軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第45話 神の目(オーディンズ・アイ)と、水槽の中の超大国

イージス・イノベーションズが主導する『民間宇宙開発』は、すでに世界のインフラを根底から塗り替えていた。

地球の低軌道上に展開された数千基の次世代通信衛星ネットワーク、通称『イージス・リンク』。

専用の小型アンテナさえあれば、地球上のどこにいても、光ファイバーを遥かに凌駕する超高速インターネットに完全無料で接続できるという、人類史上の革命。

この甘い果実に、世界中の国家と人々は熱狂的に飛びついた。

発展途上国は莫大なインフラ投資をスキップして一気にIT化を果たし、先進国もまた、既存の通信キャリアを淘汰してイージス社のネットワークへと完全移行した。

表向きは「全人類の情報格差をなくす」という高邁な理念。

だが、その裏側にある真実を知る者は、この地球上で私と数名の幹部しか存在しない。

「――ボス。本日付で、アフリカ大陸および南米全域の通信インフラの、イージス・リンクへの完全移行プロセスが完了しました。これで、世界の通信トラフィックの実に八十五パーセントが、我が社の衛星網を経由することになります」

東京、六本木ヒルズ。

イージス・イノベーションズ本社の地下深くに構築された、巨大なサイバー・コントロールルーム。

壁一面に広がる世界地図のモニターは、無数の青い光のラインで覆い尽くされていた。それは、イージス・リンクを利用して通信を行う世界中の端末の光だ。

橘玲奈が、その光の海を見上げながら、悪女のような艶やかな笑みを浮かべて報告した。

「ご苦労、玲奈。欧州(EU)の状況はどうだ?」

「彼らは我々のクリーンエネルギーに完全に隷属していることもあり、最も早く、そして最も深くイージス・リンクに依存しています。政府の機密回線から、市民のスマートフォンの通信に至るまで、すべてのデータが我々の衛星を経由しています。もはや彼らは、我が社なしでは国家運営すら不可能な状態です」

「見事だ。彼らは無料という言葉に踊らされ、自らの首に最も強固な鎖を巻いたというわけだ」

私は、特注のレザーチェアに深く腰掛けたまま、冷めたコーヒーを口に運んだ。

八十五パーセント。世界の情報のほとんどが、私の所有する宇宙空間のサーバーを経由している。

そして、その通信網の裏側には、私が未来のアルゴリズムで仕込んだ『バックドア(裏口)』が、誰にも知られることなく静かに開かれているのだ。

「ヴィクトル。そちらの準備は整っているな?」

私が暗号化通信のスイッチを入れると、モニターの中央に、南太平洋の要塞『ニヴルヘイム』の地下情報センターで指揮を執るヴィクトル・イワノフの姿が映し出された。

彼の背後には、六本木のコントロールルームをさらに凌駕する、超巨大なホログラム・ディスプレイが稼働している。

『ええ、ボス。地球上のすべての情報は、すでに我が『目』の中にあります』

ヴィクトルの顔の左半分に残る火傷の痕が、ホログラムの青白い光に照らされて不気味に浮かび上がった。

『これより、我々ヴァルハラの諜報網は新たなフェーズへと移行します。名付けて『神の 目(オーディンズ・アイ) 』システムです』

ヴィクトルが手元のコンソールを操作すると、ホログラム・ディスプレイに次々と驚愕の映像が展開されていった。

アメリカのホワイトハウス周辺の監視カメラ映像。ロシア・モスクワの軍港のライブフィード。中国・北京の政府高官が乗る公用車のGPSトラッキング。

それだけではない。各国の軍事基地内の通信ログや、政治家たちが交わす極秘の暗号メールのテキストデータまでが、リアルタイムで復号化され、画面に表示されているのだ。

『我々の衛星網を経由する、地球上のすべての通信、通話、メール。さらに、インターネットに接続されたあらゆる監視カメラや電子機器のデータ。これらを、ニヴルヘイムの地下に設置された量子スーパーコンピュータでリアルタイムに傍受・解析しています』

ヴィクトルの声は低く、歴戦の狼のような静かな凄みを帯びていた。

『ターゲットの顔認証、音声の照合、そしてAIによる行動予測。米中露の三大国の首脳陣が、いつどこで誰と会い、何を話しているか。軍隊がどのルートでどこへ向かっているか。彼らの行動は、もはや我々にとって、ガラス張りの水槽の中を走り回るネズミと同義です』

「……恐ろしいシステムですね」

玲奈が、モニターに表示される他国の国家機密の山を見て、微かに息を呑んだ。

「どんな優秀なスパイを何万人潜入させようと、ここまでの情報をリアルタイムで集めることは不可能です。私たちは、物理的に一歩も動くことなく、世界のすべてを丸裸にしている……」

「これが『情報』の完全支配だ」

私は、モニターに映る三大国の軍事インフラの映像を見下ろしながら、冷酷に告げた。

「九年前、私はサイバー空間で三大国のシステムをジャックし、『次に手を出せば国家ごと消す』と死刑宣告を突きつけた。……彼らはそれに震え上がり、物理的な手出しを控えているが、決して諦めたわけではない。虎視眈々と、私の首を取る機会を窺っている」

大国というものは、自らの覇権を脅かす存在を絶対に許容しない。

彼らが表立って動けないのは、私の報復が恐ろしいからだ。だが、もし私が一瞬でも隙を見せれば、あるいは彼らが『神の雷』を超える兵器を完成させれば、再び牙を剥いて極東の島国へ襲いかかってくるだろう。

「だからこそ、彼らのあらゆる動きを、行動を起こす前に完全に把握し、未然にすり潰す必要がある。……ヴィクトル。米中露の軍事動向と、宇宙開発関連の通信にフィルターをかけ、最も高い警戒レベルで常時監視しろ」

『御意。すでに『神の目』のAIは、ペンタゴン、クレムリン、中南海の不審な 兆候(フラグ) を完璧にトラッキングしています。彼らが結託して軍事行動を起こす兆候があれば、数週間前には完全に把握できます』

「見事だ。……これで、地球上の暗闘において、我々が後手に回ることは絶対にない」

私は満足げに頷き、レザーチェアに深く身を預けた。

家族の命と世界を直結させた『デッドマンズ・スイッチ』。

そして、地球上のすべてを見通す『神の目』。

宇宙空間に展開されたイージス社の覇権は、もはや誰にも覆すことのできない絶対的な領域へと達しつつあった。

* * *

「――ですがボス。一つ、面白いデータが上がってきています」

ヴィクトルが、ホログラムの一角をズームアップした。

そこに表示されたのは、アメリカ合衆国、カリフォルニア州のヴァンデンバーグ宇宙軍基地。

先日、彼らの最新鋭キラー衛星をハッキングし、大気圏で自爆させたばかりの因縁の場所だ。

『アメリカの宇宙軍とDARPA(国防高等研究計画局)が、異常なほどの慌ただしさを見せています。……通信ログを解析した結果、彼らは二週間後に、何か巨大なペイロード(積載物)を軌道上へ打ち上げる準備を進めているようです』

「打ち上げ、だと?」

私は眉をひそめた。

「彼らの『ゼウス計画』の進捗は、我がチームのパラサイト・ウイルスによって完全に泥沼に陥っていたはずだぞ。磁場ジェネレーターのエラーは解決していないはずだ」

私がサイバーチームのチーフに視線を向けると、チーフもまた怪訝な顔で頷いた。

「はい。ログを確認する限り、彼らは未だにプラズマの暴走を制御できていません。機材のメルトダウンを繰り返している状態です。あんな未完成のガラクタを宇宙に上げるなど、物理学の常識から見ても自殺行為です」

「……なるほど」

私は、モニターに映るアメリカ軍の焦燥に満ちた通信テキストを読み解き、喉の奥で低く笑った。

「彼らは、追い詰められたのだ」

「追い詰められた、ですか?」

玲奈が問う。

「そうだ。イージス社が宇宙空間に数千基の衛星を展開し、絶対的な覇権を握りつつある。それに比べて、アメリカ宇宙軍は何十億ドルも注ぎ込んだゼウス計画で、何一つ成果を出せていない。議会や大統領の忍耐はすでに限界を超え、次回の予算会議で計画そのものが凍結される寸前なのだろう」

私は、かつての同僚であり、現在ゼウス計画の主任を務めているアルバート・スタンフォード博士の愚かな顔を思い浮かべた。

「だから彼らは、『宇宙での実証フェーズに移行した』というハッタリ(実績)を作るために、未完成のプロトタイプを無理やり軌道へ打ち上げる決断を下したのだ。……宇宙に上げてしまえば、後からどうにでもシステムを修正できると、そう錯覚しているのだろうな」

『狂っていますね』

ヴィクトルが冷酷に吐き捨てる。

『宇宙空間の真空と極低温、そして太陽風の過酷さを舐めきっている。あのような不安定な磁場制御のまま軌道上でプラズマを起動させれば、機体ごと大爆発を起こすのは火を見るより明らかです』

「その通りだ。……ヴィクトル、チーフ。アメリカの打ち上げに対する妨害工作は、一切行うな」

私の命令に、コントロールルームの面々が一瞬沈黙した。

「放置するのですか、ボス?」

「放置ではない。特等席での『見物』だ」

私は立ち上がり、壁面の巨大な世界地図を見下ろした。

「もし私が彼らの打ち上げを地上で妨害し続ければ、彼らはいずれ『外部からの攻撃』だと気づき、執念深く原因を究明し始めるだろう。だが、彼らが自らの意志で打ち上げ、そして宇宙空間で自分たちの技術不足によって『自爆』したとなれば、話は別だ」

「なるほど……。彼らの自信と希望を、最も高い場所から物理的に叩き落とすのですね」

玲奈が、私の意図を即座に理解して悪女の笑みを深めた。

「そうだ。アメリカ議会は、何十億ドルもかけたプロジェクトが宇宙で大爆発を起こすという失態を絶対に許さない。ゼウス計画は永久に凍結され、彼らの宇宙軍は完全に求心力を失い、解体へと追い込まれるだろう」

私は、窓ガラスに映る自分の冷酷な顔を見つめながら、残酷な宣告を下した。

「彼らに、自らの限界と絶望を骨の髄まで思い知らせてやる。 宇宙(そら) は、彼らのような傲慢な化石どもが足を踏み入れていい場所ではないということをな」

* * *

その日の夜。

自宅のリビングで、私はサチコが学校の宿題に取り組む姿を、コーヒーを飲みながら静かに見守っていた。

彼女の血中には、私が飲ませた『神の 鎖(ナノマシン) 』が完全に定着し、私の命運と宇宙の兵器を繋ぐ究極の防壁として機能している。

「……パパ、何見てるの。宿題に集中できないんだけど」

サチコが、少しむくれた顔でこちらを睨んできた。

「いや、サチが一生懸命に勉強している姿が、あまりにも愛おしくてね」

「もう、過保護なんだから……」

サチコはぷいっとそっぽを向いたが、その耳は微かに赤くなっていた。

私はその様子に心からの安らぎを覚えながら、ふと、窓の外の夜空を見上げた。

二週間後。

アメリカは自らの手で、未完成の悪魔を宇宙へと解き放つ。

彼らはそれが『神の雷』の第一歩だと信じて疑わないだろう。だが、彼らを待っているのは、宇宙空間での悲惨な自壊と、完全な絶望だ。

「好きに踊るがいい。……お前たちの絶望は、私が最高のタイミングで演出してやろう」

極東の悪魔は、愛する娘の成長を見守りながら、来るべき宇宙空間での圧倒的な『自滅劇(ざまぁ展開)』に向けて、静かに盃を傾けていたのだった。