作品タイトル不明
第43話 見えざる妨害工作と、家族を護る神の鎖
西暦2025年、夏。
東京、六本木ヒルズ。イージス・イノベーションズ本社の地下深くに広がるサイバー・コントロールルーム。
無数のサーバーラックが発する低周波の稼働音と、青白いモニターの光に包まれたその空間で、私は特注のレザーチェアに深く腰掛け、壁一面に展開された暗号化データ群を見つめていた。
「――ボス。ご指示通り、アメリカ国防高等研究計画局(DARPA)のメインサーバーに潜伏させている『パラサイト(寄生型)プログラム』のアップデートを完了しました」
ヴァルハラのサイバーセキュリティチームを統括するチーフが、悪魔のような笑みを浮かべて報告する。
「ご苦労。……で、アメリカの『ゼウス計画』の進捗はどうなっている?」
「完全に泥沼に陥っています。彼らはここ数ヶ月、宇宙空間でのプラズマ封じ込めのための磁場ジェネレーター実証実験を繰り返していますが……すべて、見事なまでの『失敗』に終わっています」
私は手元のタブレットで、DARPAの極秘ネットワークからリアルタイムで引き抜かれている実験のログデータを開いた。
画面には、プラズマの出力が臨界点に達した瞬間に磁場が崩壊し、莫大な予算を投じた実験機材がメルトダウンを起こして黒焦げになる映像が記録されていた。
「彼らは、自分たちの計算ミスだと思い込んでいるようだな」
「ええ。我がチームが仕込んだパラサイトは、彼らのシミュレーション・データに対して、小数点第五位以下の極めて微細な『ノイズ(誤差)』を自動的に混入させています」
チーフが、誇らしげにタイピングの手を止めた。
「彼らのモニター上では理論が完全に成立しているように見えますが、実際に物理的なエネルギーを流し込んだ瞬間、その微細な誤差が増幅され、必ず磁場が崩壊するように計算してあります。……ウイルス検知ソフトには絶対に引っかからず、彼らのエンジニアは『なぜ失敗したのかわからない』という疑心暗鬼に永遠に囚われ続けることになります」
「見事だ」
私は冷たく笑い、コーヒーを口に運んだ。
もし私が、彼らのサーバーのデータを完全に消去したり、物理的な破壊工作を行ったりすれば、アメリカは「外部からの攻撃だ」と気づき、サイバー防壁を根本から作り直すか、完全にオフラインの環境で開発を再開するだろう。
だからこそ、私は彼らに『自滅』を選ばせた。
彼ら自身の頭脳と技術力が足りないから失敗しているのだと錯覚させ、莫大な時間と国家予算を空回りの実験に浪費させる。アメリカのエリート科学者たちの自信とプライドを少しずつ削り取り、プロジェクトそのものを内部から腐敗させるのだ。
「物理的な破壊よりも、時間と自信を奪う方が、国家のプロジェクトにとっては致命傷となる。……引き続き、生かさず殺さずの匙加減で、彼らの時計を狂わせ続けろ」
「了解いたしました、ボス。超大国のエリートたちが頭を抱える姿を特等席で眺めるのは、最高の娯楽ですよ」
* * *
「――アメリカ政府内で、ゼウス計画の予算打ち切り論が本格化しているようです」
社長室に戻った私に、橘玲奈がタブレットをスワイプしながら報告した。
「アメリカが独自に宇宙兵器を完成させる可能性は、ボスの妨害工作によって少なくとも今後十数年はゼロになりました。……ですがボス。アメリカがゼウス計画に着手していたという事実は、我々の計画をさらに加速させる理由になりますね」
「ああ」
私は窓の外に広がる青空を見上げながら、静かに答えた。
私が設計図を描かなくとも、アメリカは確実に『宇宙からの破壊兵器』の構想に辿り着いた。歴史は、人類の闘争本能は、どうあってもあの悪魔の兵器をこの世に生み出そうとしているのだ。
ならば、彼らが泥沼で藻掻いている間に、私が本物の『神の 雷(トール・ハンマー) 』を完成させ、絶対的な抑止力として宇宙空間に君臨させなければならない。
「玲奈。クリスが進めている軌道上の建造プロセスと並行して、例の『トリガー』の準備を進めろ」
「絶対報復システム(デッドマンズ・スイッチ)ですね。……軌道上の兵器と、対象者のバイタル(生命活動)を直結させるシステム」
玲奈が表情を引き締め、確認するように私を見た。
「ボスの生体シグナルをシステムとリンクさせ、もしボスに万が一のことがあれば自動的に四大勢力へ報復の雨が降る、という計画でしたが……」
「少し仕様を変更する」
私は、デスクの上の家族の写真を見つめ、極めて冷静に、そして絶対の意志を持って告げた。
「私だけの命ではない。結衣、そしてサチコ。我々家族三人のバイタルサインすべてを、神の雷のコア・システムと完全に 同期(シンクロ) させる」
「……ご家族全員の命を、引き金にするのですね」
玲奈がわずかに息を呑んだ。
「そうだ。私がいかに地上の護衛を固めようと、大国が理性を失ってミサイルを撃ち込んできたり、あるいは想定外のテロで私の愛する家族に危険が及ぶ可能性はゼロではない」
私は前世の記憶――青白い閃光の中に消えた家族の姿を振り払うように、言葉に力を込めた。
「もし、結衣かサチコのどちらか一人でも、外部からの攻撃や不自然な要因で命を落とすようなことがあれば……その瞬間、システムが起動し、四大勢力の首都を道連れにして世界を終わらせる。国家権力の理不尽な暴力から愛する者を永遠に守り抜くには、この『相互確証破壊』の恐怖で世界を縛り付けるしかない」
「……究極の盾ですね。ですがボス、一つ懸念が」
玲奈はCFOとしての冷徹な視点で指摘した。
「バイタルをシステムとリンクさせるには、対象者の体内に常時通信を行うナノチップを埋め込む必要があります。いくらイージス社の技術でも、ご家族に『痛みを伴う手術』や、万が一の『拒絶反応のリスク』を強いるのは、ボスの『家族を安全に守る』という絶対条件と矛盾しませんか?」
彼女の指摘はもっともだ。
私が死ぬリスクのある手術を受けることはおろか、愛する妻や娘の体にメスを入れ、一ミリでも危険に晒すような真似は、私自身が絶対に許さない。
「その心配はない、玲奈」
私は冷たく笑い、引き出しから小さなアタッシュケースを取り出して開けた。
中には、薄いブルーの液体が満たされた三本の美しいガラスアンプルが収められている。
「これは、私が未来の医療知識を総動員し、イージス社の医療部門に極秘で精製させた『完全無痛・副作用ゼロの次世代型医療ナノマシン』だ。注射ですらなく、経口摂取――水に混ぜて飲むだけで、ナノマシンが血中に溶け込み、脳幹と心臓の神経ネットワークに安全に定着する」
現代の医学を五十年は置き去りにした、究極のオーパーツ。
「定着したナノマシンは、本人の健康状態を常時モニタリングし、ガン細胞やウイルスの発生を未然に防ぐ最高の『万能ワクチン』として機能する。そして同時に、宇宙のサーバーとリンクする見えない生体アンテナとなるのだ」
「飲むだけで……ですか。信じられません。まさに魔法の薬ですね」
玲奈は感嘆の溜め息を漏らし、アンプルを見つめた。
「結衣とサチには、『イージス社が開発した、病気にならないための特製のサプリメントだ』と説明して飲ませる。痛みもなく、リスクもない。彼女たちは自分が世界の爆破スイッチになったことなど一生気づかずに、ただ健康で安全な人生を謳歌するだけだ」
これこそが、極東の悪魔が導き出した、家族を守るための最終回答。
自らの家族を愛するがゆえに、彼女たちの命と世界の命運を強制的にイコールにしてしまう、深く、そしてあまりにも冷酷な愛の形だった。
「クリスのシステム構築は最終段階に入っている。……玲奈。万が一、不慮の事故や寿命で我々が命を落とした場合、世界が巻き添えにならないための『四十八時間の解除プロトコル』もシステムに組み込ませてある。その 解除権限(マスターキー) のパスワードは、我々家族と、君にだけ預けておく」
「私に、ですか」
玲奈は少しだけ目を丸くしたが、すぐに美しく、覚悟を決めた笑みを浮かべた。
「承知いたしました。ボスの右腕として、世界の命運のストッパー、しかとお預かりします」
私はアタッシュケースを閉じ、窓の外に広がる東京の青空を見上げた。
「さあ、最後のピースをはめ込もう。誰も私の家族を奪えない、絶対的な聖域の完成だ」
アメリカがゼウス計画の失敗に頭を抱え、地上で泥を這っている間に。
極東の天才物理学者は、愛する者を護るための見えない『神の鎖』を、静かに、そして確実に完成させようとしていたのだった。