作品タイトル不明
残酷な選択
迷宮主が倒れたことで、黒い泉はまたたく間に地中へと姿をくらませた。
残された穴を覗き込むと、石の蓋が底を覆っているのが見える。
不思議なことに蓋は水平ではなく、斜めに傾いていた。
手前が低く、奥の方が高くなっている。
かなり急な角度がついており、まるで側面の壁を無理やり覆い隠しているようだ。
もっとよく観察しようとトールが身体を乗り出した瞬間、焦った声がその背中に飛んできた。
「おっちゃん、ダメですよ!」
振り向くと目を大きく見開いたクガセが、厳しい顔つきで睨んでいた。
トールが穴から離れると、ホッとしたように肩の力を抜く。
「そこは、その、近づかないほうが良いですよ。えっと、まだ……」
強く言い過ぎたと感じたのか、少女の語尾が小さくなっていく。
そこへかぶせるようにラムメルラの声が響いた。
「先延ばしにしても仕方ないでしょ。なんのためにここまで来たのよ」
「で、でも!」
責めるようなその言い方で、少女たちの間に緊張が走る。
しばし無言で睨み合った二人だが、先に折れたのはクガセのほうだった。
力なくうなだれると、瞳を伏せてしまう。
しかし思うところがあったのか、茶角族の少女は両の拳を固く握りながら反論する。
「それでも、……やっぱりもったいないですよ」
少しだけ目を上げたクガセは、わざとトールから視線をずらして言葉を続ける。
「最初は、きっともう引退するから連れてきたんだろうなって思ってたですよ……」
事実、クガセから見ればトールは父親に近い年齢である。
現役を続けるのは厳しいと思われても仕方がない話だ。
だがここまでともに行動して、そんな印象は少女の中からすっかり消え失せていた。
普通であればこんな超難関のダンジョンに挑む場合、どんな人間でも少しくらいは緊張するものだ。
加えて初挑戦となれば、怖気づくのも当然だ。
しかしトールは、どこまでも落ち着き払った態度であった。
そのうえ、選りすぐられた実力のAランクを前にして、欠片も萎縮したり遠慮するような態度さえない。
むしろ、楽しむ素振りさえ窺えたのだ。
疑問に思ってこっそり尋ねたクガセに対し、背嚢をかつぐ荷物持ちの男は平然と答えてみせた。
「ずいぶんと余裕があるですね。おっちゃんは怖くないんですか? 普通ならもっと怯えるもんですよ」
「ああ、目新しいことばかりだからな。それで驚きすぎて、怖がるほどの実感がないんだろ」
そう言い張りながら、あの大部屋を壊滅させる作戦をあっさりと立てたのだ。
経験の浅いクガセでも、トールの言葉は冗談だと理解できる。
そしてこれほどの胆力を持つ人間が、そう簡単に冒険者を辞めるはずがないとも。
それだけに少女は、すごく惜しいと感じたのだ。
顔を上げたクガセは、今度は目をそらさずに話し始めた。
「でも、おっちゃんにそんな気はまったくないって分かったですよ。だから……、その、もったいないなって。ねぇ、今回はここで引き返さないですか? うん、定期的に見に来ればきっと大丈夫ですよ。蟻玉もおいしい値段で売れるですし」
「それをいつまで続けるの?」
ラムメルラの鋭い切り返しに、少女は言葉を詰まらせる。
確かにそのやり方は、被害が広がるのを食い止められるかもしれない。
だが大元を絶たない限り、ずっと継続して瘴穴を塞ぐ必要が出てきてしまう。
それは、あまり余裕がないダダンの境界街には厳しい条件であった。
納得しきれないように顎を持ち上げるクガセに対し、蒼鱗族の少女は無言で左手の白い長手袋を外した。
そこにあったのは雪のごとく白い肌の上に、禍々しく刻みつけられた酷い火傷であった。
焼け跡は腕全体を覆っているようだ。
それが何を意味するかを、ラムメルラは一言も口にしない。
代わりに少女の唇から溢れ出たのは、強い意志の言葉だった。
「私はこの街を元に戻すために何だってするわ。その義務が私にはあるの」
「そのためにまた犠牲にするんですか? ……リコリの時みたいに!」
「はい、そこまでよ。もう盛り上がりすぎよ、二人とも」
火花を散らし合っていた二人の間に割り込んだのは、副隊長を務める女性であった。
少女たちの頭を抱えると、問答無用とばかりに己の豊かな胸に押し付けて黙らせる。
「落ち着きなさい。当事者抜きで言い合っても仕方ないでしょ」
「で、でも!」
「ちょっと、邪魔しないで!」
ジタバタと暴れていた少女たちだが、息苦しくなったのかすぐに大人しくなる。
ちょうどいい具合に熱が冷めた頃を見計らって、トールは口を開いた。
「心配をかけたみたいですまんな。ありがとう」
「べ、別にしてないですよ。ただその魔力を回復できる魔技がもったいないなって思っただけですよ!」
「そうか。まぁ、俺もちゃんと覚悟はしてきている。だから、お前たちもそんな顔はするな」
今にも感情が溢れ出しそうになっていたラムメルラは、その一言で慌てたように口元を隠す。
辛そうな表情を浮かべる少女たちに小さく手を振ったトールは、ニネッサに向けて軽く頷いた。
すがるような瞳を一瞬だけ向けてきた赤毛の美女だが、すぐにいつもの底知れない笑みを取り戻す。
最後にストラッチアへ視線を向けると、赤毛の剣士は真っ直ぐに見つめ返してきた。
上枝武技を使った反動で一時間ほどは集中力が定まらないはずだが、そうとは思えないほどその眼差しには強さがこもっていた。
ここまで行動をともにした仲間に挨拶を済ませたトールは、穴に近づくとその石の蓋へ手を伸ばした。
"白金の焔"は現在、八人が所属しており、探索に欠員が出るということはまずあり得ない。
ちなみにストラッチアを除く他のメンバーは全て女性だが、これはニネッサの趣味である。
よく王子の側室パーティだとか揶揄されるが、実際は副隊長のハーレムだったりする。
話を戻すと、これほどの困難なダンジョンにわざわざ部外者の参加を要請する必要など皆無と言える。
つまりトールが呼ばれたのは、攻略のための戦力ではなくそれ以外の要員。
呪いを一身に受けるための人身御供の役割である。
階層を下るたびに侵入呪詛を仕掛けてくるダンジョンは、当然ながらその途中にも悪辣な罠を用意していた。
穴を塞ぐ石蓋に触れたトールは、ゆっくりと体重をかけて押し込む。
重々しい音を立てながら、石蓋は水平に戻っていく。
障害物が取り除かれた穴の側面から姿を現したのは、黒々とした横穴であった。
六層へと続く通路だ。
五層は誰か一人がこうやって石の蓋を押さなければ、下の階層へ行けない仕組みとなっていた。
そして迷宮主を倒して蓋に触れた勝者には、その証として何らかの特性が授けられる。
このダンジョンの場合、その特典は非常にシンプルだった。
侵入呪詛を一時的なものから、永続に変える。
これだけである。
しかも触れた際に、その呪詛が新たに一つ追加されるおまけ付きだ。
ゆえにこの新たな蟻の巣は、密かに冒険者殺しの迷宮と名付けられていた。
六層への道がしっかり確保できたのを見たトールは、自分の技能樹の根っこを確認する。
<魔力不良>、<抵抗弱体>、<回数制限>に<体力低下>、<成長阻害>がずらりと並ぶ中、新たな黒っぽい膨らみが増えていた。
よく見ると、その膨らみから伸びた茨のようなツルが<復元>の枝に絡みついているようだ。
「ど、どうですか?」
「どうなの?」
心配げな二人の少女に問いかけに対し、トールは小さく肩をすくめてみせた。
脳裏に浮かんできた文字は、次のように記されていた。
<技能禁制>――保有者の技能の発動を禁止する。
発動:自動/効果:小/範囲:自身。
「どうやら、最悪のを引いちまったようだ」
トールたち一行が、かつてないほど重苦しい雰囲気に包まれる中、ダダンの境界街では――。
「トーちゃん、まだかえってこないか?」
「今日は泊まりだっていってたよー」
「えー! じゃあ、ムーはいったいだれとねれば……」
「そりゃ、私とかな」
「よろしければ、私のベッドも空いてますよ」
「もてもてかー。むぅ、なやむなー」
「じゃあ、みんなでいっしょに寝ませんか? ユーリルさん」
「あら、狭くないかしら?」
「ベッドをくっつければいいんですよ。ほら、ムーちゃんも手伝って」
「まかせろー」
一見、素晴らしいアイデアに思えたこのベッドの合体であったが、翌日、発見されたのは隙間にすっぽりと挟まったまま、おねしょしてしまった子どもの姿であった。