軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第23話 失って気づく、最大の宝

あの悪夢のような夜会から数日が経った。

薄暗い夕暮れ時、ダリルは王都の片隅にある、ひどく手狭なアパートの一室にいた。

騎士団を不名誉除隊となり、誇りだった騎士としての立場をすべて失った。

弱小のビデラルフ伯爵家は、オレオ侯爵家からの追及に震え上がり、家財を切り崩してメリッサへの搾取金を全額返済せざるを得なかったという。

実家からはトカゲの尻尾切りとして完全に勘当され、同時に、謝罪金の工面で実家が被った損害のすべてを『借金』として背負わされた。

手元に残されたわずかばかりの金銭を握りしめ、ダリルが命からがら流れ着いたのが、この薄汚れた狭い部屋だった。

「……寒いな」

ぽつり、と呟いた声が、家具のほとんどない室内で虚しく響く。

ふと部屋を見渡せば、床には数日分の埃が溜まり、脱ぎ捨てた衣服がそのまま散乱している。これまでは、どんなに激しい訓練を終えて深夜に帰宅しても、部屋はいつも塵一つなく片付いており、シーツからはお日様の匂いがしていた。

全部、メリッサがやってくれていたのだ。

ダリルは重い身体を引きずり、小さな台所へと向かった。

腹は減っているが、冷蔵庫の中には何もない。ただの水道水を一杯だけコップに注ぎ、一気に飲み干す。喉を流れる冷たさが、余計に胸の虚しさを際立たせた。

これまでは、「腹が減った」と溢せば、メリッサが笑顔で、胃に優しい温かなスープや軽食を素早く作ってくれた。

『ダリル、今日もお仕事お疲れ様でした。はい、温かいうちにどうぞ』

そう言って髪を耳にかけながら微笑む彼女の姿が、今でも鮮明に脳裏に蘇る。

(どうして、気づかなかったんだ……)

ダリルは台所の床に、力なくへたり込んだ。

メリッサだって、オレオ侯爵家という大貴族に仕える、超一級の侍女だったのだ。朝から晩まで令嬢の世話や膨大な実務をこなし、疲れていないはずがなかった。それなのに彼女は、自分の貴重な休息時間をすべて削って、ダリルのために掃除をし、洗濯をし、料理を作ってくれていた。

それだけではない。

ダリルが「付き合いがあるから」と言えば、メリッサは嫌な顔一つせず、自分の給金をダリルの口座へと移してくれた。

『ダリルは将来、立派な副隊長になるんだから。男の方の付き合いを、私のお金ごときで狭めたくはないわ。どうぞ、有意義に使ってね』

そう言って渡された財布の重みを、ダリルは「男の甲斐性」だの「俺の魅力への対価」だのと、都合よく履き違えていた。

カサンドラが貢いでくれた大金や高級品に、男としてのプライドは確かに満たされた。だが、カサンドラの「貢ぎ」は、ダリルという若い騎士を自分の所有物として着飾らせるための、虚栄心に満ちた金でしかなかった。

一方で、メリッサが差し出してくれていたのは、彼女の命の削りカスであり、純度百パーセントの「無償の愛」そのものだったのだ。

メリッサのあの常軌を逸したほどの献身は、すべて、ダリルを心の底から愛し、信じていたからこそ成り立っていた奇跡だった。

それなのに自分は、その奇跡があまりにも身近に、あまりにも当たり前に存在していたせいで、その価値を何一つ理解していなかった。それどころか、「俺を好きなら待つのが当然だ」「結婚してやるんだから少々の浮気は許される」と、彼女の愛にどこまでも胡座をかき、甘え、裏切り続けた。

ダリルは、決して根っからの悪人ではなかった。

騎士団の仲間を大切にし、市民のために剣を振るう熱意は本物だった。だからこそ、今になって、自分がどれほど最悪で、どれほど卑劣な裏切りを最愛の女に働き続けていたのか、その罪の重さが、正論となって自分の胸に容赦なく突き刺さる。

「メリッサ……、ごめん……、本当に、ごめん……っ」

膝を抱え、ダリルは声を上げて泣き崩れた。

大粒の涙が次々と溢れ、薄汚れたリノリウムの床を濡らしていく。

あの夜会での、ドレスを纏ったメリッサの姿を思い出す。

自分を見る瞳には、一滴の憎しみすらなく、ただ完全な「無関心」だけがあった。彼女の心の中で、ダリルという男は本当に死んでしまったのだ。自分が引き金を引いて、最愛の人の心を殺してしまったのだ。

どれほど後悔しても、どれほど涙を流しても、あの優しかったメリッサはもう二度と戻ってこない。彼女は今頃、自分など足元にも及ばない高潔なスティーブの隣で、誰よりも大切に愛され、温かな幸福に包まれていることだろう。

失って初めて気づいた、人生で最大の宝物。

何もかもを失った荒れ果てた部屋の片隅で、ダリルはただ一人、自業自得という名の消えない傷を胸に抱きながら、夜通し泣き続けるしかなかった。