作品タイトル不明
334.やけに暑い日ね
王宮に来た名目は、ヘンリック様への差し入れ。もちろん、部下の方々へも差し入れを持ってきた。これは表面上の理由で、療養中の私が王宮へ顔を出すための言い訳みたいなものね。
お茶会を含めた社交をすべて中止する。ヘンリック様が通知したことで、私は屋敷でのんびり過ごす予定だった。さすがに王太后陛下の招待は無視できなかったけれど、他家への気遣いも必要よ。あまり王家と近すぎると、あれこれ余計な心配されちゃうもの。
レオンの婚約者にルイーゼ姫を、なんて勝手に決められても困るし。ケンプフェルトの料理長に頼んだ、人参のケーキが入った箱を手に取った。
「その……口下手ですまない。今日の君もとても綺麗だ。さきほど見た薔薇の庭より……ああ、その……美しい」
照れながらヘンリック様は褒めてくれる。気の利いた口説き文句を知らないのは、逆に好印象よ。悪い遊びをしていない証拠になるもの。お礼を言いながら、暑くなった気がして頬を手で包む。
昼食を食べ終え、休憩のお茶を楽しんだ。侍女はマーサに同行してもらったけれど、彼女ではなく王宮の侍女がお茶を用意したの。これはヘンリック様の役職や肩書きでは、当たり前らしいわ。
香り高いお茶を飲み干したところで、レオンに白い箱を見せた。
「これをルイーゼ様にお渡しするのよ。一緒に行きましょうね」
「あい!」
元気に返事をして、レオンは立ち上がった。てくてくとヘンリック様へ近づき、見守る彼の手を握る。
「おとちゃまも! いっちょ」
「いいえ、私とレオンだけよ」
不思議そうというより、不満顔ね。唇が尖ってるわ。あれを見ると指でぷにっと押したくなっちゃう。
「俺は……お父様は仕事だ。ケーキを運ぶのは、レオンの大切なお仕事だぞ。任せても大丈夫か?」
仕事、任せる。その単語にレオンの表情が変わった。目を見開いた後、嬉しそうに笑う。頼られるのは、気分がいいもの。レオンは頬を紅潮させながら、大きく頷いた。
「ぼく、できゆ」
「お母様も守るのも仕事だぞ」
「あい!!」
今気づいたのだけれど、ヘンリック様……ご自分のことを「俺」から「お父様」とレオン目線に言い換えたわ。私のことも「お母様」と。驚いたのと嬉しいのが混じり、心の奥からぶわっと何かが湧き上がる。
レオンを挟んで、私達は夫婦なのよね。淡い自覚が急速に色を得て、濃色に染まっていく感じだった。
子供には、呼び方を統一した方がいい。結婚してすぐは名前呼びだったのに、子供ができると「パパ」「ママ」になる。子供に聞こえる響きを揃えるなんて、私の方が詳しいはずなのに。ヘンリック様との間に距離を作っていたのかしら。
恥ずかしいような、妙な感情に私は混乱した。
「マルレーネ様がお待ちでしょう。ヘンリック様、先に出ますね」
「ああ、仕事の開始までもう少し時間があるから、送っていく」
レオンはにこにこして箱を抱え、右手を私と繋いだ。左手を……そこで箱があって手が繋げない事実に直面する。どうするのかしら? 見守っていると、レオンは箱を私に差し出した。
「おかぁしゃま、もてて」
「ええ」
箱を渡し、身軽になったレオンはヘンリック様の指先を握った。繋ぎ直して、ゆらゆら揺らしながら廊下を歩く。王宮の廊下は広いけれど、三人が広がって歩けば、邪魔だと思うわ。でも文官の方は快く道を空けてくれた。
絨毯の色が変わる手前で、ヘンリック様が立ち止まる。
「ここから先は、お母様を守ってくれ。レオン」
「うん」
真剣な顔で約束した二人の隣で、私はどんな顔をすればいいのか。困ってしまった。