作品タイトル不明
第64話 沈黙の重圧と、神の雷の出力調整
極東の海を埋め尽くしたG4(臨時四ヶ国協調体制)の合同大艦隊から、イージス・イノベーションズへ向けて『事実上の降伏勧告』が突きつけられてから、すでに丸二日が経過していた。
アメリカ海軍の原子力空母『ジェラルド・R・フォード』の戦闘指揮所(CIC)は、作戦開始前の高揚感などとうに消え失せ、重苦しい疲労と、得体の知れない焦燥感に包まれていた。
「……まだ、返答はないのか」
アメリカの海軍提督が、充血した目で通信士を睨みつけた。
「は、はい。イージス社からの公式な声明はおろか、水面下での接触も一切ありません。通信回線は正常に開いていますが……彼らは完全に沈黙を貫いています」
「日本政府はどうだ! 我々の軍事力に恐れをなして、神盾宗一の首を差し出してきたか!?」
「日本政府も同様です。『遺憾の意』を表明する型通りの定型文を発表したきり、官邸に引きこもって一切の交渉を拒絶しています」
通信士の報告に、提督は忌々しそうにコンソールを叩きつけた。
隣に立つCIAの高官も、冷や汗を拭いながら唇を噛み締めている。
彼らの想定では、降伏勧告を突きつければ数時間、遅くとも半日以内には、極東の若造は恐怖に耐えきれずに泣きついてくるはずだった。国家の総力を挙げた大艦隊と、空を覆うステルス機の群れ。そして、宇宙の通信衛星群を人質に取った対衛星ミサイルのロックオン。
これほどの絶対的な暴力を前にして、平然としていられる人間など地球上に存在しない。
だが、現実は違った。
神盾宗一は、まるで路傍の石ころでも見るかのように、彼らの最後通牒を完全に 無視(スルー) したのだ。
「……奴ら、我々が本気でミサイルを撃つとは微塵も思っていないのだ」
CIAの高官が、血を吐くような声で呻いた。
「ただの威嚇だと高を括り、こちらが痺れを切らして撤退するのを待っている。……このまま何事もなく演習期間が終了すれば、我々G4は莫大な軍事費を海に捨てた挙句、極東の企業一つ屈服させられなかった『張子の虎』として、全世界から嘲笑されることになるぞ」
「そうはさせん!!」
提督が、血走った目でモニターの海図を睨みつけた。
「奴が恐怖を理解できない愚か者だというなら、物理的に分からせてやるまでだ。……全航空戦力へ通達! これより予定通り、イージス社の通信衛星網に対する 広域電波妨害(ジャミング) を『最大出力』へと引き上げる! 牽制のテストは終わりだ。極東の空の電波を完全に焼き切れ!」
それは、大国としてのプライドを傷つけられた権力者たちが、疑心暗鬼と焦燥の果てに自ら選んだ『破滅へのトリガー』だった。
彼らは知る由もない。自らが放とうとしている最大出力の電波妨害が、宇宙から彼らを見下ろす悪魔にとって、待ちに待った『処刑の合図』であるということに。
* * *
「――ボス。G4の艦隊および上空の航空戦力が、いよいよ実力行使のフェーズへと移行しました。テスト稼働していたジャミングの出力を最大まで引き上げ、物理的な通信破壊の飽和攻撃を仕掛けてきています」
地球の裏側。東京、六本木ヒルズ。
イージス本社の地下深くに広がるサイバー・コントロールルームで、橘玲奈が手元のタブレットから視線を上げ、極めて事務的な、だが確かな冷酷さを秘めた声で報告した。
「ご苦労。……予想通りの反応だな。二日間の沈黙という重圧に耐えきれず、自ら首を吊るための踏み台を蹴り飛ばしたか」
私は特注のレザーチェアに深く腰掛けたまま、壁面の巨大モニターに映るG4の艦隊の動きを見下ろした。
彼らがどれほど空にノイズを撒き散らそうと、我が社の量子レーザー通信には一切干渉できない。
「ヴィクトル。地上のネズミどもの動きは?」
『――G4艦隊のジャミング最大化のシグナルを受け、国内のアジトに潜伏していた工作員とマフィアたちが一斉に行動を開始しようとしています。我々の通信が遮断されたと本気で信じ込んでいるようです』
暗号化通信の分割画面で、ヴィクトル・イワノフが火傷の痕を歪めて獰猛な笑みを浮かべた。
『我がシャドウの制圧部隊は、すでにターゲットのロックを完了しています。宇宙からの「光」が降り注いだ瞬間を合図に、一秒の遅れもなく突入し、彼らを物理的に 消去(クリーニング) いたします』
「頼んだぞ。私の家族の半径十キロ以内に、武装した害虫を一匹たりとも生存させるな」
『御意』
地上の迎撃態勢は完璧だ。
残るは、この茶番劇を根底から粉砕するための、最も高く、最も残酷な特等席からのデモンストレーションのみ。
「クリス。そちらの準備はどうだ」
私がもう一つの分割画面へ呼びかけると、南太平洋の要塞ニヴルヘイムにいるDr.クリス・ウォーカーが、興奮でヨダレを垂らしそうな狂気の笑顔を画面に近づけてきた。
『ヒャッハー!! こっちの最終調整もとっくに終わってるぜ、ボス! 今か今かとトリガーに指をかけて待ってたところだ!』
クリスの背後のモニターには、高度四百キロメートルの真空空間を周回する悪魔の兵器――『神の 雷(トール・ハンマー) 』の内部システムのステータスが、無数の複雑な数式と共に表示されていた。
『いいかボス! 今回の作戦は、タングステン弾を落として物理的に戦艦をへし折るのとはワケが違う。何万度ものプラズマを発生させるジェネレーターの出力を、あえて『0.1パーセント』という極限の低出力にまで絞り込むんだ』
クリスは、血走った目でキーボードを凄まじい速度で叩きながら、自らの創り上げた狂気のシステムを誇らしげに解説し始めた。
『プラズマの熱エネルギーを物理的な破壊力として使うのではなく、磁場レンズを通して『電磁パルス(EMP)』へと変換し、指向性を持たせて地球へ向けて放射する。……光の速さで降ってくる、見えない電子の津波だ!』
「出力の制御に問題はないな? 太平洋上のG4の航空機群だけを焼き切り、日本の国内インフラや民間航空機には一切の被害を出さないことが絶対条件だ」
私が念を押すと、クリスは「俺を誰だと思ってる!」と鼻を鳴らした。
『安心しな! 我がイージス社の量子スーパーコンピュータが、地球の自転、大気の屈折率、そして太平洋上を飛ぶすべてのG4のステルス機と電子戦機の座標を、すでにミリ秒単位で完全にトラッキングしている! 照射の範囲は、G4の演習空域に限定した半径三百キロメートル。……その空間の中にある『電子回路』だけを、外科手術みたいに正確に黒焦げにしてやるぜ!』
「……素晴らしい技術ですね。大国の軍隊が放つ無差別な電波ジャミングとは、根本的に次元が違います」
玲奈が、モニターに表示された照射シミュレーションの完璧な円錐状のベクトルを見て、畏怖と感嘆の息を漏らした。
『当たり前だ! あいつらのジャミングは、大きな声でわめき散らして相手の耳を塞ぐような原始的な真似だ。だが、俺たちのプラズマEMPは違う。相手の 脳味噌(コンピュータ) そのものに直接電圧を叩き込んで、物理的に焼き切るんだ。……現代の最新鋭戦闘機なんてのは、フライ・バイ・ワイヤ(電子制御)がなけりゃ、ただの重てえ鉄の棺桶だからな!』
クリスの言う通りだ。
アメリカのF-35も、中国のJ-20も、ロシアのSu-57も。彼らが国家の威信を懸けて開発した最新鋭ステルス戦闘機群は、高度なコンピュータの補正がなければ、まともに空を飛ぶことすらできない構造になっている。
その電子頭脳が一瞬にして焼き切れれば、パイロットの腕がどれほど優れていようと、機体は完全に操縦不能に陥り、重力に従って海面へと真っ逆さまに墜落するしかない。
「パイロットの命までは奪わないよう、 射出座席(イジェクションシート) のアナログな火薬点火機構だけは作動するように配慮してあるな?」
『ああ、ボスの命令通り、そこまで計算に入れてパルスの波長を調整してあるぜ。……連中のエリートパイロットどもには、自分たちの自慢のステルス機がただの鉄屑に変わって海に落ちていく様を、パラシュートに揺られながら特等席で見物させてやるさ!』
「よし」
私は深く息を吐き出し、レザーチェアからゆっくりと立ち上がった。
壁面の巨大モニターには、すでにターゲットロックが完了し、真っ赤に点灯しているG4の航空戦力の光点が無数に表示されている。
彼らは、自分たちが空の覇者であると信じている。
自分たちの持つ『力』が絶対であり、極東の一民間企業などいつでも蹂躙できると、傲慢に思い上がっている。
「……大国どもよ。自らの無力さを知るがいい」
私は、窓ガラスに映る自分の極低温の顔を見据えながら、静かに、だが絶対の確信を持って宣告した。
「クリス。……『神の雷』、プラズマジェネレーター起動。電磁パルス照射の最終カウントダウンを開始しろ」
『ヒャッハー!! 了解だぜボス! 神の裁きの時間だ!!』
クリスがエンターキーを叩き割らんばかりの勢いで打ち込んだ瞬間。
サイバー・コントロールルームの照明が一段階暗くなり、代わりに無数のモニターが、一斉に真っ赤な『臨戦態勢』の表示へと切り替わった。
『――ジェネレーター出力、0.1パーセントでロック。磁場レンズ、太平洋演習空域へ照準固定。目標座標との誤差、ゼロ。……プラズマEMP、発射まで残り十秒』
無機質なAIの電子音声が、静まり返った地下のコントロールルームに冷たく響き渡る。
遥か四百キロメートル上空の真空空間。
光学迷彩に覆われ、誰の目にも見えない巨大な十字の兵器の内部で。
人類の歴史上、誰も見たことのない絶対的なエネルギーが、静かに、そして確実に臨界点へと達しようとしていた。
『三……二……一……。―― 照射(ファイア) 』
その音声と共に、モニターのデータが激しく明滅する。
地球上の盤上ゲームが、宇宙からの不可視の力によって完全に終わらされる、歴史的な分岐点の瞬間。
すべてを計算し尽くした極東の悪魔は、誰に向けるでもなく、ただ静かに、冷徹な一瞥をモニターの海図へと落とした。
システムが弾き出す圧倒的な暴威の前に、人間の感情や叫び声など、もはや入り込む隙は一切残されていなかった。