作品タイトル不明
368.出来る範囲で備えたわ
お父様達の避難は終了した。数日分の着替え、日用小物が侍従の手によって運ばれる。よく考えてみたら、離れに料理人がいないのよ。もちろんユリアーナは料理ができるけれど、そもそも食材もなかった。
ここしばらく、ヘンリック様のご厚意で、本邸の食事中心だったもの。お父様のお酒やツマミ、弟妹のお茶や菓子類がある程度。ユリアンがこっそり持ち帰ったパンが幾つか。その状態で台風が来て、数日の雷雨に晒されたら……飢えてしまう。
離れで食べていた頃も、料理は本邸から運ばれた。もし離れに篭ったら、食料不足で大事件よ。今から本邸の食材を運び込むのも難しい。調味料や道具も必要になるのだから。
「すっかり忘れていた」
「お父様はお料理なさらないから」
溜め息混じりの会話に、申し訳ないとお父様が肩を落とした。使っていない二階は、完全に封鎖している。屋根裏に部屋のある使用人は、地下に退避してもらった。過去にある貴族家の別邸で、屋根が吹き飛んだことがあるそうよ。造りは立派だけれど、備えはするべきだ。
台風は天災だけれど、地震と違う。過去の記録から災害の大半は予測可能だし、事前に対策も可能だった。厩への落雷事故を想定し、馬は敷地内に放した。後で捕まえる苦労があっても、死なせてしまうよりマシよ。手入れのされた林もあるし、敷地自体は塀に囲まれている。本能的に安全な場所に逃げ込むでしょう。
ほとんどの窓を板で塞ぐため、納屋が一つ解体された。お陰で本邸の防御力が上がったわ。外で働く使用人の避難も済み、食料品や装備の確認も終えた。
「では行ってまいります」
「危険だと判断したら、どこでもいいから逃げ込むこと。絶対に無理をしてはダメよ」
「承知しております」
ベルントは馬車ではなく、馬に跨って駆ける。私やレオンの手紙を携え、主君の応援に向かうのだ。自ら決断した彼に、生きて帰る約束をさせた。まだ大丈夫だと思うけれど……間に合うように祈りながら空を見上げる。
灰色の重い雲が垂れ込めた空は、まだ泣き出さない。
「おとちゃま……へぇき!」
大丈夫と言い切るレオンを引き寄せ、やや強めに抱きしめた。促されて屋敷内に戻る。玄関の扉が厳重に施錠され、内側から木の板が当てられた。押さえる形で重い家具が並べられる。
封鎖した屋敷の重苦しい空気を払うように、私は努めて明るい声を出した。
「今夜の夕食は何かしら」
「先ほど、料理長が鶏を捌く準備をしていました」
侍女の一人が答え、リリーがぽんと手を叩く。
「料理長の鶏料理はどれも美味しいから、期待できますね。奥様、若様」
盛り上げる彼女らに応えるように、レオンは元気よく手を挙げた。「あい!」と返事をして私の手を握る。
「こりゃ、先日まで暮らしていた家じゃ吹き飛んだぞ?」
茶化す口調でお父様が笑いを誘い、ユリアンが同意する。ユリアーナは「屋根が飛ぶくらいでしょ」と言い出し、呆れ顔のエルヴィンが締め括った。
「物語の豚の家より、頑丈だったと思うよ」
そういえば、三匹の子豚によく似た絵本を読み聞かせた覚えがある。覚えていたの? 懐かしいわ。