軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

はじめて、君が

「……なんてことなの」

ある日、用事を終えてメイドのセルマと共に街中を歩いていたわたしは、一枚の紙を手に立ち尽くし、震えていた。

「私だけの王子様が……舞台に……!?」

そう、この紙はわたしの愛読書が舞台化する、という広告だったのだ。しかも主演俳優も今人気の見目の良い俳優らしく、わたしの大好きなミッチェル役にぴったりだった。

絶対に、行くしかない。急いで帰宅したわたしは「部屋にあった原作を先日読んでみたら面白かったから、どうしても全公演行きたい」と必死にお父様におねだりし、全三日の日程のうち三日分のチケットを取ることができたけれど。

全て、二枚組だったのだ。お茶をした際にジェイミーを誘ったところ、初日と二日目は一緒に行ってくれることになった。けれど最終日は予定があるらしく、無理だと言われてしまって。むしろ好きでもないのに二日も付き合ってくれる彼女の優しさに、感謝してもしきれない。

とは言え、友人の少ないわたしのせいで席に穴を開けるなんてこと、許されるはずがない。するとどうしようと困っているわたしに、ジェイミーは「フィリップ様と行けばいいじゃない」なんて、当たり前のように言ったのだ。

「そ、それは違うような気が……」

「そうかしら? きっと喜ぶわよ。一応、声をかけるだけかけてみたらいいじゃない」

「…………」

──本当にこんな女性向けの舞台に誘って、フィリップ様は喜んでくれるのだろうか。迷惑ではないだろうか。

けれど結局、他に誘う相手もいないわたしは、しばらく悩んだ末に、声だけでもかけてみることにした。

◇◇◇

「あの、フィル」

「なんだ」

「来週末の午後って、空いていますか」

「今のところ、何の予定もないが」

それから数日後。ローレンソン公爵家に招かれ、青空の下、立派過ぎる庭でフィリップ様とお茶をしていたわたしは早速、例の舞台の誘いをしてみることにした。

「よければ、なんですけど」

「ああ」

「その、一緒に舞台を見に行きませんか?」

なんとなく気恥ずかしくて俯いたままそう言ったけれど、1分ほど経っても彼からは何の反応もない。

不安に思い顔を上げたわたしは、目を見張った。フィリップ様の右手にあったティーカップが物凄く傾いており、たらたらと中身の紅茶が彼の服に垂れ続けていたのだ。

フィリップ様はなぜか固まっており、慌てて声をかけてハンカチを渡したところ、ようやく我に返ったらしい。

「……すまない、君のハンカチが汚れてしまうのでは」

「いえ、使って捨ててください。要らないものですので」

そう、今手渡したのは花祭りの際に、刺繍に失敗したものなのだ。ハンカチ自体はフィリップ様に渡すために最高級のものを使っているため、捨てるのも何だか嫌で、一応こんな時のために鞄に入れておいた。

「…………」

するとフィリップ様は前回のミミズ以下の失敗作ハンカチを広げ、少しだけ驚いたように目を見開いた後、自身の胸元から一目で高級だとわかる美しいハンカチを取り出す。

そして何故か失敗作を大切そうに胸元にしまうと、美しいハンカチでお茶を拭きはじめた。本当に何をしているんだろうか。

「あの、フィル……? 使う方を間違えていますよ」

「合っている」

「それ、本当にゴミみたいなものでして」

「ゴミなんかじゃない」

はっきりとそう言い切ったフィリップ様に、わたしはもう何を言っても意味がない気がして、どうかメイドが洗濯にでも失敗し、駄目にしてくれるよう祈る。

そんなフィリップ様はじっとわたしを見つめた後、躊躇いがちに口を開いた。

「……その、本当に俺と?」

「はい」

すると彼は、自身の口元を右手で覆った。隙間から見える頬や耳は、何故かとても赤い。

「……嬉しい」

「えっ?」

「君から何かを誘ってくれるのは初めてだから、嬉しくて」

そう言ったフィリップ様は、本当に本当に嬉しそうで。そんな様子を見ていると、思わずどきりとしてしまう。

──やっぱりこんなの、演技には見えない。

「でも、フィルが楽しめるものかはわからなくて」

「ヴィオラと一緒なら、何でも楽しめる」

「そ、そうですか」

とにかく、一緒に行ってくれるようで安心した。レックスなんかは小説を読んで鼻で笑っていたから不安ではあったけれど、フィリップ様が楽しんでくれたら嬉しいなと思う。

「何という舞台だろうか」

「『私だけの王子様♡』という小説が、原作で……」

「その小説が好きなのか」

「はい。部屋に全シリーズあって、読んでみたら面白くて」

「……過去の君も、好きだったんだな」

そしてフィリップ様は何度も、私だけの王子様、と繰り返し呟いている。冷静にタイトルを連呼されると恥ずかしくなってくるからやめて欲しい。

迎えに来ていただく時間なんかを決めていくうちに、いつの間にかその後二人で食事をすることにもなっていた。なんだか、まるでデートみたいだと思ってしまう。

「ヴィオラ」

「はい」

「俺を誘ってくれてありがとう。楽しみにしている」

そう言うとフィリップ様は柔らかく目を細めて、思わず見とれてしまうくらい、綺麗に微笑む。

そんな彼を前にわたしの心臓はやっぱり、いつもよりもずっと早く鼓動を打ち続けていた。