軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

伝承の怪物

「いらっしゃいませ! トールさん」

冒険者局の窓口で元気よく出迎えてくれたのは、髪の短い新人受付嬢のミカキだった。

いつものエンナ嬢は席を外しているようだ。

銀色に変わった冒険者札に全く物怖じする素振りもなく、ミカキは屈託のない笑みを浮かべている。

しかしそのよく動く視線がカウンターの下まで移ったとたん、丸い眉が大きく持ち上がった。

「どうしたんですか? ムムメメさん」

トールの手をギュッと握ってうつむき加減な子どもへ、驚いたように話しかける。

いつものムーであれば連絡用掲示板の隅に謎の絵を描き殴ったり、意味もなくカウンターを叩きながら話しかけてくるのが常であった。

だが今は押し黙ったまま、トールにピッタリとくっついて離れようとしない。

どうやら魔女を目撃した恐怖や漏らしてしまった恥ずかしさが、まだ後を引いていて、怯えながらも拗ねているというややこしい心境らしい。

理由を尋ねられたムーは、床に視線を落として答える様子もない。

問い掛けを露骨に無視されたミカキだが、態度を変えることなく言葉を続けた。

「つまみ食いし過ぎて怒られたとか? あ、また魔石を使いすぎたんですか」

雰囲気を察しないお喋りに、煙たそうに横を向いてしまうムー。

その姿にしばし考え込んだミカキは、ポンッと手を打って思いつきを口にする。

「わかった! おねしょしちゃったんですね」

ズバリと言い当てられたムーの肩がピクリと震えた。

しかし、そのガラス玉のような綺麗な瞳は、依然として伏せられたままだ。

またも思案顔になった受付嬢は、ムーの後ろに立つ少女ヘ問いたげな視線を向ける。

子どもに寄り添っていたソラは、軽く目を見開きながら頷いてみせた。

そのまま二人は視線だけで、器用に会話を交わしはじめる。

前々からソラに知り合いが多いと感心していたトールだが、いつの間にかミカキとも親密になっていたらしい。

やがて結論が出たのか、受付嬢の目配せに少女がいきなり動いた。

背後から子どもの脇の下に手を差し入れ、強引にカウンターの上まで持ち上げる。

いつもならはしゃいで声を上げるムーだが、今日はぐったりとしてなすがままだ。

そんな子どもに対し、ミカキはピンと立たせた人差し指を掲げてみせる。

どうするのかと周囲の人間が見守る中、受付嬢の人差し指は正確にムーのつむじへ押し当てられた。

そしてグリグリと、小刻みに円を描き始める。

「むぅむ、むむむむぅ! むむむー!」

たちまち子供の両目が見開き、奇妙な声が口から漏れ出した。

何かを我慢するような顔をしていたが、ついに耐えきれなくなったのか笑い声を上げ始める。

一見すると、抱きかかえられた子どもが、冒険者局の窓口で、受付嬢に頭部のつむじを指一本でこね回される異様な風景である。

しかしムーが笑い声を発したとたん、遠巻きにしていた同業者たちの間からも、いっせいに安堵の笑いが生まれた。

ここへ来るたびに自由気ままに遊んでいた子どもだが、どうやら思った以上に人気があったようだ。

「もう、ムー、おちこんでたのに!」

「元気になりましたね、ムムメメさん」

笑いながら怒るムーの頭を、満面の笑みのミカキ嬢が優しく撫でる。

慌てん坊の新人だと思っていたが、意外と子どもの扱いには慣れているようだとトールは評価を改めた。

それから、おもむろに窓口へ来た用件を切り出す。

「そろそろいいか? 沼地のあれについて少し教えてほしいんだが」

「沼地? アレ?」

「うむ、あれだ」

「ふーん、アレですか?」

犬を可愛がるようにムーの巻き毛を掻き回していた受付嬢だが、首を傾げたままトールと顔を合わせる。

そして思考を諦めたのか、背後の上司へを丸投げした。

「課長、シエッカ課長ー! トール様が沼のアレがどうとかおっしゃってますよ」

「ちょ、ミカキ君、声大きいよ! もう少し音量落としても聞こえるからね」

すっ飛んできた紅尾族の男性は、急いで部下をたしなめる。

「そうですか? 普通ですよ」

「あと一応、今は仕事中だからほどほどにね。お騒がせして申し訳ありません、トール様。沼の件ですね。どうぞこちらへ」

シエッカの迅速な対応で、トールたちは二階へとすぐに案内された。

適度な歩調で人気のない廊下を進んだシエッカは、突き当りの分厚い樫の扉で立ち止まる。

軽く二度ほどノックをしてから、応答を待たずに扉を開いた。

トールの眉が少しだけ動いたことに気付いたのか、シエッカは言い訳のように理由を述べた。

「基本的に返事をしない人なので、お気になさらないでください。ここが当局の資料室となります。詳しくは、そこのオレンにお尋ねください。ここの室長ですから」

部屋の中は、背の高い書架が所狭しと並ぶ本の森であった。

奥に鎧窓があるようだが本棚に遮られてしまい、全体的に薄暗い。

独特の雰囲気に気圧されたのか、ムーはもう片方の手も伸ばし両手でトールの手のひらを握り直した。

入り口のすぐ近くに大きな机があり、黒髪で中肉中背の男性が腰掛けて読書をしていた。

入ってきたトールたちへ顔を上げてみせるが、歓迎の言葉はないようだ。

逆に珍しい丸眼鏡の位置を直した男性は、面倒そうに息を吐いてみせた。

「私は外でお待ちしておりますから、終わったらお声をかけてください。オレン室長、くれぐれも失礼のないようにお願いしますよ」

わざとらしく顔をしかめるオレンに注意を促したシエッカは、一礼すると扉を締める。

ホコリ臭い部屋に取り残されたトールたちが戸惑う中、前に進み出たのはユーリルだった。

「はじめまして、オレンさん。少し資料を見せていただいてもよろしいですか?」

「ほう、灰耳族か。道を尋ねちゃダメな人間だな」

男の失礼な物言いに、ユーリルは優雅に笑みを浮かべて答えてみせた。

「すべての道は央国に通じてますといえば、問題はありませんね」

オレンは少しだけ興味深そうに顎を持ち上げると、そのまま鷹揚に頷いてみせた。

「何が知りたいんだ?」

「えっ、今のなんですか?」

「ちょっとした戯れ言ですよ、ソラさん」

トールもうろ覚えだが、確か六種族の特徴を茶化した冗談の一種だったはずだ。

それぞれに道を尋ねた場合、せっかちな紅尾族は訊く前から教えたり、お喋りな翠羽族だと逆にどこへ行くのかの話題から関係のない話へ発展するといった具合だ。

そして探求の神に仕え、知識を尊ぶ灰耳族の場合は――。

「灰耳族に道を尋ねるな。知らないと言いたがらないので適当にウソを教えてくる」

という話らしい。

それとすべての道は央国に通じるというのは、かつて大いなる叡智を誇った央国なら、どのような真理へでも到達できるという古いことわざのようだ。

「沼地の魔女について教えてくださいますか」

「ほう、あれを見たのか。どうだった?」

「ただの精霊系の巨人とは、異なるように見えました」

「やはりそうか。ふむむむ、あった、これだ」

室長の男が棚から引っ張り出してきたのは、綴紐で括られた古ぼけた紙の束であった。

表紙のホコリを息で吹き飛ばしてから、無造作にページをめくる。

どこに何が書かれているのか、すべて把握しているようだ。

「それは?」

「散逸した央国史の一部だ。ほら、ここに記載がある」

オレンが読み上げた内容によると、魔女に関しては目撃例が多くあるそうだ。

一番古い記述で、およそ二百年以上も前。

小さな沼地に潜む黒い影が、探索中の兵士を泥の中に引きずり込もうとしたらしい。

その話はそれだけで終わっていたが、それから後にも度々、沼の怪物の話は出てきており、見聞される内容もそのたびに変わっていく。

黒い沼地は次第に大きくなり、モンスターも奇妙な光の玉を操ったり、見るだけで射竦められたりするなど。

そして、いつしか瘴地の奥に広大な湿原帯が誕生していた。

その場所は、そこに棲まう不気味なモンスターの存在から、妖かしの沼と呼ばれるようになる。

むろん、そうなる前に何度か軍隊での討伐が試みられたが、すべて多大な死者を出しての敗走に終わったようだ。

結局、その後は沼の岸に砦を造り、監視するしかなかったという話で終わっていた。

「で、その続きがこっちになる。当時の冒険者が残した探索誌だ」

ユーリルの視線に気づいたのか、眼鏡を光らせたオレン室長は先んじて二冊目の本の名前を告げる。

その覚え書きのような資料は、軍隊が撤退した後、冒険者を自称する人間が何度か瘴地へ入り込んだ内容を記したものだそうだ。

何度も奥地を目指した彼らだが、ことごとく沼の先へ進めず断念したらしい。

理由は当然ながら、妖かしの沼の主だ。

泥でできた巨大な人間のような外見に加え、大蛇や大蜘蛛を呼び寄せるなどの妖しげな術を使うモンスターに、先達の冒険者たちは恐れおののいて沼を後にした。

その後、精霊系のモンスターにはない挙動の数々に、黒いの正体については様々な憶測がなされたようだ。

高位の魔技使いの屍体が、瘴気を吸って変化したもの。

精霊系の特別な変異体などなど。

正体がなんにせよ、明らかになった大きな事実は一つ。

「 伝承の怪物(レジェンダリーモンスター) というわけか」