作品タイトル不明
第62話 極東を覆う鋼鉄の海と、震える世界
西暦2028年、冬。
スイスの古城での密室会談から三ヶ月。四大勢力がイデオロギーを越えて結成した『G4(臨時四ヶ国協調体制)』が、ついにその圧倒的な暴力のベールを脱いだ。
舞台は、日本の排他的経済水域(EEZ)の境界線すれすれに位置する、広大な太平洋の公海。
そこは、人類の歴史上、いかなる世界大戦においても見たことがないほどの、異様な『鋼鉄の海』と化していた。
「――フォーメーション・アルファ、完了。米空母打撃群を中心とし、右翼にロシア太平洋艦隊、左翼に中国北海艦隊が展開。後方よりEU合同艦隊が支援陣形に入りました」
アメリカ海軍の最新鋭原子力空母『ジェラルド・R・フォード』の広大な艦橋で、オペレーターが緊張に上ずった声で報告する。
厚い冬の雲が垂れ込める鉛色の空の下、見渡す限りの水平線を各国の軍艦が埋め尽くしていた。巨大なイージス駆逐艦、極超音速ミサイルを搭載したミサイル巡洋艦、そして海中を音もなく進む原子力潜水艦の群れ。
さらに空を見上げれば、アメリカのF-35C、ロシアのSu-57、中国のJ-20といった最新鋭ステルス戦闘機群が、国境という概念を嘲笑うかのように、密度の高い巨大な合同編隊を組んで轟音を轟かせている。
「見事な光景だ。これだけの戦力を一箇所に集結させれば、地球上のどんな国家だろうと三日で更地にできる」
空母の艦橋で指揮を執るアメリカの海軍提督が、双眼鏡を下ろし、傲慢な笑みを浮かべた。
「ええ、まさに人類の総力です。……極東の一企業がどれほど進んだ技術を持っていようと、この圧倒的な物理的暴力の前に、絶望しない者はいません」
隣に立つCIAの高官も、冷たい海風を顔に受けながら満足げに頷いた。
彼らの目的は、今すぐ日本と全面戦争を起こすことではない。
この人類最大の『暴力のパレード』を極東の島国に見せつけ、イージス・イノベーションズの宇宙および深海インフラに対するあからさまな物理的威嚇を行うこと。
恐怖によって極東の悪魔を縛り付け、彼らが築き上げた富と技術を無傷で強奪するための、大規模な「脅迫」である。
「全艦隊、および航空部隊へ通達! 極東の成金どもに、我々大国の真の力を見せつけてやれ!」
提督の号令が、全艦隊の通信網へと響き渡る。
彼らは、自らが最強の狩人であると信じて疑わなかった。
自分たちの頭上、遥か四百キロメートルの宇宙空間から、この海域全体が極東の悪魔によって『キルゾーン』として完全にマーキングされていることなど、微塵も気づかずに。
* * *
G4の大艦隊が極東の海に集結したという事実は、当然ながら隠し通せるものではなかった。
日本のメディアは朝から特別番組を組み、上空から撮影された信じがたい艦隊の映像を繰り返し放送していた。
『――速報です! 太平洋上の公海に、アメリカ、中国、ロシア、欧州の合同艦隊が集結しています! 専門家によれば、これは冷戦期を含めても過去最大規模の軍事展開であり、その目的は一切不明です!』
『一部の海外メディアは、日本が独占している近海資源に対する圧力ではないかと報じており、第三次世界大戦の引き金になるのではという懸念が……』
テレビの画面越しにキャスターが悲痛な声を上げ、コメンテーターたちが青ざめた顔で議論を交わしている。
表向きの理由は『国際通信インフラ防衛のための合同演習』とされているが、その矛先が、日本の近海で莫大な資源を独占し、宇宙の通信網を牛耳る『イージス・イノベーションズ』に向けられていることは、誰の目にも明らかだった。
街中には異様な緊張感が漂い、スーパーの棚からは保存食や飲料水が消えた。
空前の好景気に沸き返っていた資源大国・日本は、たった数日で、圧倒的な暴力の気配に怯える巨大な鳥籠と化していた。
そして、そのパニックの震源地は、他でもない日本政府の中枢である霞が関だった。
「……神盾社長! 一体どういうことですか! アメリカと同盟を結んでいるはずの我が国の近海に、中国やロシアまでが合同で大艦隊を送り込んでくるなど、前代未聞の異常事態です!」
東京、六本木ヒルズ。
イージス・イノベーションズ本社の最上階に設けられた応接室で、政府の要人――防衛大臣と資源エネルギー庁の長官が、額から滝のような冷や汗を流しながら私に詰め寄っていた。
「自衛隊のスクランブル発進も追いつきません! 彼らは『演習』と強弁していますが、明らかに我が国の深海プラントと、貴社に対するあからさまな軍事的威嚇です! 万が一、彼らがプラントをミサイルで攻撃してきたらどうするのですか! 我が国のエネルギー供給が絶たれれば、日本経済は数日で崩壊します!」
長官が、悲鳴のような声を上げる。
かつて地下の会議室で私を見下していた彼らの傲慢さは見る影もなく、今や完全に震え上がる子羊のようだった。
彼らは、イージス社が提供するクリーンエネルギーと莫大な税収に完全に依存(隷属)している。イージス社が倒れれば、自分たちの権力も国家の存亡も一瞬にして吹き飛んでしまうのだ。だからこそ、彼らは藁にもすがる思いで私のもとへ泣きついてきた。
「落ち着いてください、大臣、長官。血圧が上がりますよ」
私は、特注のレザーソファに深く腰掛けたまま、淹れたての紅茶を一口飲み、冷ややかに彼らを見返した。
「彼らが公海上で花火大会を開こうが、我々には関係のないことです。国際法上、我々に彼らを強制排除する権利はありませんし、彼らも日本領海へ侵犯する愚は犯さないでしょう。……プラントの安全は、我が社が絶対の保証をいたします」
私は、カップをソーサーに置き、絶対零度の威圧感を込めて彼らに告げた。
「自衛隊は絶対に動かさないでください。無用な刺激を与え、不測の 事態(アクシデント) を引き起こすことこそが、彼らの狙いです。……政府はただ、『我が国は平和的演習を静観する』という声明を出し、官邸で大人しく震えていればいいのです」
「し、静観しろと……? あれほどの軍隊を目の前にしてか!?」
「そうです。すべては、私がコントロールしていますから」
私の冷酷で絶対的な自信を前に、大臣と長官は完全に言葉を失った。
彼らは、目の前に座る青年が、太平洋を埋め尽くす超大国の軍隊よりも遥かに恐ろしい化け物であることを本能で察知し、ただ青ざめて頷くことしかできなかった。
「……わかり、ました。神盾社長の、お言葉を信じましょう」
逃げるように応接室を後にしていく官僚たちの背中を見送りながら、私は深く、長く息を吐き出した。
* * *
「……ねえ、パパ。本当に大丈夫なの?」
その日の夜。都内の超高級タワーマンションの最上階。
リビングの巨大なテレビ画面に映るニュース映像を見つめながら、中学生になったサチコが、不安げに私の袖を引っ張った。
普段は「過保護すぎる」と反抗的な態度を見せる彼女も、さすがに画面の向こうで繰り広げられる国家規模の軍事的な威嚇には、隠しきれない恐怖を感じているようだった。
「心配ないよ、サチ。彼らは公の海で大きな船を浮かべて、自分たちの大きさを自慢しているだけだ。日本にミサイルが飛んでくることなど、絶対にあり得ない」
私は、震える娘の肩を優しく抱き寄せ、最も温かく、安心させるような声で語りかけた。
「でも、テレビの人たちは、パパの会社が狙われてるって……。もし、パパに何かあったら……」
「サチ。パパは、世界で一番強くて賢い男だぞ? あんなブリキのオモチャをいくら集めようと、パパの会社にはかすり傷一つつけられないさ。……パパが、サチとママを必ず守る。だから、安心して学校に行きなさい」
「……うん。パパがそう言うなら、信じる」
サチコは少しだけ表情を和らげ、小さく頷いた。
「宗一くん……本当に、危険はないのよね?」
サチコが自室へ戻った後、キッチンで洗い物をしていた結衣が、すがるような視線を向けてきた。
「最近、マンションの周りやあなたの会社の警備が、以前にも増して物々しくなっている気がして……。もし、本当に戦争になったら……」
「大丈夫だ、結衣。戦争にはならない。私がさせない」
私は結衣の元へ歩み寄り、彼女の冷たくなった手を両手で包み込んだ。
「彼らの演習は、あくまで政治的なパフォーマンスだ。私がすべてコントロールしている。君とサチは、今まで通り平和な毎日を過ごしてくれればいい。それが私にとって一番の力になるんだ」
結衣を安心させ、私は静かにリビングを後にした。
書斎の重厚な防音ドアを閉めた瞬間、私の顔から「良き父親」の柔和な笑みが完全に抜け落ち、絶対零度の冷徹な独裁者の顔へと切り替わった。
家族に不安を与えた罪。
私の大切な日常に、戦争という薄汚い恐怖の影を落とした大国どもの傲慢さ。
その罪は、万死に値する。
私は書斎の暗号化回線を起動し、地下のサイバー・コントロールルームへとアクセスした。
モニターの向こうには、すでに戦闘態勢を整えた橘玲奈、ヴィクトル・イワノフ、そしてDr.クリス・ウォーカーの姿がある。
大国どもが国家の威信を懸けて構築した『最強の軍事シナリオ』。
それを一瞬にして紙屑へと変えるための、究極のカウンター・プロトコルを起動する時が来た。