作品タイトル不明
第051話 白の名簿改革委員会の日常
改革は、奇跡よりも書類が多い。
これは、白の名簿改革委員会が半年続いたころ、わたしがしみじみ理解した事実である。
会議は月に二回。緊急案件があれば追加。議題は尽きない。
移民の名前をどの文字で記録するか。発音と表記が違う場合、本人使用名を優先するか。婚姻後の家名併記はどの順番にするか。修道院名と出生名の関係。劇団員の芸名。商人の屋号。騎士の叙任名。孤児の仮名と成人後の再選択。
名前は、生活のあらゆる場所にある。
それを一つずつ整えるのは、果てしない作業だった。
ある会議で、商人組合の代表が言った。
「屋号も本人名と同じ保護を受けられますか」
教会代表が反論する。
「屋号は商売上の表示であり、魂の名とは違う」
セレスティア王女が資料を見る。
「しかし、屋号で配給契約や債務が結ばれている例もあります。保護対象を完全に外すと、生活に影響します」
わたしは整理案を出した。
「屋号は個人名とは別の使用名として記録し、本人または組合の同意なく他者へ譲渡できない。ただし、個人名の代替として強制してはならない」
議論は一時間続いた。
華やかではない。
でも、こういう細部が大事だ。
会議の後、ユリウス殿下が疲れた顔で言った。
「名とは、なぜこんなに種類があるのだ」
「人の生活が複雑だからです」
「以前の私は、それを器の一言で片づけていたのだな」
「はい」
「容赦ないな」
「記録上、事実です」
彼は苦笑した。
リリアは救貧院の自署名教室を王都外へ広げる準備をしていた。彼女は今、教室用の手引きを作っている。タイトルは「はじめて自分の名前を書く人へ」。優しい文章で、子どもにも大人にも読める。
その手引きの序文に、彼女はこう書いた。
「名前を書くことは、上手な字を書くことではありません。自分がここにいると、紙に伝えることです」
わたしはそれを読んで、少し泣いた。
リリアは照れた。
「大げさです」
「いい文章です」
「リネアに言われると、嬉しいです」
父カールは、監査下で領地運営を続けている。
劇的に善人になったわけではない。時々、家長権限停止に不満を漏らす。けれど、使用人給金名簿を自分で確認し、個人名を呼ぶ練習をしているとセドリックから聞いた。
セドリックの手紙にはこうあった。
「旦那様は先日、庭師オズの子の名前を初めて正しく呼ばれました。オズは驚いて鋏を落としました」
小さな変化だ。
でも、記録する価値はある。
フェルゼンは拘禁施設で、自分の名を毎日書かされている。これは罰ではなく、責任確認の一環だ。彼は反省していない。ただ、判決文の写しを読むたびに苛立つらしい。
彼の名で、彼の罪が残っている。
それでいい。
ノア様との婚約生活は、驚くほど穏やかだった。
婚約といっても、わたしたちはそれぞれ名簿院で働いている。昼は書類、会議、相談、修復。夕方に一緒に茶を飲む。時々、公爵家へ行き、エレナ夫人に食事を出されすぎる。セラの席へ花を置く。
甘い言葉は多くない。
でも、ノア様はわたしの名前をいつも丁寧に呼ぶ。
それだけで十分な日が多かった。
ある夜、残業中に、わたしは机に突っ伏してしまった。
「リネア」
「はい」
「寝ている」
「起きています」
「返事が寝ている」
ノア様は書類を取り上げた。
「今日はここまでだ」
「でも、移民名簿の表記規則が」
「明日も名前はある」
その言葉に、少し笑った。
明日も名前はある。
そう思えることが、どれほど安心か。
あの朝、わたしは自分の名前が明日もあるか分からなかった。今は、明日も名前を守る仕事がある。
疲れる。
手間がかかる。
でも、幸せな手間だった。
わたしは机の引き出しから、自分の名札を取り出した。
表にリネア。
裏にエレノア。
その横に、婚約契約書の写しがある。
名前は、奪われるものではなく、選び続けるもの。
日常の書類の中で、その実感はますます強くなっていった。