作品タイトル不明
6-4.(ユリアン)頑張った甲斐があった
広間のピアノの周囲には、使用人も含めて大勢が待機していた。カッコつけて着替えて正解だったな。胸元にフリルが揺れるシャツは、対照的に袖がすっきりしている。師匠のアドバイスで仕立てたシャツだった。ピアノの鍵盤に袖が触れるのはダメだからな。
「リクエストしていいの?」
ユリアーナは、ダンスでよく演奏されるワルツがいい。リア姉はゆったりした曲なら何でも。公爵様のリクエストが一番きついかな。ピアノ演奏家のための練習曲だ。練習でも手が 攣(つ) りそうになる難しい曲だが、ひるんだのは一瞬だけ。
笑顔で「頑張ります」と返した。師匠の言葉を思い出す。自信がない時ほど、余裕があるように振る舞え。実力は後からついてくる、だっけ? ちょっと違う気もするけど、この状況にぴったりだった。
ピアノの鍵盤は綺麗に磨かれ、顔が反射するほどだ。指を載せると、一つ深呼吸した。まずはワルツから弾く。指慣らしも兼ねて、丁寧に音をなぞった。リズムを崩さぬよう注意し、走りそうになる音を抑える。弾き始めてみたら、雑念は消えた。
誰かが聴いているからではなく、俺がいま弾きたいから触れている。そんな気持ちになった。ワルツの最後の音を叩き、余韻を残してペダルを踏む。不思議な満足感が胸に広がった。
「すごいわ! 前と大違い!」
微妙な誉め言葉に、苦笑いが浮かぶ。突然、現実に引き戻された気分だ。ユリアーナは手を叩いて喜び、レオンも真似して拍手した。周囲からも聞こえる拍手に、じわりと頬が熱くなる。
次は川の流れを表現した穏やかな曲を一つ、大地を潤しながら海へ向かう水の雄大さをピアノの音に載せた。なかなか上手にできたんじゃないかな。リア姉のリクエストも消化したところで、追加のリクエストが入った。
「先に公爵様のリクエストを弾くよ」
ピアノ演奏家の実力を引き出すためのエチュードは、緩急織り交ぜて指を酷使する。ゆったり弾き始め、徐々に厳しくなった。指を目いっぱい動かし、鍵盤の上をすべるように動かす。わかっていても指が追い付かなかった。
ミスをしたのが自分でもわかり、しかめそうになった顔に笑みを貼り付ける。間違ったら笑顔で誤魔化せ、これも師匠の言葉だ。あの人、演奏会で結構失敗するけれど誤魔化しきるし。精神面が強いんだよな。考えている間に曲が終わった。
ぎりぎり、攣らずに済んだかも。ほっとして鍵盤から手を浮かせた。大きく息を吐き出す。しんとした場が、拍手に包まれた。
「立派になったわ」
「このくらい弾ければ、順調だな」
公爵様は演奏はいまいちだけれど、耳が肥えている。その人に褒められた事実は、リア姉の感嘆の声とともに胸に響いた。最後のリクエストは、協奏曲だ。聴いていた使用人達が楽器に向かった。ヴィオラを取り出す公爵様、フルートを手に取るユリアーナ。三日月のハープを足元から取り出すリア姉。
レオンはシンバルを取りに壁際へ走った。ローズの手にあるのは、カスタネットか? それぞれに楽器を準備して、音合わせをした。さあ、演奏会だ!
結局、帰る日まで毎日ピアノを弾き続け、休暇っぽくはなかった。でも改めて、俺は演奏が好きなんだなと思い知った一週間だった気がする。反省点があるとしたら、ローズに俺を覚えてもらえなかったこと。懐いてもらえるよう、もう少しまめに顔出ししようと決めた。