作品タイトル不明
真の腹心
弟とともに、孤児院で育ったフィナは、少し早く働き始めたが、お金に困っていた。そんな彼女を第三王子殿下が拾った。数カ月王宮で働いたのち、彼からの紹介ということでモニカお嬢様と出会った。定期的にお嬢様の様子を報告する。つまりはスパイだった。報酬は破格だ。しかも公爵家に正式に雇われていたので、その分の給料も上乗せされていた。こんなにいい働き口はないと第三王子殿下に感謝していた。その分お嬢様のことは事細かに報告していた。
そのお嬢様であるが、初めは冷遇されているのかと思った。しかし公爵夫婦はモニカつきとなってからよく、お嬢様のことを聞かれた。同じ年代の女性のほうが話しやすいだろうとのことだった。
お嬢様は廊下での足音や、隣の部屋の話声に、たびたび体を固まらせていた。物音に敏感で常に警戒を怠らない野生動物のような人。そして自身も静かだった。
フィナはそういう子供を何人か孤児院で見ていた。親に暴力を振るわれていた子たちだ。話を聞けば仲睦まじい両親の元育ったと聞いていたが、お嬢様はまさにあの子たちと同じ目をしていた。公爵様が言うには、知らない環境に置かれたためだろうとのことで、極力モニカお嬢様の元には人を置かず、過ごしてもらおうとしていた。常に別邸は静かだった。そしてその静けさは愛だった。お嬢様は冷遇など程遠いほど公爵夫婦に愛されていたのだ。
そんな別邸が少しだけ明るく騒がしくなったのは、シエナ様が訪ねてくるようになってからだ。足音がすると体をこわばらせていたお嬢様が、子供のパタパタという足音を聞くとパッと嬉しそうに顔をあげるようになった。それを報告した時の公爵夫婦の顔が、今でも忘れられない。
こうして少しづつよくなっていってくれたら、ここがお嬢様にとって安心できる場所の一つであれたなら。心からそう思っていた。そうしてゆくゆくは、もう一人の雇い主である第三王子殿下が、そういうお嬢様を理解し、支えてくれる一人になってくれたらいい。そう思って報告を続けていた。あの冷徹で腹黒い雇い主が、お嬢様の前では形無しなのだ。きっとうまくいく、そう信じていた。
しかし現実は徐々に後退していった。フィナが仕えるお嬢様は、人に頼るのが苦手なかただ。何とか自分で解決しようともがくのが常だ。そのお嬢様が、シエナ様に全力で頼ってうまくかわし、第三王子殿下は空回りしていた。とうとうダンスの練習中、お嬢様が過呼吸を起こした。すぐに、極度の緊張状態に陥ったと、何か良くないことが起こったと察しがついた。
お嬢様は第三王子殿下と一緒にいると緊張するのだ、それも、極端に。フィナの報告は役に立っているのかいないのか。報告書で初めて、腹立ちまぎれにデートにでも誘えと書いてしまった。それで何で新緑商会の視察になるのか。そういうところが第三王子殿下の良くないところだ。結局あの後シエナ様にプレゼントをいただいた話が9割、残りの1割がレオン様がダガーを選んでくれた話で、殿下は名前も出てこなかった。
また文句多めの報告書をかこうとしていた矢先、お嬢様が攫われてしまった。急いで第三王子殿下に報告したが、もしかしたらそれがよくなかったのかもしれない。お嬢様は傷だらけで戻って来たが、お父様を失い、公爵様とともに部屋から出てこなくなった。シエナ様と公爵夫人が二人の世話をして3カ月、ようやく庭先に出たお嬢様はすっかり痩せこけていた。胸にお父様の遺品の短剣を抱きしめ、池にいた金魚を見てふっと笑った。
「フィナ、金魚に餌をやっててくれてありがとう。久しぶりに見たら、ちょっと大きくなったわね。」
フィナは涙を流してお嬢様を抱きしめていた。この時から、お嬢様のことを報告するのに罪悪感が湧いて、必要最低限のことだけになった。将来の殿下への期待よりも、今のお嬢様の心のほうが大事だと思ったのだ。ゆっくり回復していったお嬢様は結局、学園に通う少し前に婚約解消となった。擦り切れていた心は、学園でのご友人や、後輩たちのおかげですっかり良くなっていた。
婚約解消となり、フィナの役目も終わるかと思われた。しかしもうしばらく続けてほしいと言われて、一応報告を続けていた。しかしお嬢様の口から出るのは学園のご友人の話と、生徒会で一緒のレオン様の話ばかりで、殿下が手をこまねいているのがありありと分かった。学園の2年目には催促の連絡もなくなった。同じ学園に通っているのだからそんなものかと、特段気にしていなかった。
「聞いてフィナ!ついに!やっと!シエナ様が婚約なさったのよ!」
あの時の驚きはなんとも言い難かった。あんなにお嬢様のことを想っていらっしゃったのに?
「お二人のことを応援した甲斐があったわ!長年の苦労がやっと報われるの!ああ~絶対にお似合いだと思っていたのよ!気が早いって言われるかもしれないけど、シエナ様の結婚式が楽しみでならないわ!絶対素敵な式になること間違いなしだわ。」
目の前で浮かれるお嬢様の話に、生返事をした。元婚約者が自分の従妹と婚約だというのに手放しで喜んでいる様子に、少し脱力してしまった。お嬢様は第三王子殿下と上手くいくつもりなど、なかったのだ。お嬢様がこの調子では殿下が諦めてしまってもしょうがない。なにせ隣には評判の美人が自分を好きだと言ってくれるのだから。
そしていよいよフィナの仕事も終わりに近づいてきた。お嬢様が学園を卒業されたら、自分もこの仕事をやめよう。今までどっちつかずを続けてきたけじめをつけなければならない。公爵様にはその旨を話し、長年務めさせていただいた礼を言った。フィナが第三王子殿下に情報を流していたことも、公爵様は分かっていた。
「モニカの一番の腹心からの情報があれば、もう少しうまくやると思ったんだけどね、どうしてリチャード殿下はモニカのことになると、あんなにポンコツになるのかね。」
それは本当にそうだった。特に頑固で頑なで思い込みが激しくなる。
またお嬢様が攫われたときは、生きた心地がしなかった。前のように部屋から出てこなくなるのではないかと気が気じゃなかったが、今回は一緒につかまったミランダ様と、ヴォルデ様のおかげで拍子抜けするほど元気だった。何があったのか詳細に話す余裕まであった。
その頃からまた、報告が欲しいと連絡があった。レオン様の誕生日プレゼントの時計の件は、報告すると本人にバレる可能性があったため、誤魔化しておいた。ローファス領に帰ってしまうときはお風呂場でひっそり涙を流していたことを、以前だったら報告していたであろうが、今回はしなかった。
もうお嬢様の邪魔はしたくなかった。
モニカお嬢様の一番の腹心。そう言われて初めて気が付いた。フィナが成りたかったのはまさに、それだった。
フィナは、第三王子殿下の手先をやめた。
お嬢様が卒業したら公爵家もやめるつもりだった。一番の腹心が裏切り者ではあんまりではないか。公爵家なら優秀な人材はいくらでも用意できるのだから、自分がいなくても大丈夫だと。そう思っていた。
しかしお嬢様は卒業後、ローファス領に行くらしい。
可愛らしくて、小心者で、しっかり者で、しかし抜けたところのあるこのお嬢様が、北の領でやって行けるのだろうか?そもそもそこへ行くまでの外泊は、大丈夫だろうか?バージェス城に泊まって実家に帰ることしかしたことのないお嬢様だ。それと同じ感覚でぷら~っと行って、忘れ物をしたら?体調を崩したら?従者は連れて行かない?いやいやいやいや、絶対だめだ心配だ。
公爵様に後任の侍女かメイドをつけるように言った。行くまでに色々仕込まねば。
「そうだね、モニカについてローファス領で頑張ってくれる、ちょうどいい子はいないかな?できれば頑張りすぎて倒れる前に、モニカに忠告することができる人がいいな。」
金色の、お嬢様が絶賛していた瞳でこちらをじっと見ていた。どことなく面差しがお嬢様に似ていて、口の端は笑っていた。
「レオン君に雇ってもらうのはどうかな?」
「・・・謹んでお願い申し上げます。」
公爵様には、フィナの考えなどお見通しだった。死ぬほど心配で今にも倒れそうなほどだということも、チャンスがあったら後先考えず、つかんでしまうほどお嬢様を大切に思っていることも。
今度こそ本物の、お嬢様の腹心になってやる。フィナは新たにそう誓った。
「なんでこれがここにあったのかしら。」
指していたのは壊れた眼鏡だ。
王太子殿下、王妃陛下と一緒に居間にいるお嬢様にお茶を持って行くと、いつになく真っ青な顔でソファに座り、唇に手を当てた姿が目に入った。思わず駆け寄って手を握った。視点の合わなかった琥珀色の目が徐々に私の顔を捕らえて、それからようやく息を吐いた。呼吸が浅くなっていたようだ。
こんなに思考の渦に入り込んでしまうお嬢様は久しぶりだった。またお父様を亡くされたときのように落ち込んでしまったらどうしよう。フィナはそう考え、背筋がゾッとした。あの時はシエナ様と奥様がいなかったら、公爵様とモニカお嬢様は立ち直ることはできなかっただろう。
「これはアンバーが攫われたときに落としたのよね?それも森の中で。」
「はい。」
独特の間の後、王太子殿下が口を開いた。
「だったら・・・、その時の実行犯の誰かが、この壊れた眼鏡を大事に拾ったんだろうね。目的は、わからないけど。」
そこで嫌な予感が胸によぎった。話題を変えるべくフィナは立ち上がった。
「私も一度、その部屋を見てまいります。もしかしたら他にもお嬢様の荷物があるかもしれません。」
あまりにせわしなくソファから立ったり座ったりしているお嬢様を落ち着けるため、その眼鏡が見つかった小部屋に行くことにした。
「それでは私もお供居たいたします。」
そう名乗り出たのはいつの間にか部屋に入ってきていたロイ卿だ。こちらに王妃陛下から目配せがあったので、素直にお願いすることにした。王妃陛下はお嬢様に落ち着きなさい、と言ってお茶を飲ませていた。そろそろあちらに行った人たちも戻ってくるころだからと、暖炉に薪をくべさせていた。体を動かしていると余計なことを考えなくてもいい。任せておいても大丈夫だと思い、フィナは部屋を後にした。
ロイ卿と小走りで小部屋に来た目的は、何も見つからなかったと、お嬢様を安心させる報告するためだったが、目に留まったものが一つあった。見覚えのある万年筆。キャップの部分に何かが取れた痕跡があった。
買ったばかりの頃フィナが落としてキャップについていた金色のバラの飾りがとれてしまった。後で何かでくっ付けようと、飾りを化粧ポーチに入れてそのままで、数カ月放ってあった。書く分には問題なかったそれを、いつぞや新人メイドに貸して、それっきりだった。
その新人メイドは、フィナの万年筆を持ったまま買い物の仕事で出かけ、死体になって帰ってきた。ひどいありさまだった。全身に刺し傷があり、荷物どころか服も着ていなかった。川に流され下水の取水口の柵に引っかかっていた。だから万年筆が、無事であるはずはないのだ。ロイ卿に事情を話せば、これは第三王子殿下に報告が必須だと返された。
「しかし、お嬢様は彼女が死んだことを、殺されたことを知りません。あの時のお嬢様はあまりにも不安定で、そのままお伝え出来ず、奥様から田舎に帰ったとご説明していただきました。」
「それは、そうですね、そのままにしておいた方がいいでしょう。ただ、そのメイドの遺品となっているはずの万年筆が出たとなると、かなりきな臭いですね。使用人に話を聞いたところによれば、たまにこの屋敷を訪れる男がいたという話です。黒髪で長髪の男だったと。」
その男がお嬢様の眼鏡を手に入れ、新人メイドの万年筆を持っていた。偶然では片付けられない。それにこの棚にあるもの。髪飾りに、口紅、香水に櫛・・・明らかに女性用の意趣が施されていた。出入りしていたのが男となると、これは、戦利品の可能性がある。
にわかに廊下が騒がしく、玄関に向かえば、黒くて大きな塊を抱えたヴォルデ様が部屋を一室用意してほしいと言ってきた。
「彼女は・・・まだ小さいコウモリ人間だな。衰弱していて、呼びかけにも応じないんだ。」
「わかりました。先ほど整えた部屋があります。ご案内します。」
そう言って先導した。ヴォルデ様のことはミランダ様とお嬢様が本当に助かったと話していた。いわばお嬢様の命の恩人だ。きっとお嬢様がここにいたら彼の指示に従っただろう。もう一人を、後ろから続く男が抱えていた。見覚えのない男だが、ヴォルデ様が気安く話しているようなので気にしないことにした。
「彼女は何を食べるんでしょう?人と同じものでよろしければ、イーリス夫人がベーコンと玉ねぎのコンソメスープを作っていますが。」
「できれば、果物があればうれしい。後ここには備え付けの風呂はある?体を洗ってやりたい。」
「準備いたします。女性であれば私がいたしましょうか?」
ヴォルデ様が驚いたようにこちらを見た。
「亜人を触るのは平気?」
確かに恐ろしい見た目をしているが、あまりにも弱っていてそう考える余裕はなかった。そういえば相手としても人間に触られるのは嫌だろうか。
「危害を加えられないのでしたら。・・・男性に触られるのと、人間に触られるのは、どちらが嫌でしょうか。」
「肝の据わったお嬢さんだ。頼んでいいか?救急箱もあったら頼む。」
ヴォルデ様の隣にいたもう一人のコウモリ人間を抱えた人物が言った。
「かしこまりました。」
それだけ言ってフィナは風呂に湯を溜め始めた。ヴォルデ様に湯の張り方と止め方を教えてから、部屋を後にした。まずは救急箱の場所を使用人に聞いて、その後イーリス夫人に果物があるかの確認、着替えもいるだろうからサイズ違いの服を集めて、隣の部屋はヴォルデ様が使うだろうから整えて、やることがいっぱいだった。
今落ち着きのないお嬢様にも、手伝ってもらおう。本来ならそんなこと思いもつかなかったが、今のフィナはお嬢様の真の腹心だ。いま彼女に必要なのは、わからないことを考えることではなく、手を動かす時間だ。