作品タイトル不明
558.涙の似合わない出発
アウラー様は、ユリアンを預かるからと丁寧に挨拶をした。ザイフリードという家名のことは、事前にヘンリック様に聞いていたので、口に出さない。
演奏家になりたくて、ご両親に反対されたそうよ。貴族としての権利や義務もすべて放棄し、音楽のために生活の全てを捧げた。教会での演奏で数人の支援者がつき、こうして表舞台に立っている。
有名になったら擦り寄ってきたご両親とは、距離を置いているらしい。行方を聞かれても答えないよう、ヘンリック様にも頼まれた。ユリアンの件で、私達はアウラー様の行き先を知っているから。もちろん答える気はないわ。ご本人が避けているんだもの。
「リア姉様、俺……いや、僕は立派な演奏家になるから。たまに帰ってきてもいい?」
「当然でしょう。お父様やエルヴィンにも、顔を見せてあげてね。ユリアン、あなたは私の大切な弟よ。何か困ったら、すぐ連絡してね」
抱き寄せて強く力を込める。抱き返す腕の強さに、成長を見た気がした。こんなに大きくなったのね。以前は腕が背中まで届かなくて……。
これ以上抱き合っていたら、涙が溢れてしまう。口角を持ち上げ、笑顔を作った。泣き顔で別れるのは嫌よ。腕の力を緩めると、ユリアンもそっと離れた。でも手は私の腕を掴んだまま。
「行ってらっしゃい、ユリアン。体に気をつけるのよ」
「はい、リア姉様。行ってきます」
他の挨拶は使いたくなかった。帰ってくるための「行ってらっしゃい」なの。気付いたのか、ユリアンは潤んだ目を瞬いた。深呼吸して、互いに離れる。
「元気でね、ユリアン……ハンカチ、使って」
「っ、後で使う」
きゅっと唇を引き結んだユリアンは「泣いてない」の反論を呑み込んだ。家紋が刺繍された美しいハンカチは、きっと使われずに保管されるでしょうね。夜の間に、ひそひそと話をしていたのを知っている。
レオンも「ゆん」と呼んで、自分のお気に入りのどんぐりを渡した。あれは宝物にすると言っていたのに。気を利かせたマーサが袋を用意していたようで、その中に入れて手渡した。
ヘンリック様はぽんとユリアンの頭に手を乗せ、やや乱暴に撫でる。されるままのユリアンに「一流になって驚かせてくれ」と微笑みかけた。目をぐっと見開いたけれど遅くて、私の頬を涙が伝う。こっそりと指背で拭った。
「ちゃんと顔を見せに帰ってくる。きちんと生活もする。だから心配しないでくれ。行ってきます!」
ユリアンは乱暴に馬車に飛び込んだ。師匠となるアウラー様が肩を竦め「男の子だなぁ」と呟く。涙を見せたくないし、涙で見送られたくない。あの子らしいわ。
「あっ! 間に合ったか?!」
門をくぐってこちらに向かう馬車から、お父様とエルヴィンが飛び出す。どこか別の場所で顔合わせをするのかと思ったわ。すでに乗車済みのユリアンを追って、半分乗り込んであれこれ手渡した。泣きながらあれこれ話しかけ、最後に追い出される。
「ちょっと修行に行くだけだろ! もう!! 過保護過ぎるんだよっ」
ふふっ、この方がユリアンらしいわ。