軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第69話 生命の回帰と、受け継がれる『ユウキ』

西暦2036年、春。

私が 宇宙(そら) から不可視の『神の 雷(トール・ハンマー) 』を以て、四大勢力の最新鋭航空戦力を太平洋の海へと叩き落とし、世界に絶対的な沈黙を強いてから、八年の歳月が流れていた。

極東の島国、日本。

イージス・イノベーションズの技術によって深海から引き上げられる無尽蔵のクリーンエネルギーと、世界を覆い尽くす通信インフラ『イージス・リンク』による莫大な富は、この国に人類史上かつてないほどの黄金時代をもたらし続けている。

私は今、都内にある最高級総合病院のVIP専用フロアの廊下を、獣のように苛立たしげに行ったり来たりしていた。

分娩室の重厚な扉の向こうでは、私の愛する娘、サチコが、新しい命を産み落とそうと必死に戦っている。

「……ボス。いくらなんでも、今回は少しやり過ぎではありませんか」

呆れたような声を出したのは、傍らのソファでタブレット端末を操作していた橘玲奈だった。彼女もまたナノマシンの恩恵を受け、出会った頃の冷徹な美貌を完璧に保ち続けている。

「サチコお嬢様の出産に備えるのは当然ですが……セキュリティのために、産科病棟だけでなく上下のフロアまで合計三層をイージスの資金で完全貸し切りにし、シャドウの精鋭を百名も配備するなんて。病院側も他の患者も困惑していますよ」

「やり過ぎなものか。万全を期すのは当然だろう」

私は足を止めず、玲奈に冷たく反論した。

「サチのお腹にいるのは、私の大切な初孫だぞ? 大国どもの残党が、この無防備な瞬間を狙って何らかのテロを仕掛けてこないという保証はどこにもない。……もしサチや赤ん坊の身に指一本でも触れるようなことがあれば、私は即座に米中露の首都にプラズマを降らせる」

「はいはい、世界を滅ぼす過保護なおじいちゃんは、少し落ち着いてちょうだい」

妻の結衣が、クスクスと笑いながら私の腕を引いてソファに座らせた。

「サチももう二十四歳よ。 誠(まこと) くんという立派な旦那様がついているんだから、何の問題もないわ」

結衣の言葉に、私は分娩室の扉を険しい目で見つめた。

神盾誠。私の可愛い娘を奪った憎き泥棒猫にして、我がイージス社・宇宙開発部門の若き主任エンジニア。純粋で誠実な好青年である彼(旧姓:御堂)は、サチコと社内で出会い、自然に恋に落ち、二年前に結婚した。

……むろん、彼がサチコと出会うまでの道程は、私が裏から密かに『舗装』したものだ。

前世の記憶を持つ私は、彼が将来サチコの夫となり、『ユウキ』の父親となる運命であることを知っていた。それに加え、彼は幼い頃に両親を事故で亡くし、身寄りのない『孤児』だった。大国が人質として狙うような親族のしがらみ(弱点)が一切存在しない、私の家族に迎え入れる上でこれ以上ない完璧な条件(素材)だったのだ。

だからこそ私は、彼が引き取られた孤児院を、イージスのダミー財団を通じて丸ごと資金援助し、ヴィクトルの部隊を使って密かに二十四時間体制で監視・保護した。彼が非行に走らないよう、接触してくる不良グループは事前に物理的に排除し、彼が最高の教育を受けられる無菌の環境を徹底的に整備した。

そして彼が大学を首席で卒業した直後にイージス社へスカウトし、サチコの目に留まるように配置したのだ。

だが、物理学者としての冷徹な私は、同時に一つの『残酷な真実』も理解していた。

私がどれほど誠の人生をサポートし、サチコと結ばせたとしても、生まれてくる子供が前世と「完全に同じユウキ」になる確率は、天文学的に低い。いや、事実上ゼロだ。

精子と卵子の結合は、コンマ一秒のタイミングや、その日のわずかな体調の違いで結果が完全に変わる。

ましてや、私が歴史を大幅に改変し、二人の出会いが前世よりも九年も前倒しになったのだ。サチコの体の中には私が飲ませた医療ナノマシンが定着しており、母体環境すらも前世とは全く異なっている。

ナノマシンのプログラムで、生まれてくる子供の性別を「男の子」に誘導する程度のサポートは行ったが、それ以上の神の領域に踏み込むことは不可能だ。

(……科学的に考えれば、今サチコのお腹にいるのは、ユウキであってユウキでない、別の遺伝子を持った子供だ)

私は、震える両手を強く握りしめた。

もちろん、どんな子供が生まれようと、私の大切な孫であることに変わりはない。命に代えても愛し、守り抜く覚悟はできている。

だが、それでも。

(歴史の『強制力』というものが存在するのなら……)

私が逆行転生を果たした2010年。世界はすでに前世とは違う歴史を歩み始めていたにもかかわらず、2012年に生まれた娘は、前世と全く同じ容姿、同じ性格の『サチコ』としてこの世に誕生した。

私が運命をどれほどねじ曲げようとも、魂というものは、あるべき場所へ回帰しようとする『強烈な引力』を持っているのではないか。

誠という父親のピースさえ揃えれば、歴史の強制力は、再びあの『ユウキ』をこの世界に呼び戻してくれるのではないか。

科学者としてはあり得ない、祈りにも似た一縷の望み。

それが、私が誠の人生を裏から支え、サチコと引き合わせた最大の理由だった。

『――オギャアッ! オギャアッ!』

不意に、分娩室の重厚な扉の向こうから、力強い、生命力に満ち溢れた産声が響き渡った。

「……ッ!!」

私は弾かれたように立ち上がった。

数分後、分娩室から出てきた初老の担当医が、安堵の笑みを浮かべてマスクを外す。

「おめでとうございます、神盾社長。母子ともに健康です。……元気な、男の子ですよ」

「……ありがとう。本当に、ありがとう……!」

私は担当医の手を固く握りしめ、厳重な消毒プロセスを済ませてから、震える足で分娩室の中へ入った。

ベッドの上で、汗だくになりながらも、サチコがこの世の何よりも幸せそうな笑みを浮かべていた。彼女の傍らには、出産に立ち会った誠が、涙ぐみながら彼女の手をしっかりと握りしめている。

「お義父さん……! 産まれました。俺たちの、子供です」

誠が、涙で顔をくしゃくしゃにしながら私に頭を下げた。

「ああ……よくやってくれた、誠くん。サチ……よく、頑張ったな」

私がベッドの傍らに歩み寄ると、サチコは腕の中に抱いた白いタオルのおくるみを、そっと私の方へ向けた。

「パパ……見て。私の、私たちの赤ちゃんだよ」

「ああ……」

私はおずおずと手を伸ばし、その小さな命を腕に抱き上げた。

信じられないほど軽く、そして、驚くほど温かかった。

赤みを帯びた小さな顔。力強く握りしめられた小さな拳。

私がどれほど見つめても、産まれたばかりの赤ん坊の顔から、前世の二十歳の青年の面影を見つけ出すことはできない。遺伝子的に同一であるかどうかも、わからない。

「名前は……決めているのか?」

私は、震える声で尋ねた。

「はい」

誠が、優しく、誇らしげに答える。

「『勇気』を持って、どんな困難にも負けずに、自分の力で未来を切り拓いて生きてほしいから。……二人で、そう決めました」

「ユウキ。……この子の名前は、ユウキだよ、パパ」

サチコが、微笑みながら告げた。

その名前を聞いた瞬間。

私の瞳から、堪えきれない大粒の涙がポロポロと溢れ落ちた。

科学的な確率論など、もはやどうでもよかった。

歴史の残酷なうねりの中で、私が一度は永遠に失ってしまった命が、歴史の強制力という大いなる見えざる手によって、今、こうして再び私の腕の中に帰ってきてくれたのだ。

脳の奥底に張り付いていたノイズ――前世の2065年、アメリカの地下研究所のモニター越しに見たあの絶望の光景。

声を発する間もなく青白い閃光に飲み込まれ、一瞬にして炭の塊となって消え去った、あの日のサチコとユウキの姿。

その冷たく暗いトラウマの記憶が、今私の腕の中で懸命に泣き声を上げるこの温かな命の光によって、完全に、そして永遠に洗い流されていくのを感じた。

「宗一くん……」

結衣が、私の背中にそっと手を添え、一緒に涙ぐんでいる。

「ユウキ……。よく、無事に生まれてきてくれた」

私は涙を拭いもせず、腕の中の小さな命を、壊れ物を扱うように優しく抱きしめた。

私の涙が頬に落ちると、小さなユウキは不満そうに「ふぎゃっ」と泣き声を上げた。

前世の私は、彼を救うことができなかった。

私の傲慢さと、科学への過信が、大国どもに利用され、彼から未来を奪ったのだ。

だが、今世の私は違う。私は彼を守るために悪魔となり、世界を支配する神の力を手に入れた。

私は、産まれたばかりのユウキの小さな額に、そっと唇を寄せた。

(……この子にも、必ず『万能ワクチン(神の鎖)』を飲ませなければな)

私は心の中で、冷酷で、だが果てしなく深い愛情を込めて独り言ちた。

彼の血中にナノマシンを定着させ、私や結衣、サチコ、そして誠と同じように、宇宙空間に浮かぶ『神の雷』のメインフレームと完全に同期させる。

もし、四大勢力の残党が、あるいはこの世界そのものが再び過ちを犯し、この小さな命を不当な暴力で脅かそうとするならば、その瞬間に世界は終わる。

彼を守るためならば、私は何度でも地獄の釜の蓋を開ける覚悟だった。

* * *

「――本当に、不思議なものですね、ボス」

数日後。

サチコとユウキが無事に退院し、家族の平穏な日常が戻ったのを確認した後。

私は、六本木ヒルズの地下深くに広がるサイバー・コントロールルームで、橘玲奈の静かな称賛の声を聞いていた。

「誠という青年の人生を裏からサポートし、ご自身の望む通りのタイミングで『ユウキ様』をこの世に誕生させた。……大国を手玉に取る以上に、人間の運命そのものを盤上の駒のように見守り、導くボスの執念には、底知れぬ凄みを感じます」

「私が操作したわけではないさ、玲奈。歴史の強制力が、彼を呼び戻してくれただけだ」

私は特注のレザーチェアに深く腰掛け、手元のグラスに入った冷たい炭酸水を口に運んだ。

私の魂を長年縛り付けていた前世のトラウマは、ユウキの誕生によって完全に払拭された。今、私の心にあるのは、この絶対的な平和を永遠に維持するという、研ぎ澄まされた冷徹な意志だけだ。

「ヴィクトル。クリス。聞こえているな」

私が暗号化回線を起動すると、モニターの分割画面に二人の腹心の姿が映し出された。

『はっ、ここに』

『おう、ボス! 孫の誕生、おめでとうさん!』

「表の平和は十分に堪能した。……これから、裏の海の波模様を改めて確認したい」

私が問うと、ヴィクトルの火傷の痕が残る顔が、険しいものへと切り替わった。

『――現在、大国どもの首脳陣は、依然として我々の圧倒的な力に恐怖し、沈黙を保っています。……ですが、ボス』

ヴィクトルは、モニターに世界の軍事予算の推移グラフを展開した。

『この八年間、彼らは『非対称戦』を想定した奇妙な軍備再編を水面下で進めています。高価な最新鋭戦闘機の建造を減らし、代わりに安価な自律型特攻ドローンや、旧式の巡航ミサイルの大量生産へとシフトしています。……これは、いつか来るかもしれない「反撃の日」に向けて、彼らが狂信的な物量戦の準備を進めている証拠です』

「歴史の修正力は、大国どもを不気味な『次なる狂気』へと向かわせているな」

私は、壁面の巨大モニターに映る世界地図を極寒の瞳で見下ろした。

「彼らがこの蓄積した 物量(リソース) を、いつ、どのように切ってくるかはわからない。局地的なテロの陽動に使うか、あるいは国家の存亡すら度外視した狂信的な『飽和特攻』を仕掛けてくるか。……だが、彼らがすべての理性を投げ打ち、最悪のシナリオで向かってくる可能性は常に想定しておくべきだ」

私は、南太平洋の要塞で狂気の笑みを浮かべている天才科学者へ視線を向けた。

「どのような絶望的な物量で押し寄せてこようとも、我々はそれを真正面から完全に粉砕する『盾』を用意しておかねばならない。……クリス。ニヴルヘイムの要塞化の進捗はどうなっている?」

『ヒャッハー!! 待ってたぜボス! 連中がどんな時代遅れの弾幕を張ってこようが、俺の造った『未来の盾』で一粒残らず弾き返してやるぜ!』

クリスは血走った目でキーボードを叩き、ニヴルヘイムの立体構造図と防衛システムのシミュレーション映像を展開した。

新たな命の誕生による完全な救済と、水面下で静かに熱を帯びていく大国どもの狂気。

彼らがいつの日か、すべての理性を捨てて一線を越えてくるその時に備え。

極東の悪魔は、愛する家族を永遠の聖域に置くため、いかなる暴力すらも弾き返す『絶対防壁』の構築へと、冷徹にその舵を切ったのだった。