作品タイトル不明
17
シャンティは頬に伝った涙を、手の甲で乱暴にふき取った。
すんすん泣いている場合ではないのだ。
一刻も早く、これを持ち主に返したい。そして、あの日のお礼をちゃんと伝えたかった。
「ギルさん、あの───……ぅえ?!ど、ど、ど、どうしたんですか!?」
2枚のハンカチを胸に抱きしめながら振り返ったシャンティは、ぎょっと仰け反った。
ついさっきまで自分をがんじがらめにして、訳が分からないことを叫んでいたギルフォードは床に両手両膝を付き、完全に消沈していたのだ。
「だ、だ、だ、大丈夫ですか!?どこか具合が悪いんですか!?一先ずベッドに行って横になりましょうっ。えっと、立てますか?あの……私の肩に掴まってください」
ギルフォードの目の前にしゃがんでオロオロするシャンティは、まだ彼が大いなる勘違いをしていることに気付いていない。
そして、扉の向こうに居る使用人たちは皆、午前中の事件を知っている。そして現在、ご主人様は離婚の危機に瀕していると思い込んでいる。
”自分達も奥様を説得しなければっ”、”いや待て。それは出過ぎた行動だ”、”いやいや、待て待て、これは単なる夫婦喧嘩なのかもしれない”と、各々の主張がせめぎ合い、廊下は大混乱を極めている。
なのだがシャンティは、やっぱりそんなことに気付いていない。それより、今にも心臓を止めてしまいそうなギルフォードの方が心配だった。
「……あの、ギルさん」
「───……から……は……」
「は?え、ええっと、何ですか?」
「は……から、ど……か……くれ」
聞き取れない何かを呟くギルフォードの言葉を拾い上げようと、シャンティは更に近づく。そうすれば、かなりの力で腕を掴まれてしまった。
「シャンティ、君の望む通り離した。だから、どうか帰らないでくれっ」
「はぁ?」
シャンティはまったく意味がわからなかった。このやり取りの最中、自分は一言も”帰る”という言葉なんて口にしていない。
ただ首を傾げたのは一瞬で、やっとギルフォードが勘違いをしていることに気付いた。
「ギルさん、あの……勘違いさせてしまってごめんなさい。ちょっと探し物をしていただけなんです。私、ギルさんを置いて帰ったりなんかしません」
「……本当か?」
「はい」
ギルフォードの縋るような眼差しを受け、シャンティは大きく頷いた。
次いで、手にしていた無地の方のハンカチをギルフォードに差し出した。
「ギルさん。これ、お返しするのが遅くなってすみませんでした」
「……こ、これは」
「あの時、貸してくれたハンカチです。そしてあの日、私を放っておいてくれてありがとうございました」
少しの間の後差し出したハンカチが自分の手から消えたのを確認して、シャンティはぺこりと頭を下げた。
再び顔を上げれば、ギルフォードは不思議そうにハンカチとシャンティを交互に見つめている。さっぱり意味がわからないといった感じで。
その顔はまるで無垢な少年のようで、シャンティはきゅんきゅんとしてしまう。しばらく堪能したい。でも、真相を知らない彼にとっては酷なことだろう。
だからシャンティは、ときめく気持ちをぐっと押さえて口を開く。
「両親の亡骸を目にした時、これから私は強くならないといけないって戒めたんです。自分は一人ぼっちになってしまったのだから、弱音なんて吐いちゃいけない。泣くなんて、もってのほかだって。でも、両親が土の中に埋まってしまった時、もう一生両親に会えないことを改めて実感して……あの木の下でこっそり泣いてしまったんです。……自分のことを駄目な人間だなって責めながら」
「シャンティ、大切な人の為に涙を流すことは間違ってはいな───」
「いいえ。自分が決めたことなのに、それをあっさり破ったんですから、責めて当然なんです」
ギルフォードの言葉を遮り、シャンティはきっぱりと言い切った。
でもギルフォードはとても不服そうだった。それは自身の発言を否定されたからではなく、彼の優しさからくるもの。
シャンティは、とても嬉しくなった。思わず笑みを浮かべてしまう。それを見たギルフォードはまた何か言いたそうに口を開こうとする。
だがシャンティは、それよりも早く言葉を続けた。
「弱い自分が情けなくて、こんなカッコ悪い姿なんか誰にも見られたくないと思う反面、とても寂しかったんです。誰かに縋りつきたかったんです。そんな相反する気持ちで、メソメソ泣いていた時、ギルさんは私の足元にハンカチを置いてくれたんです」
「……そうだったのか」
「はい。だから、とっても嬉しかったんです。あの日、私はあなたに救われました。ありがとうございました」
にこりと笑ってシャンティが言い終えた途端、ギルフォードは少し考えるように手に持っているハンカチに視線を落とす。
そして、掠れた声でこう問うた。
「では、私の行動は丁度良いものだったと?」
なんて身も蓋も無い表現なのだろう。
シャンティは、思わず小さく声を上げて笑ってしまった。
でも、これ以上ぴったりな表現は見つからない。
そう。あの時、自分が求めていた気遣いと優しさと無関心さを、ギルフォードは完璧なさじ加減で与えてくれたのだ。
「はい。そうなんです。それと……」
ギルフォードの言葉に同意したシャンティは、少しもじもじしながら、もう一つのハンカチを差し出した。
「良かったら、こちらも受け取ってください」
刺繍のイニシャルが入ったハンカチは、すぐにシャンティの手から消えてくれた。