作品タイトル不明
第67話 完全なる白旗と、静かに澱む歴史のマグマ
太平洋上空での『G4合同軍事演習』が、未知のEMP(電磁パルス)攻撃によって一瞬にして壊滅した事件から、一週間が経過していた。
表の世界のメディアは、この未曾有の事態を『大規模な太陽フレア、あるいは未知の自然現象による壊滅的な航空事故』として連日報じ続けている。
墜落した六十機以上の最新鋭ステルス戦闘機の残骸は、イージス・イノベーションズが提供する無人潜水艇によって迅速に回収され、脱出したパイロットたちも全員無事に本国へと送還された。
だが、莫大な国家予算を喪失したアメリカ、中国、ロシア、欧州の軍事トップたちは、揃いも揃ってこの大惨事について重い口を閉ざし、誰一人として他国や民間企業を非難する声明を出そうとはしなかった。
いや、出せなかったのだ。
「――以上が、G4(臨時四ヶ国協調体制)の首脳陣から極秘裏に提示された『不可侵確約書』の全容です」
東京、六本木ヒルズ。イージス本社のサイバー・コントロールルームで、橘玲奈が手元のタブレットから視線を上げ、冷ややかな声で報告した。
「彼らは今後、我が社のいかなる活動――宇宙開発、深海資源の採掘、および情報通信インフラの拡充に対して、一切の軍事的・政治的干渉を行わないことを誓約しました。また、国内に潜入させていた諜報員の完全撤収と、関連するサイバー部隊の解体を約束しています」
壁面の巨大モニターには、四ヶ国の首脳たちが電子署名を行った極秘文書のデータが映し出されている。
それは、実質的な『無条件降伏宣言』であった。
「……随分と物分かりが良くなったものだ」
私は特注のレザーチェアに深く腰掛け、冷めたコーヒーを口に運んだ。
「太平洋に沈んだ数兆円の鉄屑と、ヴィクトルが日本国内で 清掃(クリアリング) した四百名の特殊部隊。……それらの代償を支払って、ようやく彼らは自分たちが『神の領域』に足を踏み入れていたことに気づいたというわけか」
「彼らも馬鹿ではありません。宇宙からの不可視の攻撃で全航空戦力を一瞬で無力化され、さらに地上での隠密作戦もすべて事前に把握されていた。……自分たちの手足が、完全にボスの掌の上で踊らされていたと理解した彼らに残された道は、白旗を揚げること以外にありません」
玲奈は、美しい顔に明らかな蔑みの色を浮かべた。
「彼らは今、イージス社の技術に依存しなければ国家インフラが数日で崩壊するという『生殺与奪の権』を握られている恐怖に、完全に屈服しています」
私は小さく頷き、モニターの向こうの暗号化通信に視線を向けた。
南太平洋の要塞ニヴルヘイムにいるDr.クリス・ウォーカーと、国内の防衛網を束ねるヴィクトル・イワノフが、それぞれの持ち場で控えている。
「クリス。軌道上の『神の 雷(トール・ハンマー) 』の状態は?」
『完璧だぜボス! いつでもプラズマEMPを撃ち下ろせるアイドリング状態を維持してる! タングステン弾の装填も完了し、 安全装置(デッドマンズ・スイッチ) もオールグリーンだ。……大国の連中がちょっとでも怪しい動きを見せりゃ、数秒で首都を消し炭にしてやれるぜ!』
「よし。引き続き光学迷彩を維持し、沈黙を保て」
「ヴィクトル。『神の目』の監視網に、彼らの反逆の兆候はあるか?」
『――現在、G4の軍事ネットワークおよび政府高官の通信ログに、我が社への敵対行動を示すフラグは一切検知されていません。彼らは恐怖のあまり、互いに責任を押し付け合い、内向きの権力闘争に終始しています』
ヴィクトルの火傷の痕が残る顔に、冷酷な笑みが浮かぶ。
『極東の島国は、もはや誰も触れることのできない完全な「不可侵領域」として確定しました。ご家族の安全は、永遠に保障されたと言っていいでしょう』
その報告を聞き、私は深く、長く息を吐き出した。
身体の奥底、血管の中を流れるナノマシンが、宇宙空間に浮かぶ悪魔の兵器と同期して微かに脈動しているのを感じる。
私が、そして結衣とサチコが生きている限り、このシステムが四大勢力を恐怖で縛り付け、絶対的な平和を維持し続ける。
前世で私のすべてを奪った理不尽な世界は、今世において、完全に私の計算と暴力によってねじ伏せられたのだ。
「……だが、ボス」
不意に、玲奈がタブレットの別のデータを画面に展開し、静かな、しかし極めて冷徹な声で口を開いた。
「彼らの完全な屈服を確認した一方で……『神の目』のAIが、一つだけ不気味なシミュレーション結果を弾き出しています」
「不気味な結果?」
私が眉をひそめると、ヴィクトルもまた、表情を険しくして言葉を継いだ。
『はい。……現在の首脳陣は、今回の敗北でボスの底知れぬ恐ろしさを直接骨の髄まで味わいました。彼らが生きている間は、決して我々に牙を剥くことはないでしょう』
ヴィクトルは、モニターに映る中露米の軍事インフラの末端データを指差した。
『ですが……「恐怖による支配」というのは、強力である反面、マグマのように水面下で深い憎悪を蓄積させる副作用を持ちます。
我々の監視網は、各国の若手将校や、現在の首脳陣の弱腰を非難する次世代の政治家たちの間で、密かな「反イージス思想」が芽生え始めているのを検知しています。彼らは、太平洋での敗北を直接体験しておらず、宇宙からの絶対的な力を『単なる噂』や『前任者たちの言い訳』だと軽視する傾向があります』
その報告に、私は冷めたコーヒーのカップを置き、ゆっくりと目を細めた。
「十年後、二十年後。……恐怖を知らない新しい世代が権力を握った時、彼らは再び結託し、我々に牙を剥く可能性がある、ということですね」
玲奈が、氷のような分析を口にする。
「彼らが大国としてのプライドを刺激され、イージス社の独裁を打ち破る『狂信的な聖戦』を企てた場合……彼らはもはや、国家の存亡や自らの命すら度外視した、理性を欠いた特攻を仕掛けてくるかもしれません。そうなれば、抑止力という概念そのものが通用しなくなります」
玲奈とヴィクトルの指摘は、極めて正確だった。
歴史というものは、人間の愚かさによって繰り返される。
私がどれほど宇宙から絶対的な力を誇示し、恐怖で世界を縛り付けようとも、人類の闘争本能と大国の傲慢さは、必ずその鎖を引きちぎろうと足掻くのだ。
「……歴史の修正力は、かくも執念深いということか」
私は、壁面の巨大な世界地図を見上げながら、極低温の声で呟いた。
前世で、彼らは日本の資源を奪うために結託した。
今世では、私の宇宙インフラを排除するために結託し、そして敗れ去った。
だが、彼らの底に澱む憎悪は消えることなく、次世代へと引き継がれ、やがてすべてを投げ打ってでも私という『特異点』を排除するための、新たな狂気へと形を変えていく。
彼らが次にいつ牙を剥くのか、それが五年後なのか数十年後なのかは、誰にも分からない。
「ボス。このマグマの芽を、今のうちに完全に摘み取りますか? 各国の強硬派の若手を、今のうちにシャドウで物理的に消去していくことも可能ですが」
ヴィクトルが、暗殺の許可を求めてくる。
「いや、無駄だ。思想や憎悪は、人を殺しただけでは消せない。むしろ殉教者を生み、その狂気を加速させるだけだ」
私はゆっくりと立ち上がり、コントロールデスクに両手をついた。
「彼らが歴史の修正力に突き動かされ、十年後、二十年後、あるいはもっと先の未来で再び狂気となって押し寄せてくるのなら……私は、何度でもそれを受けて立つ」
「受けて立つ……。彼らが再び、あるいは今以上の無謀な軍事行動を仕掛けてきても、ですか?」
玲奈が、わずかに目を見開く。
「そうだ。彼らが何度立ち上がろうと、どんな狂信的な手段で私に挑んでこようと、そのすべてを真正面から粉砕し、再び絶望の底へ叩き落としてやる。……それが、この世界を支配する神としての責任であり、私の家族の平和を維持するための、終わりのない『仕事』だ」
私は、軌道上で私の命と直結して回る『神の雷』の威容を思い描いた。
「だが」
私は、窓ガラスに映る自分の冷酷な瞳を真っ直ぐに見据え、静かに、だが絶対的な決意を込めて言葉を紡いだ。
「もし彼らが、国家の存亡すら度外視し、私の愛する世界を本気で終わらせようと、一切の理性を捨てて一線を越えてくる時が来たら。……私は、システムが自動で起動するデッドマンズ・スイッチとしてではなく、私自身の明確な『意志』として、トリガーを引く」
大国どもの狂気が臨界点を突破し、私の領域を物理的に破壊し尽くそうとするならば、その時は国家という概念ごと、宇宙からの業火で完全に消し去る。
それが、極東の悪魔が下した、未来永劫にわたる覚悟だった。
「……了解いたしました。彼らが何度挑んでこようとも、我々は最高の盾を磨き続け、すべてを弾き返して見せましょう」
玲奈が深く一礼し、ヴィクトルとクリスも画面の向こうで無言のまま忠誠の意を示した。
今はまだ、世界は静かだ。
四大勢力は恐怖にひれ伏し、日本は空前の黄金時代を謳歌している。
次なる脅威がいつ来るかは分からない。だが、見えない地下の底で、歴史のマグマは静かに、そして確実に熱を蓄え始めていることだけは確かだった。
『――監視プロトコル、フェーズ4へ移行。全データログ、暗号化アーカイブへ保存完了』
サイバー・コントロールルームに、無機質な電子音声が響き渡る。
橘玲奈がキーボードから手を離し、冷たいモニターの光に照らされた顔で静かに息を吐いた。
大国が威信を懸けて飛ばした最新鋭機の残骸が、冷たい太平洋の底で錆びていく。
一切の感情を持たないイージス社のスーパーコンピュータは、彼らの屈服のデータを記録し終え、次なる十年の平和と、いつ訪れるとも知れない歴史の逆襲の監視に向けて、粛々と膨大なデータの処理を続けていた。
そこには、勝利の高ぶりも、敗者への哀れみも存在しない。
ただ、歴史の修正力を冷徹に見据える、絶対的なシステムだけが、暗闇の中で静かに明滅を続けているのだった。