、吸血鬼ではなかったですけど。」

出来なくはないが、する必要性を感じない。ラペット妃が生き残ったとしても、おとなしくするかは別の問題だし、投獄するにしても今度は教会から反発が来るだろう。

「その後のことは?」

「はい。私がラペットを引き取ります。娘が次世代で王位継承のトラブルの種になるかもしれませんので、平民になるとまでは言えませんが、つつましく暮らすことを約束します。」

「何言っているんですか兄上。アノヒトだけ修道院に行ってもらえばいいでしょう。それならいつでも会いに行けますし、あの人の罪が軽くなったのなら、兄上は王太子のままでいいでしょう。」

「いや、いいんだ。リチャードは私がいない間、私の代わりに仕事をしてくれたよね。あんなに机がすっきりしてるのを見たのは初めてだよ。やっぱり、お前は誰よりも優秀なんだよ。」

「でも!」

「グリーン侯爵の罪は関わっていた、いないにかかわらず連座の上、国外追放が妥当ということになるな。そうなると侯爵の座が空く。クリスよ、そこを統治するのはどうだ?」

「いいんですか?父上。」

「そうなるだろう。王太子はリチャードになる。」

「まってください!待ってくださいよ・・・」

王位継承順位の一位はクリス殿下がいなくなれば、リチャード殿下になるのは、いくら否定しようとも変わらない事実だ。しかしこの間学園を卒業したばかりの彼に、急に重圧がかかって来たら、戸惑うのは当然だ。

「ところでリエッタと何を話したんだ。」

国王陛下の関心事は王妃様だけらしい。今まさに王位継承の話をしているのに。

「母上からは、まだ王太子を続ける気があるのなら、国政が回らないし、リチャードを王太子にとの声が強くなるから早く帰りなさい、と。」

「それだけか?」

「いいえ。他にもいろいろと話しました。例えば取り仕切っていた孤児院の話や、子供の頃の話など。それからローズ様や、ローファス伯爵のことなどですね。あと、私が生まれたときのことなど。」

「そうか。」

「母上はローファス伯爵の後妻になる気満々でした。父上はどうなさいますか?」

重い溜息を吐いて、下を向いた。

「まだお決まりでないなら、3カ月ありますから期限まで考えるのもいいと思います。」

「ああ。」

静かになった執務室で、扉が叩かれるまで彼らは黙ってそこにいた。