作品タイトル不明
18
シャンティからのハンカチを受け取ったギルフォードは、それをまじまじと見つめている。
そして自分のイニシャルが刺繍されているのに気付くと感嘆の息を漏らした。
「上手いものだな。……これは私が使っても良いものなのか?いや使えるものだとしても、汚したくはない。だから額縁に入れて大切に眺めることにしよう」
「あ、いえ。そんなこと言わずに、ぜひぜひ使ってください。こんなもので良かったら、何枚でも贈りますっ。いつでも、ずっと」
有難すぎるギルフォードの申し出に、シャンティはあわあわとしながらも、素直な気持ちを口にした。
途端に、ギルフォードの表情が変わった。
「……いつでも?」
「はいっ、いつでも言ってください」
「ずっと?」
「もちろんです───……あっ」
ギルフォードがわざわざ確認した意味がわかったシャンティは、自分が大胆なことを言った自覚を持ってしまい、思わず短い声を上げてしまった。
口に出した言葉は嘘ではない。本音だ。でも、めっさ恥ずかしい。
頬がどんどん熱くなる。言質を取ったと言わんばかりのギルフォードの顔が素敵すぎて、直視できない。
シャンティは座り込んだまま、顔を両手で覆って身悶えしてしまう。
「可愛いな」
「そ、そういうことを言わないでくださいっ」
「それは困る」
「私はもっと困りますっ」
ついさっきまで臨終寸前だったギルフォードは、妙に生き生きとしている。そして、この状況を楽しんでいる。
シャンティとて、ギルフォードが辛そうにしていたり、悲しんでいるのを見るのは嫌だ。いつでも心穏やかでいてほしい。
だからといって、こんなに余裕綽々なのは、何だかズルいと意味の分からないことを思ってしまう。
そんなふうに暗闇に覆われた視界で、あれやこれやと忙しいシャンティをギルフォードは愛おしげに見つめている。
ただ、壁越しに使用人達がいるのにも既に気付いているので、さりげなく咳払いをする。
途端に、使用人達は蜘蛛の子を蹴散らすように、各自の仕事場へと消えて行った。一同ほっとした笑みを浮かべて。
それから待つこと数十秒。使用人たちの気配が消えたことを確認したギルフォードは、そっとシャンティの名を呼ぶ。そうすれば、恥じらいながらも、シャンティは顔を覆っていた両手を離した。
「シャンティ、立ってくれ」
「え?は、はい」
首を傾げながらも立ち上がったシャンティの手を、ギルフォードは跪いたまま取った。
そして、これまで見たことが無いほど生真面目な表情になると、静かに口を開いた。
「シャンティ、私達はなし崩しに……しかも偽装という結婚生活を始めてしてしまった。けれど私は、この生活を終わらせたくはない。君のことが好きだ。私は、君に本当の妻として傍にいて欲しいと思っている」
一気に言い終えたギルフォードは、シャンティの手を握る力を強める。
「シャンティ、どうか私と結婚してくれ」
ギルフォードの言葉に、シャンティはすぐには答えることができなかった。切ないまでに嬉しくて。
「───……シャンティ?」
かなりの間を置いて、ギルフォードが恐る恐る問いかけてくる。自分の手を掴むギルフォードの手の力は痛いほどだった。
気持ちを伝えたい。でもなぜか、からっからに喉が乾いてしまったシャンティは、答えを口にする代わりに、空いている方の手を、ギルフォードの手に重ねた。
じんわりと伝わってくる温もりが、これが夢ではないことを教えてくれる。
「……ギルさん、私、嬉しいです」
「そうか」
ゆっくりと噛み締めるように呟くギルフォードに、シャンティは思わず口づけをしたくなる衝動にかられてしまう。
多分、そういう気持ちをこう言うのであろう。
「私、ギルさんのことが好きです。愛しいと思っていま」
最後の言葉は、立ち上がったギルフォードに強く抱きしめられてしまい紡ぐことができなかった。
でも、それを非難する間もなく、今度は顎を掴まれ、口付けを落とされてしまう。それは次第に激しさを増し───
「……では、初夜といこうか」
という、ギルフォードの言葉で、一旦中断した。
甘く激しい口付けを受けて、ぼぅっとしていたシャンティだけれど、そのぶっ飛んだ申し出に、はっと我に返ってしまった。
「そんな急過ぎますっ」
「そうでもない」
至極冷静に返答したギルフォードを見て、シャンティはこれが誘いではなく、決定事項だということを知る。
シャンティは困った。彼と出会って過去一番に困った。
「まだお昼ですっ、明るいですっ」
「じきに夜になる。……安心しろ。カーテンは閉める」
「でも、お昼ご飯がまだっ」
「……シャンティ……ま、まさか食べる気だったのか?!い、いやそれは構わんが……。ま、終わったら一緒に食べよう」
ギルフォードはシャンティの言葉を否定することはないが、自分の主張は絶対に譲ろうとはしない。
そしてとうとう、しゅんとした顔でシャンティの額に自身の額をこつんと当てた。
「駄目か?」
「……っ」
至近距離で、じっと見つめられてしまえば、嫌とは言えない。だが、どうぞとも言えない。
そんなわけでシャンティは悩んだ挙句、違う言葉を口にした。
「……せ、せめて、お風呂にっ」
「確かにそうだな。では一緒に入ろう」
あっさりと頷きながら紡がれたギルフォードの発言に、シャンティは口から魂を飛ばしそうになった。
だがギルフォードはそんなシャンティを抱えて、意気揚々とバスルームへと消えて行った。
同じ石鹸を使ったはずなのに、ギルフォードから漂う香りはどうしてこんなにも良い匂いなのだろうとシャンティはふと思った。ベッドに組み敷かれながら。
そして、ギルフォードも同じことを思っているのだろうか?そんなことも考えてしまう。
でも、すぐに気付く。こんな場違いなことを考えてしまうのは、洒落にならないほど緊張しているからということを。
部屋のカーテンは、いつの間にか閉じられている。でも、薄暗くても、自分の髪を優しく撫でる彼の顔は良く見える。
「シャンティ……優しくしたいが……途中で止められないかもしれない」
申し訳なさそうに自分の顔を覗き込むギルフォードの瞳は、欲情の色を隠せないでいる。
「大丈夫ですよ、ギルさん。私、そんなに簡単には壊れませんよ」
緊張しすぎて、心臓がぶっ壊れそうな予感はする。でも、やっぱナシという気持ちは無い。
だからシャンティはギルフォードに微笑みかける。
そうすればギルフォードは、壊れ物を扱うような手つきでシャンティのバスローブを脱がし始めた。
ギルフォードは嘘つきだ、とシャンティは彼の熱を受けながらしみじみと思う。
優しくできない。止められないと言ったくせに、触れる手はどこまでも優しかった。
そしてシャンティが少しでも痛がったり、怯えたりすれば、何度も手を止め落ち着くのを待ってくれた。
そうして長い時間をかけて身も心も深く繋がれば、ギルフォードはぎゅっと抱きしめてくれる。
汗ばんだ彼の肌を感じて、自分の身体が更に熱を帯びていくのがわかる。
これまで甘い時間を過ごしてきた時は、ギルフォードはずっと服を着たままだった。でも、今、直接素肌と素肌が触れ合っている。
太い腕、鍛え抜かれた身体。そして熱い肌。それらを全身で感じるシャンティは痛みなど消えてしまいそうな程、幸せだった。
それはギルフォードも、同じ気持ちで───
「ああ……人を愛するということはこんなにも……」
ギルフォードの掠れた声は、あまりに小さすぎて聞き取ることができなかった。
でもシャンティは聞き直すことはしない。その言葉を、ちゃんと身体で受け止めることができたから。