作品タイトル不明
311.鍛錬がしたいのなら
仕事へ向かうヘンリック様を見送る際「くれぐれも大人しくしているように」と言われてしまった。もしかして、私がこっそりと猫を迎えに行くと思ったのかしら。
以前に使用した車椅子を再び用意し、見送りに来た妻に失礼よ。ぷんと怒ったフリをしたら、予想以上の効果があった。
「すまない、疑っているのではない……だが心配なんだ。そうだ、今日は休んで」
「旦那様、部下の方々に泣かれますよ」
ベルントに途中で遮られ、しょんぼりと肩を落として出発した。仕事へ行くだけなのに、大騒ぎだわ。レオンと一緒に手を振った。
「お部屋に戻りましょう、奥様」
リリーが車椅子を押してくれる。歩いても全然平気なのよ。そう訴えたが、ヘンリック様もフランク達も首を横に振った。この車椅子は妥協案なの。これに乗ることで、私が屋敷内を移動する免罪符になるんですって。
「おかぁ、しゃま……ぼく、たんえん、したぃ」
遠慮がちにレオンが要望を口にする。私が歩けないから、庭へ一緒に出られないと考えたのかも。ユリアンもいないので、庭の奥へ行くプランは無理ね。
「エルヴィンとオイゲン様が、離れで剣術の稽古をするはずよ。そこへ入れてもらいましょう」
邪魔にならないよう、素振りの練習をしたらいいわ。細い棒なら負担も少なそうだし……歩き回らなければ、私も同行できそう。離れまでの道は整備されており、歩きやすいレンガの道だった。
提案を離れに伝えに行ってもらい、その間に準備をすればいいわね。猫の部屋は毛布や水入れも用意され、何もすることはない。レオンを動きやすいズボンに着替えさせている間に、離れからの返事が届いた。
「こちらへ?」
「はい、稽古自体はどこでもできるから、歩ける自分達が移動すると仰ったそうです」
二人は離れの裏庭で稽古する予定だったが、この本邸の庭へ出張してくれるらしい。レンガ敷きでも段差はあるので、とても助かるわ。すぐに二人が来ると聞いて、庭へ出た。芝生が広がる庭の一角が稽古に最適だけれど、今は温室の工事中だった。
骨組みしかない温室の工事は、職人が行き交い道具が転がる。危ないので、離れた砂地を使うことにした。本来は馬を走らせる場所だったと聞いている。新しい 厩(うまや) ができて、ほとんど使用しなくなったのだ。当初は温室をここに建てようとしたが、本邸に影がかかるため却下された。
砂地なら転んでも大きなケガはしないでしょう。フランクやイルゼも賛成したので、そちらへ向かった。途中で大きな段差があるところだけ、こっそり車椅子を降りて歩いたけれど……騎士や侍女達に「内緒よ」と笑った。
「おかぁしゃま! えるぅ」
指さす先に、エルヴィンが手を振っている。先に到着したオイゲン様も、笑顔で一礼した。レオンの指先を握り、静かに教える。
「人を指さしたらダメなのよ。手のひらでこうやって示すの」
「こう?」
「そう、上手ね」
幼いうちは許される部分もあるけれど、レオンは王族とも付き合いがある。王太后のマルレーネ様や国王カールハインツ陛下を指さしたら、さすがに困るもの。