軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

思わぬ事情

呆けていた時間は、十秒にも満たないだろう。

急激に真横へ体が傾く感覚に、トールはなんとか意識を引き戻す。

隣に座っていたガルウドも同様だったようで、慌てた声を張り上げた。

「おっと! おい、大丈夫か?」

「ごめ~ん、霧に巻かれたら落ちちゃうからねぇ~。ちょっとだけガマンしてね」

騎乗師の軽い謝罪とともに、今度は強く下へ押し付けられる負荷が生じた。

どうやら飛竜が急上昇を始めたようだ。

小舟の外を覗く余裕がなくなったトールたちは、互いの手を握りながら身を伏せて床へしがみついた。

上下左右に体が揺さぶられ、飛竜の荒い息遣いと鋭く風を切る音だけが耳に飛び込んでくる。

今度は三十秒ほどだろうか。

不意に体を揺さぶっていた力が消え失せ、風音も穏やかになる。

顔を起こしたトールは、まだ胸に強くしがみついたままのムーを抱きしめつつ、静かに安堵の息を吐いた。

「わわっ、すごいよ!」

ソラの声に振り返ったトールたちは、背後に広がる眺めに息を呑んで見入る。

黒い泥しかなかったはずの地は、すべてが見事に白い霧に覆い尽くされていた。

ほんのわずかな間に、色彩が完全に入れ替わってしまっている。

トールは遠ざかる飛竜艇から、その光景をただただ圧倒されたように見つめていた。

再び砦跡まで戻ってきた飛竜は、固い大地に滑り込むように降り立つ。

地面を踏みしめたトールは、しっかりとした足元の感触にもう一度、深く息を漏らした。

十分足らずの空の旅だが、あまりにも衝撃的な内容だった。

特に子どもには刺激が強すぎたのか、トールに抱っこされたムーはまだ泣きべそをかいたままだ。

「ムムさん、こちらへどうぞ」

何かを察したのか手を差し出すユーリルへ、顔を上げたムーは鼻をすすりながら飛びついた。

そこでようやくトールは、革鎧が温かく湿っている理由に気づく。

どうやら、子どもはお漏らししていたようだ。

駆けつけてきたソラも伴って、ムーは着替えるために馬車へと連れていかれた。

濡れたトールの鎧は<復元>しておいたが、モンスターと関わりのない下着はどうしようもない。

<遡行>なら結果を消せるが、すでに可能な時間は過ぎ去ってしまっていた。

ムーの様子に気づけなかったトールは、黙って顎の下を掻くしかなかった。

そこへガルウドが、肩に優しく手を置いてくる。

「男親ってのは多少、鈍感なほうがいいんだよ。そう気にするな」

「俺の娘じゃないんだがな」

気を紛らわしてくれた旧友に、トールは苦笑いを浮かべる。

唇の端を器用に持ち上げてみせたガルウドだが、急に声を潜めて確認してきた。

「なあ、あれは、……その、やっぱり、あれか?」

「……ああ、あれだろうな」

額の角を手で覆ったガルウドの言葉に、トールも言葉を濁して返事する。

これまで何気なく発していた単語だが、実在するとなれば重みが全く変わってくる。

だが頭上からスルリと飛び降りてきた女性は、あっさりと口に出してみせた。

「どうだった~? 魔女」

「…………やはり、あれは魔女って呼ばれているのか」

「言われるまでもなく、そっくりだしな。しっかし、本当にいたんだな……」

得意げに頭の羽を揺らしてみせるチタに、トールは率直に疑問をぶつけた。

「沼の奥に瘴霧を生みだす化け物がいるってのは、よく分かったよ。だがそれが、お前の兄の話とどうつながるんだ?」

「え~と、かい摘むと、巨人を倒すと霧が今よりもっとたいへんなことに」

「摘みすぎてさっぱり分からんぞ。魔女と巨人は関係あるのか?」

「うん、全部、魔女の子どもだからね~」

その答えにトールは、密かにわだかまっていた疑問が氷解した感触を感じ取った。

精霊系モンスターとは、自然現象が瘴気を帯びた存在だ。

しかし沼地に入ってから、それらしい現象は濃い霧だけで、泥と関係するようなものは見当たらなかった。

あれほど大量の邪霊や巨人が発生するような環境とは、ほど遠い場所と言える。

「瘴気が濃いから、発生しやすいのかと思っていたが……」

「魔女の頭、見た~?」

「髪の毛みたいなものが生えていたな。……もしかして、あれが?」

魔女の頭部から伸びた細長い泥が地面まで垂れ下がり、沼地と同化していた様子をトールは思い出す。

そしてそれらが、もっと短いが昨日に倒したばかりの妖泥の邪霊と酷似していた点に気づく。

「そだよ~。全部、魔女から産まれてきてるの」

「モンスターを産み出すモンスターか。正真正銘の怪物だな」

「人とおんなじで抜けた髪の毛くらいなら気にしないんだけど、髪の毛が集まって巨人になっちゃうと、愛着が湧くみたいなの~」

具体的には泥毒の巨人が倒されると、悲しむように何度も瘴霧のため息をつくらしい。

もっともそれだと四六時中、沼が霧に覆われてしまいそうだが、そこは風向きや湿度の状態によって、沼のこちら側まで漂ってくるかが決まるのだそうだ。

それと霧を吐き出す間隔だが、巨人の討伐数が増すごとにどんどん短くなってきているのだとか。

戦いたくても、戦えない。

ラッゼルの言葉の真意を、トールはここでようやく悟った。

「だとしたら、チルの提案は?」

「霧は監獄の中までは入ってこないからねぇ~」

「なるほど。さっさと金剛級に上がってしまえば、後はどうなろうと関係ないということか」

後続の妨害ができるという点では、むしろ戦略的に正しいと言えるのかもしれない。

厄介な瘴霧も<風読>があれば広がる範囲が読み取れるため、安全な日を選んでダンジョンに向かうことができるというわけだ。

「とんでもない話だな。冒険者局も、その辺りは把握してんだろ。だったら、昇級の条件を変えてやりゃいいのに」

ガルウドの怒りを含んだ物言いに、トールは首を横に振った。

「Aランクの冒険者を増やすと、何かと金がかかるからな。それにほら――」

「ああ、さっきの件か」

飛竜艇の中で話した 聖遺物(レリック) の話を思い出したのだろう。

眉をひそめながら、髭面の盾士は吐き出すように言葉を続けた。

「結局、冒険者は駒扱いってわけか。くだらねぇ遊び方してやがるな」

その言葉に頷きながら、トールはチタへ問いを投げかける。

「よく事情は分かったが、どうしてそれを俺たちに打ち明けた?」

身内への裏切りに近い行為だが、騎乗師の乙女はさっくり理由を述べた。

「私はこの子に乗って、空を飛んでるだけで満足なんだよぉ~。あと、こないだ強くしてもらったお礼もあるかな~」

「そうか、それは仕方ないな」

兄に勝手に固定ダンジョンの探索の頭数に入れられた妹の、心ばかりの反撃というところらしい。

トールの言葉に、チタはにっこりと笑みを浮かべながら、飛竜の脚をペタペタと叩いてみせた。

「本当はもう一つあるけど、それはまだナイショ。あと魔女の詳しい話は、局の窓口で沼地のアレを見たっていえば教えてくれるよ~」