作品タイトル不明
第44話 反抗期の天使と、見えない神の鎖(リンク)
都内の超高級タワーマンション。朝の陽光が降り注ぐ広大なダイニングルームで、私は淹れたてのコーヒーカップを片手に、深く眉をひそめていた。
「サチ、そのスカートの丈は少し短すぎないか? もう二センチ、いや五センチは下げるべきだ。パパがイージスの開発部材を使って特注した、防弾・防刃仕様の制服の意味がなくなる」
「もう、パパってばうるさいなあ! 今の流行りなの! それに防弾とか防刃とか、学校の友達にバレたらまたからかわれるんだからね!」
真新しいセーラー服に身を包んだ十三歳のサチコが、頬を膨らませて猛烈に抗議してくる。
中学生になり、彼女の反抗期は順調に進行中だった。休日に手を繋いで買い物に行くことはおろか、最近では「お父さん」とすら呼ばず、ふとした瞬間に「パパ」と「あなた」の間を行き来するような、微妙な距離感を保たれている。
「宗一くん、女の子のおしゃれに口出しするのは嫌われる一番の原因よ」
キッチンからベーコンエッグとトーストを運んできた結衣が、クスクスと笑いながら私の肩を叩いた。
「だが結衣、世の中には危険が溢れているんだ。特にサチのような可憐な少女が、あんな無防備な格好で外を歩くなど……ヴィクトルの護衛部隊の数を倍に増やさなければ」
「それこそサチが本気で怒るわよ。ほら、サチ、朝ごはん冷めちゃうわよ」
「はーい!」
サチコは椅子に座り、サクサクとトーストをかじり始めた。
私はその光景を眺めながら、ふっと表情を和らげた。
生意気に口を尖らせるこの眩しい姿を見るたびに、私の脳裏には『歴史の修正力』という得体の知れない恐怖と、前世での喪失の記憶がよぎる。
私がどれだけ地上の防壁を固めようとも、アメリカは確実に『宇宙からの破壊兵器』の構想に辿り着いた。このままでは、いずれ必ず、あの青白い閃光が空から降ってくる。
だからこそ、私は彼らよりも先に、絶対的な抑止力を宇宙に完成させなければならない。
「二人とも、食後にこれを飲んでくれ」
私は、食卓の上に三つの小さなクリスタルグラスを置いた。
グラスの中には、薄いブルーの液体が注がれている。昨日、社長室で玲奈に見せた、イージス社の医療部門に極秘で精製させた『次世代型医療ナノマシン』のアンプルを溶かしたものだ。
「ん? なにこれ、ジュース?」
サチコが不思議そうにグラスを覗き込む。
「イージス社が開発した、特製の健康サプリメントだ。ビタミンやミネラルが豊富で、これを飲めば風邪も引かないし、将来大きな病気にかかるリスクも完全にゼロになる。……味はグレープフルーツみたいにしてあるから、美味しいはずだよ」
「へえ、すごい! 美容にもいいの?」
「もちろんさ。肌荒れも防ぐし、細胞を常に若々しく保ってくれる」
「わぁ、宗一くんの会社の技術なら間違いないわね。いただきます」
結衣とサチコは、なんの疑いもなくグラスを手に取り、その薄いブルーの液体を飲み干した。
「んっ! ほんとだ、甘くて美味しい!」
「毎日飲まなきゃダメなのかな?」
「いや、今日の一回だけで十分だ。成分が体内に定着して、ずっと君たちを守ってくれるからね」
私は優しい笑顔を浮かべながら、自分の分のグラスも飲み干した。
痛みも、副作用も一切ない。
だが、この瞬間、私たち家族三人の血中には、現代の医学を五十年は置き去りにした極小のナノマシンが溶け込み、脳幹と心臓の神経ネットワークに完全に定着した。
これは万能ワクチンであると同時に、宇宙のサーバーと常時接続するための見えない生体アンテナだ。
「ごちそうさま! あ、やばい、遅刻しちゃう! 行ってきまーす!」
「気をつけてね!」
「パパ、あんまり変な人たち(シャドウ)をこっそりつけさせないでよね!」
サチコは慌ただしくカバンを持ち、嵐のように玄関を飛び出していった。
バタン、とドアが閉まる音を聞きながら、私は深く息を吐き出した。
彼女たちは気づいていない。
今、あの美味しいサプリメントを飲んだことで、自分たちの命が、宇宙空間に浮かぶ悪魔の兵器『神の 雷(トール・ハンマー) 』の引き金と完全に直結したことに。
もし、彼女たちの身に万が一のことがあれば、その瞬間に世界は終わる。
それは、家族を愛するがゆえに世界の命運を強制的にイコールにしてしまう、深く、そしてあまりにも冷酷な私の愛の形だった。
「さて、私も会社に行くよ」
「いってらっしゃい、宗一くん。今日も頑張ってね」
結衣に見送られて家を出た私は、漆黒のマイバッハに乗り込み、六本木のイージス・イノベーションズ本社へ向かった。
行き先は、最上階の社長室ではない。
地下深くに構築された、ヴァルハラのサイバー・コントロールルームだ。
* * *
「――お待ちしておりました、ボス」
青白いモニターの光に包まれた空間で、橘玲奈とサイバーチームのチーフが出迎える。
私は特注のレザーチェアに腰掛け、メインモニターを見上げた。
「クリス。状況はどうなっている?」
私が暗号化通信を開くと、画面の分割ウィンドウに、南太平洋の要塞ニヴルヘイムで指揮を執るDr.クリス・ウォーカーの顔が映し出された。
『ヒャッハー!! 完璧だぜ、ボス! たった今、軌道上の『神の雷』のコア・システムが、地上からの三つの生体シグナルを完全に捕捉・ 同期(シンクロ) した!』
クリスは興奮で目を血走らせながら、タブレットを画面に押し付けてきた。
そこには、私、結衣、そしてサチコの心拍数と脳波パターンが、リアルタイムで表示されている。
『すげえぜ……! ナノマシン経由のシグナルは量子暗号化されて宇宙へ飛んでるから、地球上のどんなハッカーにも妨害も偽造も不可能だ! あんたたち家族の心臓が止まったコンマ一秒後には、セーフティが全解除されて発射シークエンスのカウントダウンが始まる仕組みだ!』
「ご苦労。……猶予時間の解除プロトコルも設定されているな?」
『ああ。四十八時間の猶予中に、承認された人間(家族と玲奈)が専用のコードを入力すれば、報復をキャンセルできる。まさに神のシステムだぜ!』
私は、手元に表示された家族のバイタルデータを静かに見つめた。
これで、四大勢力がどれほど足掻こうとも、歴史がどのように歪もうとも、私の家族に手出しすることはできない。
もし、私の知らないところでアメリカの『ゼウス計画』が奇跡的に完成し、日本へ撃ち下ろされようとも。その光が私や家族を焼いた瞬間、彼らの国家もまた、宇宙からの業火によって完全に消滅する。
絶対的な相互確証破壊。恐怖による完全な平和の支配。
極東の悪魔が導き出した、家族を守るための最終回答が、ここに完成したのだ。
「クリス。兵器の『魂』は入った。……次は、最後の『牙』だ」
『ああ、わかってるぜボス! プラズマを圧縮して撃ち出すための物理的な槍……超質量の『タングステン合金弾』の極秘装填プロセスだな!』
私はモニターに、宇宙空間で稼働している『神の雷』の現在の威容を映し出した。
全長数百メートルに及ぶ巨大な十字型の構造物。プラズマジェネレーターと巨大な砲身の組み立てはすでに完了している。残るは、宇宙から地上へ向けて実際に撃ち下ろすための弾薬を、システムに装填する作業だけだ。
「アメリカの宇宙軍は、依然として我々の衛星の『質量異常』に目を光らせている。巨大なタングステンの塊をそのまま打ち上げれば、いくら君のプラズマ推進ロケットでもバレてしまうぞ」
『心配すんな! 俺の芸術的な偽装プロセスを舐めるなよ!』
クリスはニヤリと笑い、シミュレーション映像を展開した。
『弾薬のコアとなるタングステンは、すべて細かく分割され、『通信衛星のカバー(外殻)』に偽装して打ち上げられている。表向きはただの薄い金属板だ。レーダーにはただの軽量な通信衛星としてしか映らねえ』
「なるほど」
『軌道上に到達した後、それらのカバーが自動的にパージ(分離)される。そして、光学迷彩を展開した自律型ドローン群によって密かに回収され、『神の雷』の 弾薬庫(ファクトリー) の中で高熱溶解・再成形されるんだ。……宇宙空間で巨大なタングステンの槍を鋳造する、究極のステルス装填だぜ!』
モニターには、薄い金属カバーがドローンに運ばれ、宇宙空間の無重力下で溶かされ、一本の太く巨大なタングステン弾として成形されていくプロセスが映し出されていた。
これならば、各国の宇宙軍には「イージス社が通信衛星のネットワークを拡充している」としか見えない。アメリカが血眼になって監視しようとも、彼らの頭上で悪魔の槍が着々と研ぎ澄まされていることに気づく術はないのだ。
「見事だ。作業を急げ。米中露が何を企もうと、すべての準備を過去にする絶対的な『力』を完成させるのだ」
『了解だ! 俺の最高傑作が装填完了する日が、今から待ち遠しくてたまらねえぜ!』
通信が切れ、私は深くレザーチェアに身を沈めた。
私の命と直結した絶対報復システム。
そして、軌道上で着々と装填されていく、不可視の業火。
「……完璧ですね、ボス」
傍らに立つ玲奈が、深い安堵の息を吐き出した。
「これで、ご家族を脅かす要素は、物理的にも情報的にも、すべて排除されました。四大勢力は、自らが巨大な人質にされていることすら知らずに、平穏な日々を送ることになります」
「ああ。私の家族が笑顔でいる限り、世界は平和だ」
サチコは今頃、中学校の教室で友達と笑い合っているだろうか。
結衣は、夕食の買い物をしている頃だろうか。
私の大切な日常は、私の築き上げた絶対的な暴力と知略によって、誰にも触れることのできない神聖な『不可侵領域』となった。
私は、モニターに映る宇宙空間の暗闇を見つめながら、静かに目を閉じた。
「……だが、油断はしない。歴史の修正力は、必ずどこかで綻びを生む」
アメリカがゼウス計画の失敗に頭を抱え、地上で泥を這っている間に。
極東の悪魔は、愛する家族を護るための見えない『神の鎖』を、完璧に完成させたのだった。