作品タイトル不明
母子の語らい②
リエッタ様は少し目を細めた。馬車の外の風景に、当時を映しているのだろうか。
「結婚してからとにかく忙しくてしょうがなかった。友人たちからの手紙にも、ろくに返信も出来なかった。兄を亡くしたエレンのことも、国外のローズのことも、心配で不安だったのに。陛下は知っていたのにね?何にも教えてくれなかったわ。二人からの手紙が国王陛下に来ていたの。それをわざと止めていたのよ。わたくしが妊娠していたから。情報が何にも入って来なかった。妊娠したことを、国王陛下は喜んでいたみたいだったけど、本当のところは分からないわ。だってあの人は好きな女がいたわけだからね。安定期に入ってやっと、ローズが帰ってきていないことを知った。エレンが兄を継いでローファス領で魔物と戦っていることを知ったの。」
確かに胎教に良くない話ではある。しかし分からないことの不安もそれと同等のような気がした。
「それを聞いて生きた心地がしなかった。二人が死んでしまったら、どうしようって。結果的に二人が死んでしまうことはなかった。二人ともわたくしの想像以上にたくましかった。情報を入れて安心したかった。でも隔離されてしまったのよ。」
それはもちろん、次期国王をその身に宿した王太子妃をおもんばかった対応だっただろう。しかしそれによってリエッタ様は苦しんでしまった。
「後から手紙を読んで、二人ともこちらは大丈夫だから、安心してと書いてあったわ。もっと前から読みたかった。それ以来二人には私宛に書いてもらうようにしたの。もう、あの国王陛下には不信しかなかったわ。それであなたが生まれたの。」
「・・・、そんなときに、ですね。」
少しだけ諦めたようなクリス殿下の顔に、胸が締め付けられた。そう感じたのはきっと、リエッタ様も一緒だった。
「ええ、そんなときに、よ。国王陛下そっくりの色を持つあなたを抱いたとき、おぞけだって床に叩き付けようとしたの。」
手が、震えていた。
「できなかった。温かくて小さい貴方に、嫌悪感しかないのに、殺せなかった。でも私はそれをしそうになったの。生まれたばかりの赤子を殺したくなったの。そんな母親いる?すぐに乳母に押し付けたわ。もう二度と触らないって。私は私が大嫌いよ。」
クリス殿下は息を呑んでいた。歯を食いしばっているリエッタ様の手を、私はできるだけ優しくなでた。子供を憎む親の心理に少しだけ触れた気がした。
バージェス公爵閣下と夫人に聞いた話によれば、リエッタ様は竹を割ったような性格だ。その真っ直ぐな方が、ここまで歪んでしまったら、それは自己嫌悪に陥ってもおかしくはない。
「床に叩き付けは、できなかったんですね。リエッタ様はクリス殿下を傷つけませんでした。」
「でも、殺そうとしたの、殺そうと思ったの。」
「でも、していません。リエッタ様は殺しませんでした。クリス殿下は生きておいでですよ。五体満足で。」
「でも、でも、だって。」
ああ、そうか。
「リエッタ様は、衝動的にクリス殿下を傷つけないために、育児を放棄なさったのですね。」
「そんなんじゃないわ、そんなんじゃない。そんな良いものじゃ、けしてないわ。人としていけないことをしようとしたの。」
そんなんじゃないとしても、私からすれば素晴らしい英断のように聞こえた。前世の私が聞いたら、是非そうしてほしいといっただろう。あの人が私を無視してくれていたら、どんなに生きやすかっただろうか。あの人からの愛を諦めて、母と二人で生きていけたなら。どんなにいい人生だっただろうか。空気のような同居人だったのなら、どんなに良かったことだろうか。
なぜ私はあんなに諦めが悪かったのだろう。
いつか愛してくれるかもしれないと、頑張っていればもしかしたら見てくれるかもしれないと、そのまま大学生までいってしまって、大人になってやっと諦めることができた。大人になって心無い言葉たちを浴びせられて、やっとあの人の愛を諦められた。
あの人は正しく一途だったと、母以外すべてがどうでもいいのだと、やっと納得できた。
「わたくしは、衝動的に暴力を振るったり、無理を強いて支配したりするくらいなら、放棄して無関心を貫いてくれたほうが、よかったと思います。しかしそれを考え、感じるのは他ならぬクリス殿下のお心次第だと。」
口をおさえて考え込んでいたクリス殿下は、ゆるりとこちらを見た。
「それをすぐに折り合いを付けずともいいと思います。何年も何十年もかけてゆっくり考えて、ゆっくりとお二人の中で落としどころを見つけられたら、幸運なことでしょう。」
「今はまだ、結論を出さなくても、良い、と?」
少しだけ、クリス殿下の声が震えていたのは聞かなかったことにした。下を向きフードも相まって表情は見えない。
「今まで、何十年もこのままだったのですもの。それと同じだけの時間をかけて、一緒に答えを探していければいいのですわ。焦らずとも、これだけは他の人に何を言われようとも、お二人で解決するべきですわ。」
「・・・、そういうものかしらね。」
「ええ、焦らずとも良いですし、急かす人もおりません。」
きっと二人なら、この二人なら、ちゃんと話し合い落としどころを見つけられるだろう。だってまだ、生きて言葉を交わせるのだから。