軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第61話 人類最大の軍事動員と、後戻りできない狂気

スイスの古城で極東の悪魔からの『死刑宣告』を受けたG4(臨時四ヶ国協調体制)の首脳陣たちは、誰一人としてその警告に屈することはなかった。

否、屈することができなかったのだ。

彼らがそれぞれの本国へ帰還した直後から、世界中の軍事基地はかつてない異常な喧騒に包まれることとなった。

アメリカ合衆国、 国防総省(ペンタゴン) 。

中国、中央軍事委員会。

ロシア、国防省。

欧州連合、合同軍事司令部。

四つの大国の最高意思決定機関から、ほぼ同時に、そして極秘裏に「最高レベルの動員令」が下されたのである。

「――太平洋方面軍の全空母打撃群を出港させろ。ハワイ、グアム、横須賀の第七艦隊もすべてだ。F-35C、および最新鋭の次世代航空支配機を可能な限り空母に積載しろ。これは演習ではない、実戦を想定したフルロードだ」

アメリカの海軍作戦部長が、血走った目で部下たちに怒号を飛ばす。

「ロシア太平洋艦隊の全原子力潜水艦、および極超音速ミサイル搭載巡洋艦をウラジオストクから出航させろ! 目標海域は日本海溝周辺。中国の北海艦隊と合流し、合同陣形を敷く!」

モスクワの軍司令部でも、将軍たちが地図の上に無数の駒を配置し、叫び声を上げていた。

現場の軍人たちにとっては、まさに青天の霹靂であった。

半世紀以上にわたり、世界の覇権を巡って冷戦や代理戦争を繰り広げてきたアメリカと中国、そしてロシアが、一つの目標に向けて完全に足並みを揃えて合同軍事行動を起こすなど、軍事学の教科書のどこを探しても載っていない狂気の沙汰だ。

だが、国家の最高指導者からの絶対の 命令(トップダウン) である以上、彼らに逆らう権限はない。

表向きの作戦名は、『地球安全保障同盟(GSA)による国際通信インフラ防衛合同演習』。

しかし、上層部の一部にだけ知らされている真の目的は、「極東の民間企業イージス・イノベーションズの通信インフラに対する物理的な威嚇、および 電子妨害(ジャミング) による完全無力化」であった。

各国の軍需工場は昼夜を問わず稼働し、ミサイルの弾頭が次々と弾薬庫から引きずり出されていく。

戦闘機のパイロットたちは休暇を返上させられ、ブリーフィング・ルームで極東の海図を睨みつけていた。

「相手はただの民間企業だぞ。なぜ、我々がこれほどの戦力を投入しなければならないのだ?」

「上層部は完全に狂っている。だが、命令ならやるしかない」

兵士たちは疑問と不安を抱えながらも、巨大な軍事マシーンの歯車として、次々と極東への移動を開始した。

歴史上類を見ない、人類の総力を結集した巨大な暴力の塊が、太平洋という一つの狩り場へ向けて、ゆっくりと、しかし確実に動き始めたのである。

* * *

「――大国どもは、ついにルビコン川を渡りました」

東京、六本木ヒルズ。

イージス・イノベーションズ本社の地下深くに広がるサイバー・コントロールルームで、橘玲奈が手元のタブレットを操作しながら、冷徹な声で報告を上げた。

壁面に広がる巨大な世界地図のモニターには、ヴァルハラの誇る情報網『神の 目(オーディンズ・アイ) 』が捉えた、四大勢力の軍事アセットの移動状況が、リアルタイムで無数の赤い矢印となって表示されている。

ノーフォーク海軍基地から出港するアメリカの原子力空母。ウラジオストクから潜航を開始するロシアの潜水艦。海南島から飛び立つ中国のステルス戦闘機編隊。

それらすべての矢印が、極東の島国――日本を取り囲むように、太平洋上の一点へと集束しつつあった。

「本当に、国家の総力を挙げてくるとは……。彼らの投入する戦力は、第二次世界大戦時のどの作戦よりも大規模です。被害総額や軍事費を計算するだけでも頭が痛くなりますよ」

玲奈が、呆れたようにため息をつく。

「恐怖とプライドに急き立てられた老人たちには、もはや損得勘定などできないのだろう」

私は特注のレザーチェアに深く腰掛け、冷めたコーヒーを口に運びながら、モニターに映る赤い矢印群を氷のような視線で見下ろした。

「彼らはスイスの密室で、私の警告を直接聞いた。宇宙からの絶対的な力で叩き潰すと宣言されたにもかかわらず、それでもなお、自分たちの『物量』でそれを覆せると信じている。……大国としての傲慢さが、彼らの目を完全に曇らせているのだ」

私が暗号化通信のスイッチを入れると、モニターの分割画面に、南太平洋の要塞ニヴルヘイムで『神の目』を統括しているヴィクトル・イワノフの姿が映し出された。

『ボス。彼らの軍事行動は、表向きは「三ヶ月後の合同軍事演習」とされていますが、すでに先遣隊として、各国の特殊部隊を乗せた輸送機や潜水艦が極東へ向けて出発しています。……彼らは演習の混乱に乗じて、間違いなく日本国内へ潜入し、六本木の本社やご家族への同時多発的な 物理攻撃(テロ) を仕掛けてきます』

ヴィクトルの火傷の痕が残る顔に、獰猛な狼の笑みが浮かぶ。

『ですが、彼らの通信ログも移動ルートも、すべて我々『神の目』が完全に掌握しています。どこの港から上陸し、どこのダミー会社に武器を隠匿するかまで、筒抜けです』

「ご苦労、ヴィクトル。……泳がせる方針は変わらない。彼らが日本国内に巣穴を築き、作戦決行のその日まで、我々が気づいていないと錯覚させておけ」

私は、デスクの上に置かれた家族の写真――先日、高校の制服姿で少し照れくさそうに笑っているサチコと結衣の写真を見つめながら、静かに命じた。

「彼らが全戦力を集結させ、勝利の美酒に酔いしれようとしたその瞬間に、すべてを水泡に帰す。……それが、最も効果的に彼らの『国家としての心』をへし折る方法だ」

『御意。日本国内の迎撃態勢は、我がシャドウが命に代えても完璧に構築いたします』

通信を切り、私は再びメインモニターの地図を見上げた。

「……ボス。この規模の軍隊が日本の周辺に集結すれば、当然、日本政府や一般市民もパニックに陥ります。メディアは連日『第三次世界大戦の危機』と騒ぎ立てるでしょう。世論のコントロールはどうなさいますか?」

玲奈が、CFOとしての懸念を口にする。

「日本政府には、私から直接『安心しろ』と伝えておく。どうせ彼らは我が社が提供する資源と富に依存しきっているのだ、私が『何事も起きない』と保証すれば、震えながらもそれにすがりつくしかない」

私は、窓ガラスに映る自分の冷酷な顔を見つめながら、極低温の笑みを浮かべた。

「一般市民にとっては、大国が極東の海で盛大に行う『花火大会』に過ぎない。……彼らがどれほど空を埋め尽くそうと、海を覆い尽くそうと、私の領域である 宇宙(そら) には、指一本触れることはできないのだから」

* * *

数日後。

アメリカ、ノーフォーク海軍基地。

灰色の曇り空の下、重苦しい汽笛の音を響かせながら、全長三百メートルを超える巨大な原子力空母が、岸壁からゆっくりとその巨体を離し始めた。

甲板の上には、整然と並べられた数十機の最新鋭ステルス戦闘機。そして、その周囲を固めるように、イージス駆逐艦や巡洋艦が次々と出港していく。

甲板で整列する水兵たちの顔には、かつての栄光ある作戦に向かう時の誇りはなく、得体の知れない不安と緊張が張り付いていた。

「……本当に、あの極東の企業を相手に戦争を始めるというのか?」

「馬鹿なことを言うな。相手はただのIT企業だ。我々が太平洋で少しばかり大砲を鳴らせば、奴らはすぐに震え上がって白旗を揚げるさ」

士官たちが強がりを言い合う中、空母の巨大なスクリューが激しく海水を掻き回し、白い航跡を真っ直ぐに太平洋へと伸ばしていく。

同じ頃、ロシアの凍てつく軍港からも、中国の厳重に警備された航空基地からも、そして欧州の空軍基地からも、無数の軍事兵器が轟音と共に極東へと向けて解き放たれていた。

それは、人類の歴史上、いかなる国家間の戦争においても見たことのない、異常で、そして圧倒的な暴力の移動だった。

イデオロギーを越え、かつての敵同士が手を結び、ただ一つの『特異点』を排除するためだけに、地球上のあらゆる武力が一点へと集束していく。

大国たちは、自らの威信と未来を懸け、後戻りのできない狂気の行軍を開始したのだ。

太平洋の波濤を切り裂く巨大な空母の甲板。戦闘機の発艦準備を行う若い整備兵は、鉛色に淀んだ空を見上げて密かに震えていた。

なぜ、極東の民間企業一つを相手に、かつての敵国同士が手を結び、これほどの戦力を投入しなければならないのか。彼ら現場の兵士たちに知る由もない。ただ、国家の威信という名の巨大な歯車に組み込まれ、後戻りのきかない狂気の行軍に付き合わされているだけだ。

人類の歴史上、最も強大で、最も虚しい暴力のパレードが、極東の海をどす黒く塗りつぶそうとしていた。