作品タイトル不明
8-2.(ローレンツ)家族の小さな幸せ
「っ、兄上?!」
「待っていたぞ、ローレンツ」
手首を掴んで室内に招かれる。ここは母上の部屋では? 見回せば、おばあ様と母上は刺繍の真っ最中だった。すぐ近くの机で、ルイーゼが絵を描いている。相変わらず、微妙な絵だが……最近は色使いが綺麗になった。重ね塗りが減ったからかな。
「母上がお呼びと……」
「ええ、そうよ」
刺繍の手を止めて、母上が微笑む。おばあ様も針と刺繍枠を置いて、お茶の支度に立った。兄上に引っ張られるまま、向かいの椅子に腰かける。応接用のソファーではなく、円卓の木製椅子だ。そういえば、王族の私室に円卓が置かれるようになったのも、ケンプフェルト公爵夫人の影響か。
「今度のお茶会で、あなた達にお揃いのハンカチを胸に差してほしいの。だから色を選んで頂戴」
おばあ様の淹れたお茶は、色が薄い。いつもは冷やして飲むが、麦茶だろう。体にいいから子供でも平気だし、水代わりに騎士団でも飲んでいた。妊婦にも最適だと……ああ、これもケンプフェルト公爵夫人が口にした言葉だった。
あの方の影響は、本当に大きい。夫である公爵の手腕で国の政が動き、母上の外交能力で他国と渡り合う。そういう目立った功績ではないが、公爵夫人の人柄に似た温かく柔らかな影響ばかりだ。お茶、子供との接し方、貴族夫人の在り方、巻きスカートやお揃い衣装の流行を作り、ガラスのカフスボタンを流通させた。
「俺は鮮やかな色がいいですね。兄上は何色にしましたか?」
「迷って、これにした」
綺麗な緑色だ。なら俺は……少し考えて赤に手を伸ばす。真っ赤でも深紅でもなく、オレンジに近い色だった。夕日みたいで綺麗だと感じる。青や紫は、ケンプフェルト公爵家が良く使う色だから避けたのもある。
「ルイーゼは何色を選んだの?」
口調を変えて尋ねれば、にっこりと笑ってピンクの糸束を掲げた。気に入りすぎて、予備の糸を離さないらしい。ふふっと笑う母上は幸せそうだ。以前は俯いて暗い表情が多かったのに、今では笑顔しか思い出せない。
「綺麗な色だ、ルイーゼに似合うよ」
自然とこんな言葉が口をつくようになったのも、家族が集まって幸せに笑い合うのも、母上が家族の中心になってからだった。父上には申し訳ないが、いないほうが平和な気がするのも本心だ。
「レオンのお菓子を作るの」
ご機嫌なルイーゼの言葉を、おばあ様が補足した。どうやら一緒にお菓子を作って、今度のお茶会に出すらしい。騎士団の鍛錬もあるけれど……ちょっと興味があった。
「なあ、俺も一緒に作っていいか?」
「あら、ローレンツも興味があるの? ぜひ一緒に作ったらいいわ」
お母様が同意したら、おばあ様も笑顔で頷く。お菓子作りは明日、ルイーゼはお昼寝があるから午前中に試作する。そのあと本番用は前日に焼くと聞いた。
「ローレンツばかり羨ましいな。仕事を片付けて、私も合流したい」
「間に合うならいいわよ」
こんな会話、以前の家族なら想像できなかったな。自然と俺の頬も緩んでいた。