作品タイトル不明
第46話 愚者たちのカウントダウンと、打ち上げられる未完成の神
アメリカ合衆国カリフォルニア州、ヴァンデンバーグ宇宙軍基地。
太平洋に面した広大な敷地を持つこの基地は、アメリカの宇宙開発と安全保障の最前線であり、世界最高峰の頭脳と技術が集結する場所だ。
だが、コントロールセンターを包み込んでいる空気は、科学的な探求心や偉業への期待とは程遠い、ドロドロとした『政治的な焦燥感』と『狂気』に満ちていた。
「――カウントダウン、Tマイナス六十分。各部システムの最終チェック、オールグリーン。燃料注入プロセス、正常に進行中」
オペレーターの無機質な声が響く中、巨大なメインスクリーンには、発射台にそびえ立つ最新鋭の大型ロケットの姿が映し出されていた。
そのペイロード(積載部)に搭載されているのは、アメリカ国防高等研究計画局(DARPA)と宇宙軍が国家の威信と莫大な予算を投じて開発した、次世代型衛星軌道兵器の試作機――『ゼウス・プロトタイプ』である。
「よし。素晴らしい光景だ。これでようやく、あの極東の成り上がり企業から宇宙の覇権を取り戻せる」
コントロールセンターの特等席で、星条旗を背負った宇宙軍の強硬派将軍が、満足げに葉巻を咥えながらうそぶいた。
だが、彼の隣に立つゼウス計画の主任研究員、アルバート・スタンフォード博士の顔色は、死人のように青ざめていた。
彼は血走った目でモニターのデータ群を睨みつけ、震える手で何度もタブレットの計算結果を確認している。
「しょ、将軍……。本当に、軌道上でジェネレーターの起動テストを行うおつもりですか? 私は、ロケットで宇宙空間へ機体を運ぶだけで十分な実績になると進言したはずですが……!」
アルバートは、すがるような視線を将軍へ向けた。
「プラズマ封じ込めのための磁場ジェネレーターは、地上の実機テストにおいて『原因不明の磁場崩壊』を頻発しています。この状態で宇宙空間に持ち出し、プラズマを起動させれば、機体そのものが内側から――」
「くどいぞ、アルバート博士」
将軍は葉巻の煙を吐き出し、軍人特有の傲慢で冷酷な瞳で科学者を睨みつけた。
「議会の連中も大統領も、君たちの『原因不明のエラー』という泣き言にはすでにウンザリしているのだ。イージス・イノベーションズはすでに数千基の衛星を低軌道上に展開し、我々を圧倒している。ただガラクタを宇宙に浮かべるだけでは、来月の予算会議でゼウス計画の予算は完全に凍結されるだろう」
将軍は、冷酷に事実を突きつけた。
「我々に必要なのは、『アメリカは宇宙空間でプラズマ兵器を稼働させることに成功した』という『実績』なのだ。出力を最低レベルの『一パーセント』に絞り、数秒間プラズマを発生させてすぐにシャットダウンすればいい。宇宙の真空と超低温下での実地データさえ取れれば、今回のミッションは大成功だ」
「そ、そんな無茶な……! 出力が一パーセントだろうと、磁場が崩壊すれば機体は一瞬で数万度の熱量に晒されます!」
「これは決定事項だ!」
将軍は、アルバートの反論を怒鳴り声で完全に叩き潰した。
「君の科学者としての名誉も、このプロジェクトの存続も、すべては数時間後の『起動テスト』にかかっている。国家の威信を懸けて、必ず成功させろ」
アルバートは奥歯を噛み締め、絶望的な面持ちで押し黙るしかなかった。
科学者としての本能は、この打ち上げが致命的な破滅を招くと警鐘を鳴らしている。だが、国家権力という巨大な濁流の前では、彼の個人的な懸念などただの石ころに過ぎない。
彼らは知る由もなかった。
彼らを苦しめている『原因不明の磁場崩壊』が、自分たちの技術不足によるものではなく、イージス社の仕込んだパラサイト・ウイルスによる『極めて精巧なデータ改ざん』であるということに。
アメリカという超大国は、自らの覇権を維持したいという焦燥と政治的なエゴによって、未完成の悪魔を自らの手で宇宙へと解き放つという、最悪の決断を下したのだった。
『――Tマイナス三十秒。全スタッフ、打ち上げシーケンスに移行』
無機質なアナウンスが響き、コントロールセンターの空気が極限まで張り詰める。
「……神よ、どうか我が国に祝福を」
アルバートが震える声で祈りを捧げた。
『10、9、8……3、2、1。メインエンジン点火。リフトオフ』
凄まじい轟音と振動が、防音ガラス越しのコントロールルームにも伝わってくる。
メインスクリーンの中で、莫大な白煙と炎を噴き上げながら、巨大なロケットが青空を切り裂いて天へと昇っていく。
「いいぞ! そのまま行け!」
将軍が身を乗り出し、拳を握りしめる。
ロケットは順調に高度を上げ、大気圏を突破。一段目、二段目のブースターを予定通りにパージ(分離)し、漆黒の宇宙空間へと躍り出た。
やがて、ペイロードのフェアリングが開き、中から巨大な金属の塊――『ゼウス・プロトタイプ』が、冷たい真空の空間へと押し出される。
十字型に近いその異様な構造物は、光学迷彩の機能を備えつつ、内部には大出力のプラズマジェネレーターと、超質量弾を撃ち下ろすための電磁加速砲のモジュールが組み込まれていた。
『――ゼウス・プロトタイプ、予定軌道への投入完了。ソーラーパネルの展開、正常。各システム、スリープモードでオンライン』
オペレーターの歓喜の声が響き渡った。
「おおおおっ!!」
コントロールセンターが、割れんばかりの歓声と拍手に包まれた。将軍は満面の笑みで周囲の士官たちと固い握手を交わし、アルバート博士もまた、打ち上げの成功に安堵の息を長く吐き出していた。
「見たか、アルバート! 我々はやったのだ! これで議会も黙る。あとは軌道上でテストを成功させれば、アメリカの宇宙覇権は再び盤石なものとなるぞ!」
「……ええ、そうですね、将軍」
彼らは、自分たちが『神の領域』へ到達したと本気で信じ、狂喜乱舞していた。
だが、彼らが宇宙へ解き放ったのは、神などではない。
自らの首を絞めるための、未完成で醜悪な『時限爆弾』に過ぎなかった。
* * *
「――アメリカ宇宙軍、ゼウス・プロトタイプの低軌道上への投入を確認しました。ヴァンデンバーグのコントロールルームは、現在お祭り騒ぎのようです」
地球の裏側。東京、六本木ヒルズ。
イージス本社の地下に広がるサイバー・コントロールルームで、チーフが冷ややかな笑みを浮かべて報告した。
背後にある壁一面の巨大モニターには、ヴァルハラの諜報網『神の 目(オーディンズ・アイ) 』を通じて傍受された、ヴァンデンバーグ基地の狂喜する映像と、宇宙空間に浮かぶゼウスの姿が、複数のアングルから鮮明に映し出されている。
「お祭り騒ぎ、か。滑稽だな。自分たちが火薬庫の中で花火を打ち上げていることにも気づかずに」
私は特注のレザーチェアに深く腰掛けたまま、冷めたコーヒーを口に運んだ。
アメリカは、ゼウスに最新鋭の光学迷彩とジャミングを施し、世界中からその存在を完全に隠蔽したつもりでいる。
だが、私の構築した量子レーダー網と、彼らの通信システムに寄生しているバックドアを通せば、ゼウスの現在位置から内部の温度変化に至るまで、すべての情報が手に取るようにわかるのだ。
「ボス。事前の情報通り、彼らはこの後、軌道上で『ジェネレーターの起動テスト』を強行するようです」
隣に立つ橘玲奈が、傍受した通信ログのデータをスワイプしながら報告する。
「出力を一パーセントに絞るようですが……本当に大丈夫なのでしょうか? 万が一にもプラズマが安定してしまい、彼らが兵器としての一歩を踏み出してしまえば……」
「心配ない。あのガラクタが兵器として機能することは、物理的に絶対にあり得ない」
私は、手元のタブレットでゼウスの構造図とリアルタイムのテレメトリーデータを展開し、冷酷に言い放った。
「アルバートの奴は、プラズマの磁場封じ込めにおいて、致命的な設計ミスを犯している。そこに我がサイバーチームが仕込んだノイズが加わっているのだ。……地上でのシミュレーションではなんとか誤魔化せていたようだが、宇宙空間の真空と、太陽風から直接浴びる強烈な放射線環境下では、あの脆弱な磁場ジェネレーターはプラズマを数秒たりとも維持できない」
私が暗号化通信のスイッチを入れると、モニターの分割画面に、南太平洋の要塞ニヴルヘイムで指揮を執るDr.クリス・ウォーカーの顔が映し出された。
『ヒャッハー!! 見てるぜボス! アメリカの連中、本当にあのポンコツを打ち上げやがったな!』
クリスは腹を抱えて大爆笑している。
『あのジェネレーターの配線レイアウトじゃあ、起動した瞬間に電磁場のバランスが崩壊して、コアの温度が数万度まで跳ね上がる! 弾を撃つどころか、自分自身を内側から焼き尽くすだけの巨大なオーブンだぜ!』
「その通りだ。……彼らは、自分たちが『神の雷』を造り上げたと思い込んでいるが、実際にはただの鉄の棺桶を宇宙に浮かべただけだ」
私はモニターに映るゼウス・プロトタイプの姿を見つめながら、静かに告げた。
「玲奈、サイバーチーム。……アメリカ側のシステムへの干渉は一切行うな。彼らの通信ログとテレメトリーデータを、ただ静かに記録し続けろ」
「放置するのですね」
「ああ。特等席での『見世物』だ。彼らが自らの手で引き金を引き、自らの手で希望を打ち砕く瞬間を、私はこの目でしっかりと見届けてやる」
私はレザーチェアから立ち上がり、コントロールデスクへと歩み寄った。
「アメリカ軍の強硬派は、実績を作るために必ず軌道上でテストを強行する。……アルバートがどれほど反対しようとも、政治の力には逆らえない。彼らは自らの驕りによって、自滅のボタンを押すのだ」
その瞬間が、彼らの絶望の始まりだ。
私は、モニターの向こうで歓喜に沸くアメリカのエリートたちを見下ろし、極低温の笑みを浮かべた。
「さあ、見せてみろ。お前たちが莫大な国家予算とプライドを懸けて創り上げた『神』が、どれほど無様で脆い存在かをな」
地球上の暗闘から解き放たれ、宇宙空間へとその舞台を移した人類の業。
極東の悪魔が完璧な安全圏から傍観する中、超大国アメリカの自滅へのカウントダウンが、漆黒の真空空間で静かに、そして確実に時を刻み始めていた。