軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

主と臣下

その日はそのままお開きとなった。

「ココアでも飲みませんか?」

ロイが宿屋の窓から外を眺めていたリチャードに声をかけた。手にはふたつのカップを持っていた。少し湯気が立っている。王宮と違いここは外気と同じくらい寒い。ホットココアなんて何年ぶりだろう。受け取って一口飲むと思ったより甘かった。

「明日は雨かもしれませんね。」

ソファの背に腰かけたロイが、ココアを呑みながらそう呟いた。月には雲がかかっていて、雲間から光が漏れ出ていた。通りには人はいないが、宿屋の中は反転にぎやかっだった。隣の部屋からは和やかな話声がするので、みんなそちらに行っているのだろう。

「兄上についていないでいいのか?」

「レオン君が一緒にいますし、ローファス伯爵の近くで何かあるわけないですから。」

魔王国の使者がいるというのに、それでいいのだろうか。しかしロイはまったく気にした様子はなかった。いつも通りの二人きりだったのが、リチャードの口を少し軽くした。

「モニカは、レオと、ローファス領に行きたいそうだ。」

それでもこのことを口にするのは気が重かった。

「そりゃ、モニカ嬢はレオン君のことが好きですからね、当然そうでしょうね。」

肩をすくめ常識だとでも言わんばかりのロイに、自分が言いたくなかったことを出されて言葉が鋭くなった。

「知っていたのか?」

「というか、見ていれば分かるでしょう。・・・、あーでも、二人にとってリチャード殿下は特別な人だから、分からなかったんですかね?」

「特別?」

「ええ、二人のところにリチャード殿下がいたら、あの二人は貴方を優先してきましたからね。貴方の希望を最大限、叶えようとしていたように見えました。」

そう、今までレオンに自分のしたいことを邪魔されたことはなかった。苦言は呈されても代案はリチャードの意に沿ったものを用意してくれていた。そして何より、レオンがいなくなってから執務室の仕事の効率が落ちたのを感じている。もちろん代わりの文官がいるのだが、レオンほど気が回らない。長年一緒にいて、言わずともわかってくれていた部分が機能しなくなったのだ。いちいち指示しないといけないのが億劫だ。

そんなレオンに今回はきっぱりと言い返されたのだ。これはリチャードにとって予想外の出来事だった。

「モニカとレオが一緒にいる時はどんな感じなんだ?」

「そうですねぇ。レオン君はいつも通りですが、モニカ嬢はニコニコしていますよ。モニカ嬢は仲の良い方に会うとパッと花が開いたみたいに笑顔になりますからね。あ、一応俺にもそうなんですよ。可愛いですね。」

あの生真面目なモニカが?

「それに加えて軽口もたたいたり、ミランダ嬢がいたら一緒にレオン君をからかったりしていましたね。学生らしくなさっていました。レオン君もやれやれといった感じで、いつものことのようで、いなしていましたね。」

モニカにからかわれていた?ミランダ嬢ならいざ知らず、あのモニカが、同等くらいに生真面目なレオを?

「なんか、意外だな。」

そういうモニカを、リチャードは見たことがなかった。婚約していた時だって、そんなことをしているところは見たことがない。

「・・・俺は、モニカ嬢をもっと、殿下に知ってほしかったんですがね。俺がアリーと婚約してからも、たびたび誕生日プレゼントの相談に乗ってくれたり、ミランダ嬢の恋の手伝いをしたり、本当に、人が良くてかわいい子なんです。」

そういえばロイは、モニカに頭が上がらなかった。思えば、ロイとモニカの間にある空気は軽かった。しかしその顔は少し切なげだった。

「しかしモニカ嬢は最後まで殿下に一線引いたままでした。」

急に引き合いに出されて心臓が激しく鳴った。

「主と、臣下の一線をとうとう超えませんでした。」

そうか、モニカの態度の違いはそれだ。今までリチャードは対等だと思って接してきたが、モニカは一度たりともそうではなかった。昼間もそうだった。

『この度は次期バージェス公爵になられる第三王子殿下に、何もご相談なくローファス領行きを決めてしまい、誠に申し訳ありませんでした。』

この一言で、モニカ自身の立ち位置が分かる。彼女はずっとリチャードの部下だった。なぜそんな認識になったのか。一つだけ思い当たることがあった。

モニカが、兄上のことを『クリス殿下』と呼んだとき、なぜか焦燥感が募ってきた。

昔、子供の頃リチャードは第三王子ということもあって、第三王子殿下と呼ばれるより、リチャード殿下と呼ばれることのほうが多かった。しかしモニカに出会った当初、彼女はたどたどしく言ったのだ。

「だいしゃんおうじ殿下。」

その時モニカがかんだのが、可笑しくて、そのままにしていた。しかし次第にモニカはかむことはなくなっていったし、『第三王子殿下』と呼ばれることも多くなっていった。むしろ今では名を呼ぶものは昔からの顔なじみと、親兄弟しかいなくなっていた。モニカから呼ばれる特別な名前ではなくなってしまっていた。

「モニカに、今からでも対等になるようにしてもらうことはできないだろうか。」

「無理だと、思いますね。だって、出会った頃からモニカ嬢は第三王子殿下の臣下でしたから。」

どうしてこうなったんだろう。婚約していてもどこか他人行儀だったのは、モニカの真面目さゆえだと思っていた。ぬるくなったココアを一口飲むと、先ほどよりたんぱくな味わいになっていた。

「もう、レオとも、モニカとも一緒にいることは出来ないんだな。」

昔のように一緒に庭を駆け回って遊ぶことは、無いのだ。

「モニカと一緒に馬に乗りたかった。」

いつかと、約束したのに。

視線は窓の外の雲間の月を向いていたが、リチャードにはにじんで見えなかった。