作品タイトル不明
第68話 宇宙は神の領域。絶対的覇権と、平和の食卓(第3章完)
日本は、かつてないほどに穏やかで、そして黄金のような輝きに満ちた夜を迎えていた。
地下のサイバー・コントロールルームでの冷徹な『神』としての業務を終えた私は、専用のプライベートエレベーターに乗り、都内の超高級タワーマンションの最上階へと昇っていた。
エレベーターの扉が開くと同時に、デミグラスソースの香ばしく甘い匂いが鼻腔をくすぐる。
「ただいま」
「あ、おかえりなさい、宗一くん。ちょうどご飯ができたところよ」
広大なリビングに足を踏み入れると、エプロン姿の結衣が優しく微笑んで出迎えてくれた。
ダイニングテーブルには、私の大好物であり、そしてサチコも大好きな特製のビーフシチューが湯気を立てて並べられている。
「パパ、おかえり。今日遅かったね」
ソファでスマートフォンをいじっていた十六歳のサチコが、顔を上げて声をかけてきた。
高校の制服のリボンを少しだけ緩め、リラックスした様子の愛娘。少し前まで「過保護だ」と尖っていた反抗期も、最近はだいぶ落ち着き、こうして素直に言葉を交わせるようになってきた。
「ああ、すまない。少し『厄介なクレーム処理』に手間取ってね。だが、もう完全に解決したよ」
「ふーん。まあ、パパの会社って世界中にお客さんがいるから大変だよね。お疲れ様」
サチコは悪びれもなくそう言うと、スマートフォンをポケットにしまい、ダイニングテーブルへと向かった。
厄介なクレーム処理。……太平洋に最新鋭の戦闘機を沈め、四大勢力の首脳陣を恐怖の底に叩き落として『不可侵確約書』にサインさせたことをそう表現した私に、彼女は微塵の疑いも持っていない。
それでいい。彼女の生きる世界には、血の匂いも、国家間のドロドロとした暗闘も、一切必要ないのだ。
「「「いただきます」」」
家族三人で食卓を囲み、温かいシチューを口に運ぶ。
赤ワインの深いコクと牛肉の旨味が溶け合ったその味は、私がどれほど巨万の富を築こうとも、世界中のどの三ツ星レストランでも味わえない最高のご馳走だった。
「そういえばサチ、高校の物理の授業はどうだ? もし計算でつまずいているなら、パパがいつでも相対性理論の基礎から……」
「やめてよパパ! 授業は普通についていけてるし、友達と一緒に勉強するから大丈夫だもん」
サチコが少しだけ頬を赤くして抗議する。
「お友達って、例のテニス部の子たち?」
結衣がクスリと笑いながら話を振ると、サチコは目を輝かせて学校の出来事を話し始めた。
次の休日に原宿へ行く計画や、最近流行っている音楽のこと。そのどれもが、取るに足らない、しかし限りなく尊い『平和な日常』の欠片だった。
私は、シチューを味わいながら、壁掛けの大型テレビから流れてくる夜のニュース番組に視線を向けた。
『――本日のトップニュースです。アメリカ、中国、ロシア、および欧州連合の各首脳が、異例の共同声明を発表しました』
画面には、先週まで私を排除するために結託し、軍事演習という名の総力戦を仕掛けてきた大国のトップたちが、神妙な面持ちで並んでいる映像が映し出された。
『彼らは、昨今の世界的な軍拡競争に対する反省を述べるとともに、今後は軍事予算を大幅に削減し、平和的な国際協調路線へと転換することを宣言しました。特に、宇宙空間における兵器開発の全面的な凍結を強くアピールしており……』
「へえ、なんか世界が急に平和になったみたいだね」
サチコが、テレビの画面を見上げて無邪気に呟いた。
「今までずっとニュースで『大国同士が対立してる』ってやってたのに、急にみんな仲良しになっちゃって。なんか変なの」
「そうね。でも、戦争の心配がなくなるのは良いことよ。宗一くんのお仕事も、これで少しは落ち着くかしら?」
結衣もまた、ホッとしたような表情で私を見た。
「……ああ。彼らもようやく、争うことの愚かさに気づいたのだろう」
私は、テレビ画面に映る大国の権力者たちの『引きつった笑顔』を見下ろしながら、静かに微笑んだ。
平和的な国際協調。宇宙空間における兵器開発の凍結。
よくもまあ、白々しい大義名分を並べ立てたものだ。
彼らが大人しくなったのは、良心に目覚めたからでも、世界平和を願っているからでもない。私の放ったプラズマEMPによって最新鋭の航空戦力を一瞬でスクラップにされ、国家のインフラと命殺与奪の権を完全に握り潰されたからだ。
彼らは今、見えない巨大な銃口を頭に突きつけられた状態で、必死に平和の使者を演じている。
私が敷いた『絶対的な恐怖』という名の檻の中で、震えながら生きる道を選んだのだ。
(存分に平和を謳うがいい、大国ども。……お前たちが私の家族に手を出さない限り、私は寛大な神として、その茶番を見逃してやろう)
私はワイングラスを傾け、愛娘の笑顔をもう一度見つめた。
サチコの血中には、私が飲ませた『万能ワクチン』――ナノマシンが静かに溶け込んでいる。
それは彼女を病魔から守護する盾であると同時に、軌道上の『神の 雷(トール・ハンマー) 』と直結した、世界の爆破スイッチだ。
彼女がこうして健康で、無邪気に笑っている限り、この世界は平和であり続ける。私の命と、私の家族の命が、この地球上のどんな国際条約よりも強固な『絶対的な平和の楔』となっているのだ。
* * *
夕食を終え、結衣とサチコがリビングで楽しげにテレビドラマを見ている間。
私は一人、タワーマンションの広大なバルコニーへと出た。
冬の冷たい夜風が、私の頬を撫でる。
眼下には、東京の眩いネオンが地平線の彼方まで広がり、まるで地上に敷き詰められた星屑のように輝いていた。
日本の資源大国化によってもたらされた、空前の黄金時代。この光の一つ一つが、私が未来の知識と圧倒的な暴力によって守り抜いた、同胞たちの営みだ。
私は、手すりに両手をつき、視線をゆっくりと上へ向けた。
スモッグとネオンに霞む東京の夜空の、そのさらに向こう側。肉眼では決して捉えることのできない、遥か四百キロメートル上空の真空の暗黒。
前世の2065年。
あの日、あの空から、私のすべてを奪い去る絶望の光が降ってきた。
私はアメリカの地下研究所の冷たい床で、己の無力さと傲慢さを呪いながら、涙を流して銃爪を引いた。
だが、今世では違う。
私は自らの手で巨万の富を築き、大国どもの罠を張り、彼らの最新鋭兵器を宇宙からの見えざる光で叩き落とした。
そして今、あの暗黒の宇宙空間には、私が誰よりも早く完成させた巨大な十字の兵器――『神の雷』が、光学迷彩に身を隠しながら、音もなく地球を周回している。
私と家族の心拍に同期し、もしこの日常が理不尽な暴力によって奪われることがあれば、自動で四大勢力の首都を道連れにして世界を終わらせる『究極の盾』として。
「……終わったのだな」
私は、夜空に向かって低く呟いた。
地球上の覇権を巡る盤上ゲームは、私の完全な勝利で幕を閉じた。
大国どもは恐怖で沈黙し、歴史の修正力による『結託』すらも、私は圧倒的な力で粉砕した。
だが、私の心から警戒が完全に消え去ることはない。
ヴィクトルや玲奈が危惧したように、恐怖を知らない新しい世代が権力を握り、十年後、二十年後に再び狂信的な『反逆』を企てる日が来るかもしれない。
その時、彼らが国家の存亡すら度外視して、私の愛する世界を本気で終わらせようと一線を越えてくるのなら。
「何度でも受けて立つ」
私は、バルコニーの手すりを強く握りしめ、極寒の瞳で夜空を見据えた。
私が神としてこの世界を統べる限り、彼らの傲慢な野心が実を結ぶことは永遠にない。
もし彼らが再び牙を剥くのであれば、私は自らの意志で『神の雷』のトリガーを引き、彼らの国家という概念ごと、宇宙からの業火で完全に消し去るだけだ。
「 宇宙(そら) は、私が支配する神の領域だ。……誰にも、この平和は奪わせない」
バルコニーの背後にあるガラス越しに、リビングでサチコと結衣が笑い合っている姿が見える。
その暖かな光景と、頭上に広がる冷たく広大な宇宙。
極東の悪魔による壮大な反逆劇は、ここに一つの完璧な結末を迎えた。
だがそれは、愛する家族を永遠に守り抜くための、終わりのない『絶対的支配の始まり』でもあった。
静寂に包まれた冬の夜空で。
誰の目にも見えない悪魔の兵器は、主の心臓の鼓動と完全に重なり合いながら、来るべき遠い未来の『最終戦争』の時まで、ただ静かに、冷徹に明滅を続けていたのだった。
【第3章:宇宙の覇権奪取 完】