軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

水の中に落ちた

『レオン様に恋する時間を下さいませんか。』

それを聞いて最初に脳裏に浮かんだ言葉は冗談じゃない、だった。よりによってなんで、モニカの恋を応援をしなければならないのか。

「モニカは・・・。」

レオンのことが、と言おうとして止めた。言えなかった。モニカに想いをこじらせている自分としては、そんなこと言えないし、認めたくなかった。

「もちろん、必ずバージェス家に戻る予定です。気持ちに折り合いをつけてから帰ろうと思っておりました。ですのでレオン様も知らないですし、言う気もありません。困らせてしまうでしょうから。」

眼鏡の奥から真っ直ぐ、こちらを見ていた。今までで一番意志の強い目だった。レオンに伝える気がないと、彼女自身から聞いて、少しだけホッとした。

「でもすぐに王都に帰るのは嫌です。せめて1年か2年ほど頂きたいのです。もちろん、文官として仕事を全うして来ると、公爵閣下にも伝えてあります。」

「しかし・・・、そんなことに時間を使うなど、非効率だ。」

「それは、わたくしに時間を下さらないということですか?」

「ああそうだ。」

モニカは予想通りだという顔をしていた。1年2年をレオンを想うのに使って、何の成果もなく帰ってくるなんて、無意味の極みではないか?だったらその期間を自分と王都で過ごしてくれたっていいだろう。

「だったら、レオンじゃなくて私に恋でもすればいいのに。そうすれば王都から出なくていい。」

「第三王子殿下にですか?無理です。」

すげなく返されて、少し笑いが出てきた。

「一応理由を聞きたいな。一番面倒ごとが少ないと思ったんだが。」

「そうですね、まず、わたくしと第三王子殿下の相性が悪いということですね。幼いころ、わたくしは第三王子殿下のことを、のろまゆえ苛立たせておりました。そして何よりもシエナ様との相性が圧倒的に、運命の人レベルでよいのです。シエナ様と一緒にいらっしゃる第三王子殿下は本当にお幸せそうだとしか言いようがありませんでしたし、それはご自身でも分かっているはずですわ。」

思わず反論の声をあげようとして、しかし押し黙るしかなかった。幼い日、いつもモニカと一緒にいる時間が少なく感じていたのだ。余計な挨拶や、廊下を歩く時間さえ惜しかった。そのため早くしろ、遅い、のろま、等々言った記憶がしっかりあった。それでも運命の人は違うと声をあげたかった。

「この際だから、わたくしは殿下に言いたくても言えなかったことを、申しましょう。」

真剣な眼差しで切り出されてしまった。こういう話はろくなことにはならない、そう直感したが、リチャードの否も聞かずに、モニカが切り出した。

「わたくしは、殿下のように、できないのです。」

しかしリチャードの考えとは違う言葉がやって来た。

「どういうことだ?」

「第三王子殿下は、この3年間ずっと、座学のテストで首席でしたわね。」

それは、実務でも学園のテストに出るようなことを、幼いころから知っているのだから、他の貴族より実践で覚えているのだから、当然だろう。おかしなことは何もなかった。

「それを…、幼いころから実践を、実務としてこなしているのがすでに違うのです。わたくしもバージェス公爵閣下から仕事を習い、やってきましたがいまだにわたくしは、お手伝いの範囲内ですわ。決裁書に判を押したことなどございません。」

「それは王族だから、責任のある立場に幼いころからいることは、当然だと考えている。」

「いいえ、国王陛下も皇后陛下も、周りの文官も実力主義のリアリストです。能力のないものは容赦なく実務から外されます。最たる例は第二王子殿下ですわ。第二王子殿下に能力が全く無いかと言われればそうではないと断言できます。相手の意図を読み取り、アドリブで最適解を導ける、類稀なる才能をお持ちです、しかし実務においてそれが発揮されるかというとそうではありません。ひとえに国王陛下の、政務において任せられる基準に達していなかったのです。第二王子殿下は最後まで決裁書にサインはなさりませんでした。」

それは腹違いであったことも大いに関係する話だろう。一概には言えないと思ったが、王族だから幼いころから責任ある立場にいた、ということからは確かに違う。

「わたくしは、平たく言えば、その、国王陛下の基準に達しなかった者なのです。学園の成績も2番か3番でした。第三王子殿下が当然にお持ちの実務の常識と、わたくしの知識には乖離があります。お仕事の話をしていると、その差に自信を失っていました。わたくしは将来お支えするべき人なのに、何の役にも立てないと。」

何を言っているんだ?モニカと仕事の話で不足を感じたことなど一度もなかった。いつも先回りして資料を用意したり、リチャードが知りたいと思ったことをサッと用意したりしてくれていた。レオンとモニカと話すほうが、そこらの文官と話すよりずっと楽だった。父上もモニカを高く評価して、たびたび文官と領地の小麦の改良について、探りを入れていたのを知っていた。そこまで優秀なくせに、自信が持てないと?

「しかしお支えするといっても、実務ばかりがやることではありません。体調を管理し、無理の無いようにスケジュールなどを調整し、気晴らしなどできる時間を確保することも支えるということだと考えました。」

それはまるで執事や従者のような存在ではないか?そういえば、モニカはいつからか、お茶会にバスケットを持ってくるようになっていた。その中には一緒に遊んだときに出来た傷を手当てする救急セットが必ず入っていた。モニカはいつもそこから消毒液とガーゼをサッと取り出し包帯を巻いてくれたのだ。

「そういった中で、わたくしは気が付いてしまいました。それなら愛らしくて、気晴らしの遠乗りにも付き合えて、愛嬌があって、お優しくて、天使なシエナ様のほうがよほど癒しになるのでは、と。何の取り柄の無いわたくしよりも、シエナ様のほうが第三王子殿下をお支え出来るのではないか、と。」

「そんなこと、ない!」

これにリチャードは反論しかなかった。モニカがこんなに自分のことを考えてくれていたのに、昔の自分は気が付かなかった。モニカがケガの手当てをしてくれている時間も、不要でもったいないと思っていたのだ。今思えばかけがえのない時間だったのに、気恥ずかしさが勝ってしまった。リチャードは目の前に婚約解消の話が出て来てからようやく焦って、彼女を引き留めようとしたのだ。

そこで彼女の好きなものを何一つ知らない自分に気が付いた。

我ながら最低だったと思う。そうなるまで当然モニカと結婚すると心の底から信じていたのだ。疑うこともなかったから、時間は無限にあると思っていた。

「・・・わたくしは、いったい何なら役に立てるのだろうか、と。」

いつも不思議だった、兄上からも、父上からも高い評価をされていたし、あの母上にだってモニカは使えると思われるほど優秀だったのに、毎度自分を卑下していた。ああ、そうだ、モニカの口から出る言葉は毎回、『申し訳ありません。』だった。モニカは卑屈なやつだからと、気にしていなかった。でもそうじゃなかったとしたら?リチャードの言葉足らずが原因だとしたら?

背筋がゾッと寒くなった。

「ダンスの相手もまともに出来ず、華やかな容姿でもなく、社交が上手にできるわけでもない。第三王子殿下の婚約者に相応しくないと散々後ろ指を指されましたが、それはわたくしが、一番よく分かっておりました。」

リチャードは体制を変えて、組んでいた足を地面につけ、太ももの上に両手を置いた。

「それは違うぞ、モニカ。そういう奴ほど、モニカの優秀さに恐れおののいていたんだ。」

「そうですね、バージェス公爵令嬢の盤石の地位に恐れおののいていました。」

「そうじゃ・・・。」

違う、断じて。

モニカに後ろ指さす輩なんて眼中になかった。そんな奴らはどうせ、モニカの足元にも及ばない連中なのだ。それでは障害にすらなっていない。しかしモニカにとってはそうじゃなかった?

「第三王子殿下は、昔から素晴らしいお方でした。わたくしには考え付かないことを次々となさる、行動力の塊というにふさわしいお方です。ダンスにも、行動力にも、わたくしは・・・。」

モニカの顔がいつの間にか下を向いていた。長い前髪に顔が隠れていて、よく見えない、いつもの体勢だ。

「わたくしには、とても・・・無理です。ついて・・・行けません。」

即答で無理と答えたわりには、リチャードに対してかなり複雑な思考の後のことだった。か細い声に、モニカが泣いているのかもしれないと、リチャードは少し焦った。涙を見るのは苦手だった。しかしいきなり顔をあげたモニカは、眼鏡の奥に水の幕を張ったままだが、口の端は笑っていた。

「でもですね、レオン様はわたくしを、文官として招きたいと評価してくださいました。いつも座学で争っていたライバルに認められるのは、本当にうれしかった。わたくしはどこに行っても仕事ができると、優秀だと言ってくださいました。このまま王都に残って王太子妃になったって、きっと素晴らしい妃になれるとまで・・・。」

ああ、ダメだ、気が付いてしまった。レオンにモニカの心を奪われてしまったのではない。水の中に落ち藻掻くモニカを、レオンが掬い上げたのだ。

「そう言ってくださったんです。」

心底嬉しいのだろうモニカを、説得するのは無理だと悟った。でも諦めたくなかった。挽回するチャンスが欲しい。このまま黙って見送るなんて絶対に嫌だ。

そうなったら強制的に連れて行くしかない。