軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

交差する赤と青

部屋の奥行きは、だいだい五十歩ほどであろうか。

天井の高さもこれまでの倍以上はあり、大きな建物がまるごと一つ入りそうなくらい広い。

だが、そのだだっ広い部屋の中に障害物などは一切存在しない。

ゆったりと羽が伸ばせそうなくらい、地面は平らで見通しもいい。

現に蟻の翅も大きく伸びていた。

奥の天井に張り付いていたのは、思わず目が離せなくなるほど美しい翅を広げた蟻であった。

優雅に折りたたんだかと思えば、不意に透き通るような青さを誇示するようにその翅は開かれる。

とたんに不愉快な耳鳴りじみた音が部屋中に鳴り響いた。

先ほどから聞こえていた音の正体は、この蟻の翅が空気を震わすせいであったようだ。

深い海のような色合いの体を持つ、この蟻の名称は蒼玉蟻。

体長は優に琥珀蟻の五倍以上で、鎧猪に匹敵するほど大きい。

しかし何よりも真っ先に目を引くのは、その背中に生えた長い四枚の翅だ。

地を這う宝玉蟻の中で、蒼玉蟻だけは唯一、宙を自在に飛び回ることができるのだ。

そして否応なしに視線を奪うのは、羽を持つ青い蟻だけではなかった。

奥に見える真っ黒な泉の手前に、その巨大な赤い塊はどっかりと鎮座していた。

まばゆい真紅にきらめく巨躯の持ち主であるこの蟻は、紅玉蟻と呼ばれている。

蒼玉蟻よりもさらに一回り大きいその体は、赤く透き通る鉱石で形作られていた。

額の中央からは三本目の触角が雄々しく突き出し、まるで角のような偉容を誇っている。

この二体こそが五層の主であり、禍々しい瘴穴の番卒どもであった。

「さて、ちょいと確認なんだが、あの面倒くささが目に浮かんできそうなアレを、じっとさせるのは無理なんだな?」

「ええ、事前に説明した通り、ほぼ不可能かと思われますね」

断続的に嫌な音を立てている青い蟻を興味深げに眺めるトールへ、ニネッサが軽く微笑んで同意する。

高所を飛び回る蒼玉蟻には、まず通常の武器は届かない。

さらに恐ろしい機動力を有するため、接近時を狙うのも厳しい上に攻撃系魔技さえもやすやすと回避してしまうらしい。

ならば対象に直接、働きかける阻害系魔技ではどうかというと、これも厳しい。

実は蒼玉蟻の体は状態の変化に強く、<磁戒>などで地面に引きずり降ろそうとしても無効化してしまうのだ。

最高に近い硬度を誇る青い翅は、掠めただけで鎧ごと肉まで簡単に切り裂いてしまう。

そのうえ、同じく硬く尖った腹端の針には、神経を麻痺させる猛毒付きである。

硬く素早いうえに、足止めも効かないという最悪の相手だ。

「なるほどな。で、もう一匹は近づくこともできないと」

「見た目は鈍そうですが、舐めてかかると痛い目にあうですよ。見ててくださいです」

二人の会話に割り込んできたクガセは、足元の石を拾うと不意に広場の中へ投げ込んだ。

少女の放った石は放物線を描きながら、宙を飛んでいき――。

数歩の距離を進んだかと思ったその時、いきなり音も立てずに消え去った。

「ま、こんな感じになるですよ」

「……光ったと思ったら、もう遅いのか」

石が蒸発した瞬間、赤い蟻の額の角が一瞬だけ強く輝いたのをトールは見逃していなかった。

今のが紅玉蟻が有する強力な攻撃手段、赤光の飛弾である。

あの身じろぎを全くしないモンスターは、額の角から高熱を伴う赤い光線を撃ち出すことができるのだ。

その射程はこの広い部屋の中ならば、どこでも届くほどに長い。

つまりやけに広いうえに障害物が一切ないこの空間は、あの二匹にとって理想の戦場というわけである。

「ふむ、面白い相手だな。じゃあお手並拝見といくか」

「今日はここで終わりですから、気兼ねなくやっちゃっていいですよ、隊長。はい、<地解>の三重がけですよ」

「ああ、すでに我の心は存分にたぎってきてるぞ……」

抑えきれない口ぶりのストラッチアからは、いつもの貴公子然とした風格はいつの間にか鳴りを潜めていた。

引き千切るように外した眼帯の下から現れた左の眼球は、血管が浮き上がり真っ赤に染まっている。

獣じみた笑みを浮かべた男は、兜に手をかけると無言で赤龍のおとがいを下ろした。

音もなく抜き放った二本の刃は、最初の黒さが嘘のような白い輝きを放つ。

剣を携えたストラッチアは、静かに部屋の奥へと歩き出した。

この層にたどり着くまで、赤毛の剣士は一度も武技を見せていない。

使うほどの相手ではなかったという点もある。

が、厳密には、見せられなかったのだ。

あらゆる物を吸い込んでくれる優秀な腐屍龍の装具だが、実は呪われた品でもある。

残念なことにその性質上、着用した者の闘気までも吸い取ってしまうのだ。

それはつまり武技を操る前衛にとって、あまりにも不利な条件であった。

むろん剣や鎧が吸える量には限界があるため、それ以上の闘気を発すれば武技を放つことは可能だ。

しかし通常の人間には、それほどの闘気を有する器がない。

溜め込める量は、予め決まっているのだ。

だがストラッチアには、その限界が存在しなかった。

生まれついての闘士だけが持つといわれる類まれな才能、<上限突破>の根源特性により、彼は無尽蔵に闘気をその身に宿すことができた。

発動させた<闘気充填>によって、闘う力が次々とストラッチアの体に満ちる。

限界を間近にむかえた呪われた鎧は、すでに漆黒を失い白輝の色に染められつつある。

そして極限に達した時、剣士の体は白金の輝きを帯びた。

ゆらりとストラッチアの周囲の空気が揺らぎ、白い火の粉が一定の間合いへと漂い始める。

「さあ、我が双剣の前に貴様の罪を示せ! ――< 炎転示罪(えんてんじざい) >」

この瞬間から、ストラッチアの剣が届く距離は絶対の防御圏と化した。

自らの縄張りに踏み込んできた傍若無人な侵略者に対し、紅玉蟻がその額の角を連続で光らせる。

十字に重ねられた剣の構えから、白い刃は続けざまに宙を舞う。

赤光を斬り落としたストラッチアへ、上空から青い翅が間を置かずに襲いかかる。

硬い音が鳴り響き、翅の先をスッパリと斬り落とされた蒼玉蟻は慌てたように距離をとった。

この炎武樹の上枝スキルである<炎転示罪>は、間合いに入った全てを剣で斬り返す珍しい守りの技である。

そのため相手を倒すには、自ら近づく必要があった。

構えを崩さず前に歩き出したストラッチアへ、二匹の蟻は果敢にも攻撃を仕掛ける。

だが全ては二枚の刃が、ことごとく防ぎ跳ねのけていく。

白い焔に包まれた完全なる防御空間。

これこそが"白金の焔"の由来であり、ストラッチアが最強の剣にして盾と呼ばれる所以でもあった。

ついにすぐそこまで近づいてきた男に、追い詰められた蟻どもは狂乱相へと姿を変えた。

紅玉蟻の背からいっせいに赤い棘が生み出され、同時に蒼玉蟻の翅が八枚へと増える。

一時に放たれた真紅の光が、蒼翠の翅に当たり一面へと撒き散らされた。

だが、男は揺るがない。

腕の延長のように操られた二枚の白刃が、あり得ない動きでその全てを斬り裂いていく。

「って、こっちはのんきにしてられないですよ、――<地精喚>」

「まったくね、――<陽炎陣>」

クガセの呼びかけに、地面が盛り上がり三体の中型の土人形が姿を現した。

ずらりと並んで赤い熱光線からの盾を務める。

そしてニネッサの詠唱とともに、トールたちの体がぶれたように目に映り始める。

<幻灯>の上位魔技である<陽炎陣>は、空気を屈折させ対象を捉えにくくする働きを持つのだ。

土人形と陽炎の守りにより、乱射された光はトールたちへは届かずに消え去った。

やがて前進を続けた剣士は、その間合いへと蟻たちを招き寄せる。

まず動けない赤い体が甲高い音を放ちながら、またたく間に斬り裂かれていく。

頭部をズタズタにされた紅玉蟻は、あっさりと地面に伏して動かなくなった。

仲間の無残な様子に、蒼玉蟻が真上から特攻をかける。

しかし死角から襲いかかったはずの青い翅は、無残に斬り飛ばされその身は地面へと向かう。

最後に腹端の針を発射してみせたが、その奥の手さえも一振りのもと宙へ散らばった。

完全に動くものがなくなってから、ようやくストラッチアは構えを解く。

同時にその身を覆っていた鎧も、たちまち黒さを取り戻す。

面頬を持ち上げた赤毛の剣士は、自らが倒したモンスターどもを見下ろしながら物足りなさそうにため息を吐いてみせた。